花の枯れる未来を断つ(3)

 檜枝ひのえ雪菜せつなが誕生したのは十九年前のことだ。極一般的な家庭に生まれ、極一般的な赤子と同じように育てられた。

 少なくとも、赤子の頃はそうだった。何か変わったことをしても、それは赤子の気紛れで、育てる親ですら深く取ることはない。


 そこから言葉を覚えて、物心がついていくまでも、まだ子供の内は不思議なことを良くするものだ。大人の考える常識が植えつけられる前だから、その行動は大人の予想を超えるもので、不思議なことがあったとしても、そういうこともあるだろうくらいに思われていた。


 それが次第に雲行きを変えていったのは、物心がついて檜枝が小学生に上がろうかという頃のことだった。


 その時になって、ようやく檜枝の両親も、更に言ってしまえば檜枝自身も、何かが普通ではないことに気づいた。


 そこまで時間がかかってしまったのは、この当時の檜枝の力は不安定だったからだ。明確に見える時と見えない時があって、何かの偶然かと思える範囲のものが多かった。


 それが小学生に上がる頃には明確に見える瞬間が増えていた。

 それでようやく檜枝は自身の目が未来を見ることに気がついた。


 未来と言っても、見える未来はほんの数秒先の未来だ。ほんの少し先に起こる出来事を思い出すように目撃することができた。


 常に未来が見えているわけではなく、数秒先に何かが起きる時に限って、その出来事が先に見える場面が多かった。

 恐らく、その時にその光景を目撃した檜枝が強く反応する未来だけ、先に檜枝の目に飛び込んでくるのだろう。


 何かと何かのぶつかる事故が起きる。誰かがそこで喧嘩を始める。突然、バケツをひっくり返したような雨が降り出す。誰かがビルの上から飛び降りる。そういう光景だ。


 未来が見えると言っても、誰かの顔を見て、その人がいつ死ぬか分かるわけではない。檜枝が未来を見ることで何かに影響を及ぼすほどではない。


 檜枝の目が少し先の未来を見るとしても、それで両親の愛情が変わることはなかった。それはとてもありがたいことだった。


 だが、誰しもがそういうわけではなかった。


 基本的には自身の力を隠そうとして、檜枝は生きていたが、見える未来は決まって檜枝が反応するようなものだ。衝撃的な光景が起こると分かって、そのままにしておけるはずもなく、檜枝は見えた未来を頼りに動くことも多かった。

 傷つくと分かっている人を救うために手を差し伸べることもあった。


 それで感謝されることももちろんある。うまく助けられた時は常に助かって良かったと思っている。


 だが、全てがそううまく行くわけではない。助けられない時もあって、それが命に関わる時もある。助けた人に感謝されることなく、檜枝の行動を訝しんで、檜枝が元凶のように扱われたこともあった。


 周りの誰も持っていない力だ。それを周囲に見せることをしてはいけない。

 そう思っても、目の前で誰かが傷つくと分かって、黙っていられる檜枝ではなく、それは何度も葛藤してきたことだった。


 年齢を重ねれば重ねるほどに、そういう経験は積み重なっていき、やがて、数に差もできるようになった。


 ほんの僅かな感謝の言葉に対して、檜枝を元凶や化け物と見做す誹謗中傷の方が多かった。


 檜枝に見える未来はほんの少し先のものだけだ。

 だが、本当にそこまでしか見えないのかは檜枝にしか分からない。傍から見れば、何もかも見えてしまう気持ちの悪い子となってしまうのだろう。


 檜枝にとって唯一の救いだったのは、両親が檜枝を見限ることがなかった点だろう。常に味方はいて、それ故に曲がらずにまっすぐ生きることができた。


 ただし、大学生となっても、檜枝は両親以外に力のことをちゃんと打ち明けることはできずにいた。親しい友人を作ることもなかった。作れなかったとも言える。


 親しくなればなるほどに離れてしまった悲しみは深くなる。それを既に何度も味わって、檜枝は両親以外に親しい人を置かなくなった。


 そして、檜枝はある日、いつものように未来を見てしまった。曲がり角から子供が飛び出し、そこを歩いていた少女とぶつかる。少女は考えごとでもしていたのか、ぶつかった衝撃で盛大に転んでしまう。


 咄嗟に口を衝いて出た言葉が「危ない」だった。言いながら、檜枝は走って、その少女の手を掴んだ。


 やってしまった。また助けてしまった。その気持ちがほんの少しなかったと言えば嘘になる。


 だが、無事で良かったという気持ちが強かったことも事実だ。


 そこでまた自転車と衝突し、怪我をする未来が見えたので、そうならないように位置を移動してから、檜枝はさっと少女と別れるつもりだった。


 何を言われるか分かったものではない。早くここから離れよう。

 そう思った檜枝だったが、少女はそれを止めるように声をかけてきた。


 打ち明けるかどうか。檜枝はこれまでの経験を踏まえて、散々悩んだが嘘をついても、少女が逃がしてくれるとは思えなかった。それは未来が見えたわけではない。檜枝の何となくの勘だ。


 そういう人は過去にもいた。そういう人が全て優しい人ではないことも分かっていた。


 だが、言うだけ言ってみよう。それくらいの気持ちだった。


 この時の檜枝はまさか、それを打ち明けた相手の少女も、自分と同じ側に立っているとは思ってもいなかった。

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