五月蝿く聞くより目を光らす(12)

 頭部に生えた短い触覚も、顔の大部分を埋める大きな複眼も、背中に生えた特徴的な羽も、全てがハエの特徴と酷似し、さながら、ハエをモチーフにした特撮ヒーローのようだった。

 それに加え、姿を消す一瞬、僅かに相亀の肌に触れた感覚は、妖怪のそれと酷似したものだった。ハエ人間を発見する直前、ノワールが鼻を動かしていたことを思い出し、相亀はその理由をようやく理解する。


 しかし、それら冷静な思考もそこまでだった。ハエ人間が姿を消した直後、猛烈な破壊音と同時に、椋居の座っていたベンチを中心に土煙が立ち、相亀の理性は吹き飛んだ。


「椋居!」


 相亀が咄嗟に声を荒げる中、ベンチを覆っていた土煙がゆっくりと晴れ始めた。ベンチから離れていたはずのハエ人間の姿が見え、ベンチのあった場所で屈んでいることが見て取れる。


 そして、その下。屈んだハエ人間の下で、椋居が倒れ込んでいた。頭をハエ人間の手に掴まれ、ハエ人間の手や地面を赤く染めている。


「椋居!?」


 咄嗟に相亀は走り出し、ハエ人間に向かって足を振るった。爪先は確かにハエ人間の身体を捕らえ、相亀はハエ人間の身体を蹴り飛ばしたつもりだったが、それを振り切った段階でハエ人間の姿は消え、いつの間にか、最初に発見した場所に立っていた。


「今、蹴って……?」


 その速度に相亀が呆然とした直後、相亀の意識を引き戻すように背後から犬の鳴き声が聞こえてきた。振り返ると、ノワールが血塗れの椋居の傍に寄り、必死に相亀に吠えている。


「あ、ああ!」


 慌てて相亀は椋居に駆け寄り、椋居の状態を確認する。


 先程の土煙からの派手さから、相亀は椋居が助からないほどの傷を負っている可能性を危惧していたが、どうやら、土煙自体はベンチが壊れた際に発生したもののようで、椋居の傷自体は思っていたよりも浅かった。


 それでも、頭を地面に叩きつけられた衝撃も考えると、重傷であることは間違いない。相亀は咄嗟に辺りを見回し、何とかその場でできる応急処置を施そうと考えた。

 最低でも、出血を止めないと助からない可能性がある。


 医療に関する知識はなかったが、幸いにも仙技に関する知識はあった。医療系の仙技を知っているわけではないが、仙気を用いた止血方法くらいは熟知している。相亀は自身の上着を媒介に椋居の止血を施すために、仙気を用いることにした。


 椋居の出血が止めると、相亀はスマホを取り出し、救急車を急いで呼び出そうとする。番号を打ち、電話に出ようとした。


 その直前のことだ。近くにいるノワールがワンと吠え、相亀の袖を引っ張った。

 その行動に相亀の視線が動き、背後に目を向けた瞬間、目の前にハエ人間が立ち、自身に向かって足を掲げている姿を発見した。


 瞬間、相亀は腕を上げ、ハエ人間の足を受けた。それによって直撃自体は避けられたが、十分とは言えない防御態勢だった上に、咄嗟のことで仙気も十分に使えなかった。

 相亀の身体は軽く吹き飛び、公園の中を数回転がり、ようやく止まった。


(速ぇ……)


 ゆっくりと起き上がりながら、思わず頭の中で呟いてから、相亀はその言葉がハエ人間と少しかかっていることに気づき、苦笑した。

 つまらないことを考えている状況ではない。すぐに自分を戒めて、相亀はハエ人間を見ようとする。


 しかし、その時にはもう、ハエ人間が相亀の眼前に迫っていた。


 振り下ろされる拳。相亀は反射的に背後に身体を逸らし、それを躱すことに成功したが、地面にぶつかった拳は公園に罅を作り、その威力の高さを見せつけてくる。


「こいつは…死にそう……」


 直撃した瞬間ことを想像し、思わず呟いた相亀の前で、再びハエ人間の姿が消えた。


 その距離になってようやく気づいたのだが、ハエ人間は消える瞬間に羽音を残すようだ。強烈なハエの羽音が耳の奥に残り、相亀はそれを追うように視線を動かしてしまった。


 しかし、その軌道にハエ人間の姿はなかった。


「しまっ……」


 罠か、単純に速度が音を超えているのか。隙を晒してしまったと相亀が後悔した直後、相亀の背後から犬の鳴き声が聞こえてきた。


 ノワールの声だ。そう分かった相亀がその声に引き寄せられるように振り返った瞬間、その場にハエ人間が現れた。


 そこからの数秒は、ほとんど相亀の意識にないことだ。ラウド・ディールとの特訓とも言えない逃げ回る日々を続け、意識的にではなく、反射的に身体を動かすことに適応してきていたのかもしれない。


 ハエ人間の姿を見た直後、そのハエ人間の振るう拳が被弾するよりも先に、相亀は拳を振るっていた。

 ハエ人間の身体が吹き飛び、相亀は瞬間的に息を爆発させるように、荒い呼吸を始める。


「何か、殴れた……」


 静かな喜びを沸かせながら、小さく呟いた相亀の前で、吹き飛んだハエ人間が身体を起こす。


 その時、相亀はハエ人間の体表に、不自然な罅が入っていることに気づいた。それが何であるのかと考えるよりも先に、罅から体表の一部が崩れて、地面に落ちていく。それらは地面にぶつかると、そこで途端に粉々になり、地面と同化した。


「土……?」


 そう呟いた相亀の前で、再びハエ人間が姿を消した。

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