許可も取らずに食って帰る(11)

 大きく捻った身体がバネのように元に戻って、辺りに細かな粒子みたいな煌めきを撒き散らした。

 有間が振るった拳は、同じく美藤に拳を振るうザ・タイガーの背中にぶつかって、それに遅れるように有間の声が聞こえてきた。


「ごめんなさい!」


 いつもの調子で有間の口から飛び出た謝罪の言葉が、今回は殴った相手に向けられた言葉ではないと、美藤はすぐに理解できた。


 有間の拳を叩き込まれ、ザ・タイガーは大きく体勢を崩し、美藤に殴ろうとした格好のまま、自分の足を払うように前転した。必然的に身体は宙に浮かんで、投げ出された下半身が空中を漂う。


 その逆様の状態のまま、ザ・タイガーの時間が止まったように回転は止まり、次第に速度を増しながら、緩やかな落下を開始した。


 そして、その先にはザ・タイガーが殴ろうとした対象が待っている。


 つまり、美藤の上にザ・タイガーの身体が落ちてきた。


「ぐえふっ!」


 もふもふとした毛の感触が顔面を襲い、美藤の唇は柔らかに封じられた。歪んだ口から漏れ出たものは声というよりも、効果音という方が近い音だ。

 口の中に毛が入らないように、咄嗟に口を噤んで、ザ・タイガーの毛から逃れるように顔を捻ろうとしたところで、ザ・タイガーの重さが遅れてやってきた。


 美藤はそれに耐え切れず、ザ・タイガーに押されるまま、地面に倒れ込んだ。ザ・タイガーの下敷きとなり、頬を地面に押しつけながら、僅かに漂ってくる豚臭さと血腥さに顔を歪める。


 その次の瞬間、きらきらとした粒子みたいな煌めきがぽとりと、美藤の頬に降ってきた。さっき有間が殴る時に撒き散らした物が、今になって落下したらしい。


っ……!?」


 不意に襲ってきた冷たさに、美藤は身を竦めて声を出しかけたが、ザ・タイガーの下敷きになった苦しさもあって、身を竦めることも声を出すことも、満足にはできなかった。


「雫ちゃん!屈んで!」


 苦しさから逃れるように身を起こしかけた美藤を押し止めるように、有間の声が聞こえてきた。美藤は地面に腕をつけたまま、そこから力を入れることなく止まり、その隙にザ・タイガーの隣に有間が立つ。


「蹴ったら、ごめん!」


 そう叫び、思いっ切り、有間が足を振り上げて、ザ・タイガーの身体がボールのように軽やかに宙を舞った。

 成人男性と同じ体格を持ったザ・タイガーは、その見た目通りの重さを持っていた。それを軽々と有間が蹴飛ばし、分かっていたことだが、美藤は驚いた。


「グルゥガァ……」


 軽やかに宙を舞った後、地面に身体を強くぶつけながら、ザ・タイガーは喉を鳴らすように声を漏らした。


 痛みからの声か、怒りからの声かは分からないが、それまで思考の見えないマネキンにも似た印象だったザ・タイガーに、その瞬間、初めて意思が宿ったように感じられた。


「雫ちゃん、凛子ちゃん。仁海ちゃんをお願い」


 有間がザ・タイガーの前に立ち、ザ・タイガーの後ろでぐったりと項垂れる浅河を見た。ザ・タイガーを超えなければならないが、浅河の様子を見るに放置もできないことは明白だ。


「沙雪ちゃんは?」


 美藤が起き上がりながら声をかけると、有間はぐっと表情を引き締め、ザ・タイガーに向けて震える拳を握っていた。


「盾になるから!」


 その言い方に美藤は苦笑したが、有間なら大丈夫なことは分かっていた。

 皐月にちらりと目線を寄越し、皐月が軽く頷いたことを確認してから、美藤は皐月と一緒に走り出す。


 向かっていく先では、起き上がったザ・タイガーが身体に霜をまとい、それを膨らませている最中だった。


 アームカバーみたいな氷はもちろん、背中には亀の甲羅のように分厚い氷を背負い、そこから伸びる形で、尻尾の先に鋭利な氷を張りつけている。余程、背中を殴り飛ばされたことが気に入らなかったみたいだ。


 そのザ・タイガーが自身に向かってくる美藤と皐月に気づいて、完成したアームカバーを誇るように、拳を振り抜こうとしていた。


 それを阻止するために有間が踏み込み、美藤や皐月よりも速く、ザ・タイガーの前に立った。振り抜かれる拳を片手で受け止めて、ザ・タイガーの腹に拳を叩き込む。


 しかし、どうやら、亀の甲羅のような氷は本当の亀の甲羅のように腹まで守っていたようで、有間の拳に怯むどころか、有間が殴った氷の厚さに顔を歪めていた。


 瞬間、氷の煌めきが腹の氷から飛び散り、周囲に舞っていく。

 その中を通り抜けるように、美藤と皐月がザ・タイガーの脇を通り抜けようとした。


 その時、美藤の前で氷の煌めきが膨らみ、次の瞬間には強い衝撃が美藤の頭を襲っていた。

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