許可も取らずに食って帰る(10)
咄嗟に動き出した浅河に押され、美藤は豚舎の中を転がった。
「仁海ちゃん!?」
転がった先で身を起こし、驚きを露わに美藤は浅河を見ようとした。
しかし、その直前、美藤の頭の上を何かが猛スピードで過ぎていき、美藤は視線の先に拳を振り切ったザ・タイガーの姿を確認した。
背後から鈍く、何かがぶつかる音が聞こえ、ゆっくりと振り返ってみると、豚舎の壁でぐったりと項垂れた浅河を発見する。
「仁海ちゃん!?」
緊迫感も、声音も、さっきの物と一変した声を出し、美藤は咄嗟に立ち上がっていた。浅河に駆け寄ろうと身を乗り出し、足を一歩踏み込んだ瞬間、その足に合わせるように、背後近くから足音が聞こえたことに美藤は気づく。
「え……?」
そう呟き、振り返ってみるが既に遅く、ザ・タイガーが美藤の背後で右拳を掲げるように振り被っていた。
腕に生えたトラの毛の一本一本を覆うように、空中の水滴が集まって、そこで形を留めている。ビーズ玉のように氷の粒が集まり、ザ・タイガーの腕を鎧のように覆っているようだ。
その光景を見ていたが、美藤はそれがどのくらいの硬さを持つか、どれくらいの破壊力を生み出すか、特にイメージも湧かないまま、自分の前で振られる拳を見ていた。
次の瞬間、美藤とザ・タイガーの拳の間に影が飛び込んで、激しい衝突音が鳴り響いた。弾けるように風が吹き、美藤のショートヘアをさらさらと撫でていく。
「あ」
美藤の前方で、いつもの冷めた口調の声が聞こえ、不意に美藤の目の前を腕が上っていった。
そうなって、ようやく美藤は自分とザ・タイガーの間に、皐月が割って入ったことに気がついた。皐月は両手を突き出し、仙気の壁を作り出し、ザ・タイガーの拳を受け止めたが、ザ・タイガーはその仙気の壁ごと、皐月の両腕を殴り飛ばしたようだ。
大きく両手を上げた皐月が、美藤の目の前で無防備にお腹を晒していた。
「ダ…メ!?」
そこになって、ようやく意識が返ってきた美藤が皐月の身体を抱き込み、背後に逃げるように跳躍した。美藤と皐月の身体が軽やかに浮き、その手前でザ・タイガーの尻尾が弧を描いた。
優雅に回転しながら、大きく尻尾を振り回したザ・タイガーだが、拳ではなく尻尾を振り回したことに、美藤は疑問を懐かなかった。
疑問を懐くよりも先に痛みが襲い、美藤は皐月の腹を抱え込むように伸ばしていた腕を、軽く宙に放り投げて、皐月と一緒に再び豚舎を転がった。
前腕。皐月を抱き込む際に露わになっていたその部分に鋭い切り傷が入り、美藤の腕から力が完全に抜けていた。
腕を曲げることも、拳を握ることも、筋肉に力が入った時点で痛みが走り、顔が歪むだけでうまくできない。
「大丈夫?」
美藤に伸しかかる形で、一緒に倒れ込んだ皐月が身体を起こし、美藤の腕を労るように声をかけてきた。大丈夫かと言われたら、当然大丈夫ではない傷だったのだが、美藤はそれをおくびにも出せず、大丈夫と笑顔を作った。
その返答に少しだけ安心の色を見せた皐月の向こう側で、回転しながら尻尾を振り回していたザ・タイガーが停止した。尻尾の先端には氷が張りつき、ナイフのように尖った刃物を作り出している。
その氷の刃が切った腕を抱え、美藤は立ち上がろうとした。
しかし、痛みの強い腕を支えに立ち上がることは難しく、美藤は立ち上がるために皐月の手を借りる必要があった。
ただこの状況で手を借りることは、二人の人間の隙を作ることに等しい。美藤だけではなく、手を差し伸べた皐月まで無防備になってしまう。
それでも、立ち上がらなければ美藤は嬲り殺されるだけだ。
それが分かったらしく、皐月はまっすぐに手を伸ばしてきた。何を言うでもなく、立ち上がるべきだと意思だけ示している。
それに答えるべく、美藤は皐月の手を借りて、起き上がろうとしたが、やはり、それだけの隙を見逃してくれるザ・タイガーではなかった。
腕をさっき以上の氷で覆い、氷のアームカバーを身につけたようになったザ・タイガーが、その拳を大きく振り上げた体勢のまま、皐月の背後に立っていた。
移動した瞬間は分からない。気づいた時には近づいて、そこでアームカバーをつけていた。
それだけで与えてきた威圧感は大きく、美藤も皐月も立ち上がろうと行動した状態のまま、背後の影を見ていた。
「あ」
誰かは分からないが、声を漏らして、ザ・タイガーが振り下ろす拳を見る。殴り飛ばされたと思考が追いついた瞬間、不意に美藤は寸前に聞こえた声を思い出した。
「あ」
今聞いたその声は自分の物ではなかった。
そして、皐月の物でもなかった。
それなら、誰の声なのか。その答えが分かり、その声の主の顔を思い浮かべた瞬間、その声の主が答えを示すように、美藤の視界に現れた。
ザ・タイガーの背後で、有間が大きく身体を捻った。
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