鯱は毒と一緒に風を食う(22)

 畜舎の一角に丸々と太った羊がいた。幸善は反射的に頭の中でハムカツの姿を思い出し、かぶりを振る。あれよりは流石に小さい。


 羊はその場所にとって部外者である幸善達を睨みつけるように見つめていた。寝転んだ体勢のまま、一言も発さずにこちらを見る姿は正に不遜と言える態度だ。


「あれが妖怪ですか?」


 ピンクがフェザーに質問し、フェザーは首肯した。見るからに他の羊と違う羊が件の妖怪であることは間違いないらしい。


「絶対孤立してるでしょう?一匹だけ、ここにいるし」

「いやいや、今回は様子を見るだけでなく、話を聞く必要があるから、ここに移してもらっただけで、普段はちゃんと群れの中にいるそうだから」

「ていうか、ここの主人は妖怪って知ってる?」


 ここまでの流れから疑問に思った幸善が聞くと、フェザーは首肯した。


 それなら、他の羊との関わり方や様子の変化など、それなりに注意はされているはずだ。何か変わった点について報告がないのなら、大丈夫と判断しても問題はないだろう。


 そう思うのだが、一応は頼まれた仕事だ。幸善が普段、妖怪とどのように会話しているかなどを見せる必要がある。

 ここで羊に話しかけないで、大丈夫と言って帰ることは仕事の放棄になると思い、幸善は羊の前まで移動し、そこで屈んだ。


「初めまして。どうも。言葉は分かる?」


 妖怪が相手なのだから、日本語でいいだろうと判断し、幸善が羊に声をかけ始めると、反応するように羊が顔を上げた。


 その態度の変化に、ちゃんと伝わったのかと幸善が安堵したのも束の間、顔を上げた羊が少し困惑したように鳴き始める。


「こいつ、羊相手に話してるぞ?正気か?」


 その一言に幸善が固まっていると、後ろからフェンスが声をかけてきた。


「鳴いたけど、何か喋ったのか?何を言ってるんだ?」


 その質問の意味を理解するよりも先に指を伸ばし、幸善は笑顔のまま、フェンスに向けた。


「黙れ」


 そう言ってから、幸善は目の前の羊に目を向ける。まだ辛うじて、笑顔は保てているはずだ。


「正気を疑っているところ悪いが、俺は正気だ。羊相手でも、そいつが妖怪なら声をかけるし、会話くらいする?お分かり?」

「おお?何だ、お前?妖怪の声が分かるのか?」

「そういうことだ。分かったら、正気を疑う言葉は二度と言うな。お分かり?」

「どこかに頭を打っていかれたのか……可哀相に……」


 幸善は無言で拳を握り締めて、目の前の羊に振り下ろそうとした。その様子を見たピンクやフェンスが慌てて止めに入らなければ、今頃羊の頭を叩き割っていたかもしれない。


「何をやっているの!?殴ろうとしないで!?」

「そうだ!?落ちつけ!?何があったんだ!?」

「うるせぇー!?この相亀あいがめみたいな羊はここで成仏させる必要があるんだ!?」

「何言っているか分かんねぇ!?」


 拳を握る幸善とそれを止めるピンクやフェンス。その間を日本語と英語が飛び交い、混沌とした様子が出来上がる中で、羊は観察するように幸善達を見つめていた。


「ああ、そうか。お前達は仙人か」


 不意にぽつりと羊が零し、それに反応した幸善が動きを止める。ピンクとフェンスは余韻で幸善を力強く押さえていたが、幸善の抵抗がなくなったことに気づいたのか、不意にきょとんとした顔で幸善を見ていた。


「ああ、そうだが?」

「いつもは外から勝手に見ているだけなのに、今日は別に移動させられるから何かと思ったんだが、そういうことか。妖怪と話せるお前がいるからか」

「ああ、そうだが?遺言はそこまでか?」

「それなら、ちょうど良かった。ここの羊を助けてくれないか?」

「ああぁ?どういう意味だ?」


 幸善はピンクとフェンスに大丈夫という意思を示し、拘束していた手を放してもらってから、改めて羊と向かい合った。

 さっきまでは生意気な羊と思っていたが、少し話の内容が変わってきているらしい。


「助けるってどういう意味だよ?」

「少し前から、ここの羊を見に来る男がいるんだ。何をするでもなく、ただじっと見てくる男だ」

「それがどうしたんだ?」

「その男の視線がどうにも気になるんだ。あれは獲物を見定める目をしている」

「獲物?肉食動物みたいに?」

「ああ、正にそういう目だ」


 最初の印象もあって、幸善は羊の話を半信半疑で聞いていた。全くの嘘をついて幸善を揶揄っている可能性も当然あるとは思う。


 だが、さっきまでの様子と明らかに雰囲気が変わっている点は少し気になるところでもあった。


「そいつが何をするって言うんだ?」

「分からない。だが、普通ではないと思う」

「ふーん、そう」


 羊の話は羊の主観だ。その話が本当だとして、仙人の動くような話ではないように思える。民事に警察が介入しないように、ただの動物の人生に仙人が介入してはいけない。


「もしも最初の無礼が気に入らないのなら、それは詫びよう。だから、他の羊だけは助けてくれ」

「そこまで頼むのか?」


 羊の態度の変化に悩みながら、幸善は一つだけ聞いていなかったことを思い出す。


「ちなみにお前の名前は?」

「セバスチャンだ」

「そうか。セバスチャン。セバスチャン?」


 羊の名乗った名前を繰り返し、幸善は一つの疑問を懐いた。


「それって羊っていうか……」


 そこまで口にしてから、幸善はもう少しでつまらないことを言うところだったと気づき、慌てて口を噤んだ。その様子に目の前のセバスチャンは不思議そうな目を向けてくる。


「よし、セバスチャン。もしも、他の羊に危険が迫っているとして、俺達が助けたら、どういう利点があるんだ?」


 その問いにセバスチャンは困った顔をし、しばらく周囲を見回してから、僅かに自分の身体に目を向けたかと思うと、そこで何かを思いついた顔をする。


「羊肉を振る舞おう」

「食えるか」


 ブラックジョークにも程がある礼だった。

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