五月蝿く聞くより目を光らす(17)

 土煙の広がりと共に羽音が相亀の周囲を飛び交う。その音に耳を傾けると調子が狂うことは分かっていたので、相亀は耳を塞いで拳を握り締めた。

 音による対応は不可能だ。ハエ人間の姿を目で追い続けるしかない。


 背後にはノワールが目を向けている。そちらにハエ人間が現れたら、背中に痛みが走って、防御するくらいの時間はあるはずだ。

 相亀の意識は前方だけに向き、ハエ人間が飛び込んでくる瞬間をひたすらに待っていた。構えた拳には十分な量の仙気が集まっている。


 しかし、それらの動きを察知したのか、ハエ人間はなかなかに接近してくることがなかった。


 同じ行動パターンを繰り返すハエ人間だ。動きに少しの変化は見られるが、知能が高いとは到底思えない。

 そこが罠だと普通は気づいても、何も気づかずに飛んでくるはずだ。


 そう思うのだが、ハエ人間は相亀やノワールの前に姿を現すことなく、相亀は少しずつ精神が摩耗するようだった。意識を向ける方向を限定的にしても、集中力は必要だ。それによって必然的に精神的疲労は高まり、相亀の意識もぶれていく。


 そうなる前にハエ人間が飛び込んでくることを願っているのだが、そうなるのだろうかと顔を上げたところで、相亀はようやく違和感に気づいた。


 周囲を取り囲う土煙はハエ人間から発生し、ハエ人間の匂いを消すために、ハエ人間の軌道上に漂い続けていたのだが、その土煙の増え方が先ほどから僅かに増しているように見えた。


 気のせいかと一瞬思ってしまうほどの些細な違いだが、それも初めのことで、今では次第に相亀やノワールを覆いかねないほどに、公園の中で膨らんでいる。


 まさか、嗅覚だけでなく、視覚まで奪おうと言うのか。そう考えた時には土煙に覆われ、相亀とノワールはそこから逃げ出すことが難しくなっていた。


 しかし、この土煙の中だ。ハエ人間も相亀を見つけることは難しいはずだ。


 そう考えてから、ハエ人間はさっきから、その条件の中で戦っていたと思い出し、相亀は疑問に思う。


 ハエ人間はどうやって相亀の位置を補足していたのか。当然の疑問だが、それに今の今まで、相亀は気づくことなく、ひたすらにハエ人間の姿を追っていた。


 ハエ人間を目で捕捉することは不可能と分かっているから、姿を現す瞬間だけを狙って、意識をそこに集中させていた。

 それによって相亀は全く移動していないことにようやく気がついた。


 さっきから相亀はノワールと共に立ち尽くすばかりで、ハエ人間を追おうともしていない。

 もちろん、目視で確認できない相手を追えるのかと言われたら、不可能だと現状の相亀は答えるしかないが、それでもハエ人間の攻撃をぶれされる要因にはなったはずだ。


 それができたら、ハエ人間に攻撃を叩き込む隙も生まれたかもしれない。


 今更ながらにそう思っても、土煙に覆われた今、それだけの行動を取れるとは考えづらい。


 やってしまった。相亀は後悔しながらも、今から何とか対応する方法を見つけ出そうと、頭を働かせようとした。


 その思考の遅さが相亀に当然の事実を気づかせないように、再び蓋をしてしまっていたようだ。


 相亀はその場からの移動を考えることなく、考えようとしてしまったがために、前方に現れたハエ人間の拳から逃れる術がなかった。


 ハエ人間の姿を発見した直後、相亀は反射的に腕を上げて、正面からの強い衝撃を受け止めたが、それでもダメージは大きかった。防御もあまりに十分とは言えないもので、腕は大きな痺れに襲われている。しばらくは使い物にならないだろう。


 一度、後退するべきだ。


 その考えから相亀が背後に跳び、その場から離れようとした瞬間、背後を見ていたノワールが背中を引っ掻いた。その痛みに相亀は振り返り、その場に広がる土煙の中から、相亀に向かって伸びてくる黒い腕を見つける。


 それは間違いなく、ハエ人間の腕だ。


 そのことを理解した瞬間、相亀は咄嗟に身体を回転させ、大きく足を振り上げた。さっきの防御でダメージを負った腕を上げる時間はない。防御するなら、これしかないと判断してのことだったが、ハエ人間の腕は不安定な体勢から蹴り上げられるほど、柔なものではなかった。


 相亀の身体を拳が掠り、相亀はノワールを庇うように体勢を変えながら、公園の中を転がっていく。地面の土を起こすように転がりながら、そこから膨らむ土煙を視界の端で捉え、相亀は今のハエ人間の動きに疑問を持った。


 それまでは相亀が移動するという当然の行動を忘れ、それ故に土煙の中でも狙いを定めることができていた。


 だが、今は逃げようと移動している最中に攻撃してきた。その特定をあの土煙の中で、どのようにしたのか、相亀には理解できない。


 ハエ人間には自分にはない能力があるのか。そう考えながら、何とか身体を起こそうと相亀は努めたが、さっきの防御で生まれた痺れは両腕から力を奪い、うまく上体を起こすことができなかった。


 移動できなかったら、さっきまでの失敗を繰り返すことになる。何としてでも移動しないと。


 そう気張っても、入らない力が戻ってくることはない。苦悶の表情で必死に起き上がろうとする相亀を見て、ノワールも焦ったように表情を引き攣らせていた。


 その時のことだ。ノワールの反応から、本人は無意識だったのだろうが、相亀の肩の上でノワールから僅かにそよ風が吹いた。それが相亀の頬を撫でて、公園の中に広がる土煙を僅かに動かす。


 その直後、相亀の前方にハエ人間が拳を落とした。

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