影は潮に紛れて風に伝う(29)
差し出されたキッドの手を見つめて、幸善は驚き以上に呆れの感情を懐いていた。
「何言ってるんだよ、お前……?」
正気を疑う一言に幸善は軽蔑の視線を向けるのだが、その視線に晒されたキッドはひたすらに笑みを浮かべている。その目には慈愛すら感じさせる優しさが宿り、幸善を受け入れる体勢を示しているようだ。
しかし、幸善はキッドの行いを把握している。キッドが何を考えているにしても、キッドが何を言ってきたとしても、それを受け入れて協力することなどあり得ない。
「お前にはそれだけの力がある。あんな奇隠のような場所に居続ける理由はない。お前は俺達と一緒に来るべきだ」
一方的なキッドの発言に苛立ちを募らせながら、幸善は差し出された手から離れるように、一歩後ろに足を動かした。
「どうした?」
「お前の考えを一つ聞かせてくれ」
差し出された手を振り払うことなら簡単だ。募った苛立ちのままに手を動かせばいい。
だが、人型との対話すらも望む幸善には、それでいいと思えなかった。ちゃんとキッドの立ち位置を確認した上で、この事柄を判断するべきだ。
そう思った幸善がキッドに対して聞かなければいけないと思ったことを口にする。
「お前は自分が殺したR支部の仙人達について、どう思ってるんだ?」
「奇隠に飼い慣らされたマニュアル化した仙人の群れだ。それに気づけない時点で、命を奪われても仕方ないと思っている」
その返答だけで幸善には断る確固たる理由ができた。
だが、聞きたいことはそれだけに留まらなかった。
「お前は妖怪や人型について、どう思ってるんだ?」
「どうも何も、本当の仙人から見ても、奴らが敵であることに変わりはない。殲滅する対象であり、力を得た先でそれをするだけだ」
「その他の人間については?その力を得るまでに人型に殺されるかもしれない人達は?」
「全てを助けることは不可能だ。犠牲が出ることも仕方ない。それを受け入れるのもまた強さだ」
キッドの考えが分かったことで、幸善は更にキッドから離れた位置に立ち、小さく笑いを零していた。
面白いわけではない。楽しいわけでもない。腹の底からの怒りに満ちて、今にも殴りたい気持ち以上に、目の前のキッドが哀れで仕方なかった。
キッドにいくつかの質問を投げかけたことで、幸善とキッドが相容れないことも、キッドの考えの根本部分に何があるかも、幸善は察することができた。
それは既に似た考えや気持ちを聞いた記憶があったからだ。
そこから考えれば、11番目の男という呼び名は哀れみしか懐かせない。
「どうだ?協力してくれるか?」
この状況になっても、まだ希望があると思っているのかと思いながら、幸善はキッドの差し出した手の近くに手をゆっくりと伸ばしていく。
その手でキッドの手を握るのではなく、拒絶の意思を込めて、幸善はキッドの手を弾き返そうとした。
しかし、その手を動かそうとした直前、幸善の全身を襲う生温い風が洞窟の入口から吹いてきて、幸善の身体は硬直した。
「え……?」
思わず声を漏らした直後、幸善の視線に気づいた風でもなく、キッドが洞窟の入口に目を向けた。その様子に仮面の男は不思議そうに疑問を口にする。
「どうした?」
「何か来た……」
仮面の男からの疑問に答えた直後、キッドの身体が地面に飲み込まれるように、足元の影の中に消えていく。それを驚いた様子で見送る仮面の男を見て、幸善は今の会話を確認するように言った。
「今、何て?」
「何か来たと言って、行ってしまいましたね」
「何か…来た……?」
そう口にしながら、幸善は今の生温い風を思い出した。あの感覚は確かに風だったが、幸善が風と感じる感覚は風だけに留まらない。
まさかと思った幸善は仮面の男を置いて、ここまで来た道を戻るように走り出していた。
洞窟の入口に向かえば向かうほどに、感じる風は強くなっていき、幸善は次第に自分の中で生まれた可能性が間違いではないことを確信していく。
そして、洞窟の入口に戻ってきた瞬間、幸善はそこに立っていたキッドの背中にぶつかった。
「うわっ!?11番目の男!?」
「耳持ちも気づいたか。侵入者だ」
ほとんど自分に意識を向けることなく、空を眺めるキッドに幸善は驚きながら、その視線の先に目を向けた。幸善の感じる風はその方向から吹いているようで、生温い肌を撫でる感覚が強くなる。
島の天井。その下に連なる明かりの下で、何かが光を遮って、影を作っている様子が見えた。その何かは二つあり、その二つは動いている。
その姿がはっきりと見えた瞬間、幸善は自分の中で生まれた可能性が間違っていなかったことを理解し、その姿に相応しい言葉を口にした。
「人型……」
そこに立つ二つの人影から漂う風は紛いもなく、妖気だった。
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