五月蝿く聞くより目を光らす(11)
手段の一つも確立できないまま、相亀はノワールのリードを握っていた。先頭を切って歩くノワールを見つめながら、相亀は未だ頭を働かせるが、ノワールと意思疎通を図る方法など思いつくはずもない。
もしもそれが可能なら、全世界の愛犬家が大喜びするはずであり、それができるのなら、相亀の仕事はもっと楽に進むはずだ。
頭を悩ませる相亀とは対照的に、相亀の隣を歩く椋居は楽しげにノワールを眺めていた。
「犬の散歩なんて初めてかもしれない。結構、大人しい犬なんだな。初めてなのに噛まれるどころか、吠えもされなかった」
「ああ、まあ……」
妖怪だから、と言いかけた言葉を飲み込み、相亀は引き続き頭を働かせていた。
椋居のアシストによって、散歩という時間稼ぎができたところまでは良かったのだが、この椋居自体も相亀からすると障害の一つだった。
椋居がいることで相亀は妖怪の話を持ち出せない。ノワールと大っぴらに会話を試みることもできない。
そもそも、幸善の周囲に人型が潜んでいる可能性が高いのではないか、という疑いが浮上し、その疑いを調べている状態なのだが、その周囲が特定されたわけではない。
七実の言っていたように、幸善や相亀の通う学校に人型が潜んでいる可能性もある上、相亀の全く知らない幸善の交友関係の中に、人型が潜んでいる可能性も十分にある。
相亀が調べられる範囲の中で、その尻尾を掴むこともできないが、その中で疑いがあるとしたらどこだろうかと考えた時に、思い浮かんだ一つがノワールだっただけだ。
実際にノワールが人型と通じているかと聞かれたら、相亀には良く分からないが、可能性としてはある程度に思える。やはり、幸善の家族とも通じているところを考えるに、人型と接触する機会は多くなさそうだ。
それでも、相亀の知っている幸善の交友関係の中だと疑わしい方なので、調べるしかないとは思っているのだが、ここに来て八方塞がりだ。
このままだと普通に散歩して終わりそう。相亀がそう危惧した時に、先頭を歩いていたノワールが立ち止まった。
どうやら、千明の言っていた公園に到着したらしい。
「ここが言ってた公園か」
椋居がそう口にすると、軽く振り返ってから、ノワールが公園の中に歩き出した。それについていく形で相亀と椋居も公園の中に入っていく。
住宅街のど真ん中にあることもあって、特別広くない公園だが、遊具はいくつか置いてあった。ただし、それも少なくなっているようで、いくつか遊具があったと思われる跡も見られた。
「誰もいないな」
公園の中を見回し、椋居がそう呟いた。遊ぶ子供どころか、鳩一羽すらいない。
「もうすぐ下校時刻だから、もう小学生は帰ったんだろう。誰もいないなら、犬の散歩には好都合なんじゃないか?」
理性的に生活する妖怪のノワールは別だが、本能的に生活する犬の中には、さっき椋居が危惧したように吠えたり、噛んだりする犬もいる。そういう犬は人のいる場所に近づけないはずなので、こういう公園の方が散歩しやすいだろう。
ただし、相亀も犬の散歩をしたことはないので、これも予想に過ぎない。
「それで公園に来て何をするんだ?ボールでも投げるか?」
「投げるか?」
相亀がノワールに聞いてみると、ノワールは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。ボールに興味はないらしい。それが分かったのか、椋居も苦笑いしている。
「なら、普通に公園の中を回るか」
そう相亀が口に出した直後、椋居が近くに設置された小さなベンチを指差した。
「それなら、俺はそこで待ってるから。行ってこいよ」
「はあ?一人で休む気かよ?」
「いや、だって、二人っきりの方が戯れやすいだろう?」
自分の目を気にすることなく、ノワールと遊んでくるがいい。椋居の心の声が聞こえ、相亀は表情を引き攣らせた。
言いたいことは山程あったが、椋居がいなくなることで妖怪のことを話せるところもある。その機会を潰す必要もないだろうと思い、相亀は湧いてきた文句を飲み込み、ノワールと二人で公園の中を歩き出した。
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
相亀が先を歩くノワールに声をかけてみると、ノワールは草むら近くで立ち止まり、相亀に目を向けてくる。聞いていることに間違いはない。
「お前って人型と繋がってたりする?」
他に聞き方が思い浮かばなかったので、直接的に聞いてみたら、ノワールは嘲笑するように鼻を鳴らし、小さくワンと吠えた。
やはり、何を言っているか分からない。そう思って、相亀は眉を顰める。
「なあ、声だと分からないから、何か他の手段は使えないか?文字とか読めないか?」
そう言ってみるが、犬に向かって何を言っているのだと相亀は馬鹿らしく思う。文字など読めないで普通、読めたら奇跡だ。
あり得ないと自分自身で却下した瞬間、ノワールが立ち止まった。
まさか、文字が読めるのかと一瞬、相亀は考えてしまったが、ノワールは相亀を見ることなく、どこか余所を向いたまま固まってしまった。読めると答えるわけではないらしい。
「ああ、悪い。変なことを言った。ちょっと考えるから待ってくれ」
そう声をかけてから再び考えようとしたが、その前にノワールが相亀の声に一切反応していないことに気がついた。
「おい、どうした?聞いてるか?」
ノワールの様子を確認するために屈み込んでみてから、相亀はノワールの鼻がピクピクと動いていることに気づく。まるで何かの匂いを嗅いでいるようだ。
そう思った直後、さっき椋居が指差したベンチの方から声が聞こえた。
「何だ、あれ?コスプレ?」
その椋居の声が聞こえ、振り返った相亀が一点を見つめたままの椋居の姿を発見する。その視線の向かう先は、奇しくもノワールが向いたまま固まった方向と同じで、その視線を追いかけるように相亀も、その先に自然と目を向けていた。
そこで、そこに立つ人を発見した。
正確には、それが人であるのか怪しいところだった。
確かに二本足で立ち、すらりと伸びた身長は成人男性と同じくらいだったが、その姿は人とは思えないポイントがあった。
特に胴部から頭部にかけての形状や色、質感は人のものではなく、相亀の知っているもので例えるとするなら、別の名前が真っ先に思い浮かぶものだった。
「ハエ……?」
そう相亀が呟いた直後、そこに立っていた人が消え、凄まじい破壊音と共に椋居の座っていたベンチが吹き飛んだ。
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