Ｑ

帰る彼と話したい（１１）

　クリスの過ちはディールから全てを奪うために、ディールの近くに立ったことだ。ディールの軽い足踏みで地面は陥没し、それが原因でクリスは大きく体勢を崩した。

　ディールとクリスは揃って空中に身を投げ出し、無防備な時間を晒すことになったのだが、巻き込まれたクリスと違って、ディールは自分からその状況に身を投げ出したのだ。

　ただ体勢を崩して落下するクリスと違い、ディールは自分を取り囲んでいた植物を足場にする余裕があった。

　空中という条件は移動するにしても、拳を振るうにしても、重要な踏み込みを奪ってきたが、クリスに接近するだけの移動ができて、拳を構えるだけの体勢が整えば、それだけでディールは十分だった。

　体勢を崩したことに驚愕し、接近したディールに恐怖の表情を向けてきたクリスを見下ろし、ディールは上体を大きく逸らした。拳を振るう上で重要な踏み込みはできないが、それを補うように逸らした上体を振るって、その反動で握った拳を勢い良く振り下ろす。

　身体のバネだけを利用した拳。それでも、ディールの仙技や膂力を以てすれば、十分な威力を発揮した。

　クリスが咄嗟に上げた腕に拳がぶつかり、その瞬間、空気が破裂するような音が辺り一帯に響き渡る。クリスの身体は急激な重力に押し潰されるように落下し、陥没して巨大なクレーターを作り出した地面の中央に沈み込んだ。

　クレーターの中央ではクリスの落下によって土煙が発生し、その中にゆっくりとディールも落ちていく。振るった拳を握って、その手に残った感触を確かめながら、ディールは軽く舌打ちをした。

（何かに阻まれたぁ……）

　何かは分からなかったが、クリスの腕に拳を振るったはずだが、手の中に残った感触は肉を殴ったものでも、骨を殴ったものでもなく、柔らかいクッションを殴ったようなものだった。

　何が間に挟まったのかは分からないが、空中という条件で振り下ろされたディールの拳は、いつもの威力を持っているわけではない。人の身体にぶつかった時、それを破壊するだけの威力を持っているが、人以外のものにぶつかって、それを貫通できるかは分からない。

　ディールは土煙の中に落下し、クレーターの中に足を下ろした。着地と同時にクリスを探し出そうと考え、クレーターに着地した瞬間から、次の一歩のための足を動かそうとしたが、それは一歩として下ろされることはなく、ディールは最初に地面に触れた足をゆっくりと見下ろす。

　土煙の中に紛れて、一切何があるのか見えなかったが、着地した地面は明らかに地面の感触ではなかった。間に何かを挟んだような柔らかさがあって、強いて言えば、跳び箱を跳んだ後、マットに着地したような感触が残っている。

　こいつは何だと思ったディールが急いて、上げたばかりの足を振り払い、足元の土煙を掻き消した。その途端、足元に広がる緑色の物体が見え、それが植物であると咄嗟にディールは理解する。

　それもただ広がっているわけではなかった。編まれた毛糸のように、地表で茎や葉が絡まって、巨大なクレーターの中に広がる様は、さながら雑草のネットのようだ。

　そこに着地したディールは掬われた魚のようで、などとディールが思ったのも束の間、ディールの足元に広がっていた雑草が伸び始めて、ゆっくりとディールの足に絡まってきた。

「ああぁ？」

　苛立ちを乗せた声を漏らし、ディールが雑草の絡まった足を振り上げて、それら雑草を振り解こうとした瞬間、もう片方の足にも雑草が絡まり始めて、どんどんとディールの身体を上ってくる。

「まとわりつくなぁ！」

　ディールが抗議の意を込めた叫び声を上げ、地についた足を一気に振り上げようとしたが、その時になって、足元から地面が消え去ったように、ディールは大きく体勢を崩した。

　ディールは雑草の上に転びながら、咄嗟に視線を雑草に向けた。

　そこで雑草が川の流れのように蠢いて、その中にディールを引き摺り込もうとしていることに気づく。

「ふざけるなぁ！」

　ディールは拳を振り下ろして、自身の足をどんどんと飲み込んでいく雑草を殴り飛ばそうとしたが、振るった拳は雑草の中に飲み込まれるだけで、一切何も変わらなかった。

　それどころか、雑草に飲み込まれた腕まで、うまく動かすことができなくなる。

「まさか、あんなに簡単に地面が壊れるなんて思わなかったけど」

　不意に声が聞こえ、ディールは雑草の中に飲まれながら顔を上げた。

　雑草の上をゆっくりとこちらに歩いてきながら、楽しげにディールを見下ろすクリスを見つける。

「そのお陰で油断してくれて、最初の予定通りにその中に沈められて良かったわ」

「ふざけるなぁ！」

「ああ、無理無理。全力の貴方らなら未だしも、仙気をある程度奪った状態で、そこから抜け出せるはずがないから」

　ディールの前まで歩いてきたクリスが屈んで、雑草の中から頭だけが飛び出した状態のディールを楽しそうに見下ろした。

「バイバイ、No.4。これが仙術と仙技の壁よ」

　その一言に苛立ちを募らせ、眉間に皺を寄せたまま、ディールは雑草の中に飲み込まれた。