役立たずの兜に花を供える(6)

「驚いたわ。一切、気づかなかったもの。人混みの中をあれだけ近くまで移動してくれなかったら、気づかないままだったかもしれないわ」


 軽く微笑みながら、驚きを口にする外国人女性を前にして、厄野は完全に混乱していた。


 元から女性の言葉は理解できないものだが、声自体は音として耳に届くものだ。たとえ意味を理解できないとしても、喋っていることは目や耳から分かることなのだが、この時の厄野はそれすらも理解できていなかった。


 ひたすらに今の状況を理解するために、何度も頭の中に現状を並べて、厄野は必死に思考する。


 まず、女性に存在を気づかれ、こうして接触している時点で問題だ。目の前の女性が戦闘員か非戦闘員か分からないが、11番目の男の関係者である可能性が高い以上、接触は絶対に避けなければいけないことだった。

 それを失敗してしまった以上、厄野は目の前の女性と相対する覚悟を持たなければいけない。


 そう思うのだが、覚悟というものはそう簡単に決まるものではなかった。そもそも、厄野は戦闘に向いていない。それは性格面よりも、自身の扱う仙技の面から分かり切っていることだ。


 鬼山から直々に任されたところからも分かる通り、尾行などの隠密行動でこそ、厄野の才は十分に発揮されるのであり、こうして面と向かった時点で厄野の敗色は濃厚だ。


 それでも、見す見す殺されるわけにもいかないので、戦闘となったら、厄野にできる限りの抵抗はしなければいけない。


 そう思った厄野に湧いてきた二つ目の疑問が、現在こうして女性が厄野の隣にいる理由だった。


 最初もそうだったが、女性の行動は唐突だった。厄野がスマホを確認する一瞬、スマホに目を落とした隙に姿を消し、気づいた時には厄野の背後に立っていた。


 目の前の光景からスマホに目を落とす時間となれば、かかってもニ、三秒が限度だ。それだけの時間の間に姿を消し、厄野の背後に回ることは常人には不可能である。


 それだけでなく、今も厄野は人混みの中を掻き分け、必死に逃げた先で落ちついたはずだった。あの人混みを移動する時間を考えたら、厄野を追いかけてくることはあっても、厄野の隣に厄野が気づかない間に屈み込んでいることはあり得ない。


 それを可能にするとしたら、そこに常識的にはあり得ない力が絡んでいることになる。

 仙技か仙術、妖怪なら妖術も考えられるところだが、隣に立つ女性は妖気ではなく、確かに仙気を放っていることから、それはないだろう。


 つまり、仙技か仙術に限定されるのだが、11番目の男関連の報告書に目を通していた厄野は、11番目の男の関係者に仙術使いがいることを知っていた。


 もしも、目の前の女性がその仙術使いなら、その相手を厄野にできるとは思えない。攻撃に向いているかどうかの違いはあっても、仙術が仙技に劣ることはないはずだ。

 況してや、戦闘に向かない厄野の仙技で相手にできる可能性は万に一つもない。


 厄野の思考が一応の帰結を迎えた直後、厄野は自身の視界を横切る何かに気づいた。それが何であるか考えるまでもなく、厄野は目の前の光景を理解し、咄嗟に後退った。


「ああ、ようやく反応があった?大丈夫?死んじゃったかと思ったわよ」


 小さく朗らかに笑いながら、外国人女性は厄野の顔の前で振るっていた手を引っ込めた。


 厄野はあまりの混乱から、目の前の状況を整理し、考えをまとめることに時間を割いてしまったが、その間に殺されていたかもしれないと気づき、抑え切れない動悸に襲われた。数分間、息を止めていたように、荒々しい呼吸をしている。


「さて、盗撮はされなかったから良かったのだけど、やはり顔を見られたのは困るのよね。目的のためには自由に動けることが何よりだから。できれば、話さないで欲しいのだけど、さっきから話が通じているようでもないみたいだし、交渉できるわけもないわよね?」


 小首を傾げる外国人女性に厄野は特に反応を示すことがなかった。さっきから何かを言われていることは分かるのだが、何を言われているかは一切分からない。


 せめて、英語の字幕が視界の下の方に出たら、そこから意味を汲み取ることができるかもしれないのだが、それもないとなると英語を聞き取ることすら難しい。何を言っているのか理解しようにも、何を言っているのか聞き取れないから、意味を考えることもできない。


「やっぱり、できそうにないわね。仕方ないわね」


 そう呟き、女性は溜め息を吐いてから、さっきまで浮かべていた微笑みを消し、眼光鋭く厄野を見てきた。


「殺しましょう」


 最後の一言は何故かはっきりと聞き取ることができ、厄野は全身を小さく震わせて、思わず後退ろうとした。


 そこで足が自由に動かないことに気づき、その原因を知ろうと、女性から完全に目を離さないように気をつけながら、自身の足元に目を向ける。


 コンクリートの隙間から伸びた雑草。それが厄野の足に絡んでいることに気づき、厄野が目を丸くした直後、その足に絡んだ雑草が少し伸び、その先に綺麗な花を咲かせた。

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