希望の星は大海に落ちる(24)

 始まりはキャビンアテンダントだった。唐突に立ち上がり、座席から大きく離れた御柱と幸善を注意しようとしたようだ。険しい顔で二人に声をかけながら、幸善が座っていた座席に近づき、そこで座席から身体を生やした状態の人型を発見した。


 その光景に一瞬、キャビンアテンダントは硬直した。状況の理解ができなかったのだろう。妖怪という存在を知っている御柱や幸善でも、理解まで時間がかかるのだから、それも仕方ない。


 しかし、それも一瞬のことだ。理解のできない状況は速やかに恐怖へと変換され、キャビンアテンダントの口は自然と開かれた。


 そこから悲鳴が飛び出し、その悲鳴に引き寄せられるように、乗客の視線がすぐに御柱達に集められた。歪な人型の姿は一瞬で乗客の視界に飛び込み、それと共に聞こえた悲鳴が、乗客の理解や理性を超えて、本能的に恐怖を擽る。


 そこまで来ると、機内がパニックになるまで時間はかからなかった。混乱した乗客が人型から逃げるように立ち上がり、キャビンアテンダントの制止する声も聞かず、安全な場所を求めて移動を始める。


 しかし、ここは太平洋上空だ。どこに逃げても、飛行機の中である以上、安全な場所などない。その絶望感が乗客を包み込み、パニックは押さえられないほどに広がっているように見えた。


「厄介なことになった……」


 その状況を見ながら、御柱は口元を歪めた。これだけの混乱が起きてしまうと、機内がどうなってしまうか分かったものではない。一刻も早く、目の前の人型を仕留めて、この混乱を鎮める必要があるが、目の前の人型は序列持ちや三頭仙が対応して、ようやく対応できるレベルの人型だ。


 どう対応するのが正解か。御柱が頭を悩ませる隣で、混乱する乗客を眺めていた幸善が顔を近づけてきた。


「御柱さん。俺達にあいつを倒すことは恐らく不可能です。なので、この飛行機から落とすことはできませんか?ここなら、落ちても下は海のはずです」


 乗客が逃げ場を失い、混乱が広がっている理由が孤立しているからだとしたら、その空間から人型を離すことで、人型はこの機内に戻ってくることができなくなる。

 手段としては最善に思えたが、問題は相手が人型である点だ。それが簡単にできる相手ではない。


「それで具体的な方法は?何か策でもあるのか?」

「ビックリするかもしれませんけど、全く何もないです」

「想定内だ」


 御柱と幸善が作戦を練っている間に、人型は座席から下半身を生み出し始めていた。もうすぐで人型は完全体となるが、それを待つほど御柱も幸善も優しくはない。ここで仕掛けないと勝てないと判断し、御柱と幸善は揃って動き出そうとした。


 その瞬間、人型の腕が大きく動き出し、破裂するように膨らんだかと思うと、御柱に向かって大木のように腕を伸ばしてきた。御柱は咄嗟に両腕を仙気で保護し、その大木を受け止めるが、そこでようやく状況の悪さに気づく。


 人型の攻撃は全て飛行機に致命的なダメージを与えかねないものだ。その攻撃を避けることも、逸らすことも、御柱達には許されていない。


 下半身が生えるかどうかは関係なく、時間をかけることは許されない。そう気づいた御柱が幸善に声をかけるよりも前に、幸善は独断で人型に接近していた。


「やっぱり、こいつが一番手っ取り早いでしょう!」


 幸善は自身の座っていた座席から引き剥がすように人型を持ち上げると、窓際に駆け寄って、その窓を割ろうとする。


「待て、頼堂!ここには一般客がいる!できるだけの被害は避けたい!」

「なら、どうしたら……」


 幸善が人型を投げる体勢のまま動きを止めると、その瞬間を狙っていたように人型の身体が伸びて、植物が蔓を伸ばすように幸善の身体に巻きついた。


「ぐがが……首が……」


 幸善は首が絞められているようで、苦しそうに自身の首元に巻きついた肉を引っ掻いている。


 その姿に時間のなさを改めて感じた御柱が周囲を見回し、搭乗の際に使用したドアを見つけた。御柱はその前まで駆け寄り、苦しそうに表情を歪める幸善を見る。


「頼堂!こちらに来れるか!?」


 その質問に大きく頷くように、幸善は身体をくの字に曲げてから、脚部に力を入れていた。足にまで絡んだ肉で自由は奪われているようだが、何とか跳躍で移動しようとしているようだ。


 その間に御柱はドアを開くことに成功する。正直なところ、開き方は分からなかったのだが、各部に仙気を押し込み、無理矢理にドア全体を動かしてみたところ、それがうまく嵌まったようで、ドアは無事に壊れることなく開いた。


 そこに滑り込むように幸善が到着し、御柱は仙気を集めた片手を大きく振り上げた。


「頼堂、動くな」


 そう呟いてから、御柱は掲げた手刀を一気に振り下ろす。


 その手刀の軌道に合わせて、幸善の身体を拘束していた肉が、順番に切断されていった。拘束が緩んだ瞬間を狙い、幸善は頭を跳ね上げて、人型の身体を機外に放り出している。


「御柱さん!破片も外に投げます!」


 幸善がそう告げる前に御柱は動き出し、御柱が切断したことで生まれた肉片も、ドアの外に投げ飛ばしていた。


「危なかった……」


 無事に対処できたことに安堵し、御柱と幸善は大きく息を吐き出した。御柱が吹き飛ばされる前にドアを閉めようと、開き切ったドアに手を伸ばす隣で、幸善は不思議そうに自分の背後に目を向けている。


「しかし、どうして……?」

「本部に現れた時もそうだが、身体に一部だけ付着させていた可能性がある。それなら、人型の意思で身体を増殖させない限りは発見できない。微量な妖気もお前の身体なら疑問に思わないからな」

「まさか、俺にくっついて移動しようとしているとか?」


 人型の取った植物の種のような行動に、幸善は顔を青くしながら、自分の背中を見ようとしていた。その隣で御柱の手がドアを掴み、そのドアを一気に閉めようとする。


 その直前のことだ。閉まる前にドアの外側から、細長い肉がロープのように機内に飛び込み、幸善の身体に巻きついた。


「なっ……!?」


 幸善が思わず声を出し、御柱は咄嗟に手刀を構える。もう一度、切断しようと思い、その肉に向かって、御柱が手刀を振り下ろした。


 しかし、その手刀が到達する直前、ロープのように伸びた肉が一瞬で縮み、幸善の身体が機外に運び出された。


「頼堂!?」


 咄嗟に御柱は手を伸ばすが、幸善を引く力はあまりに強く、御柱が手を伸ばした時には、既に手の届かない位置に幸善の身体が連れていかれていた。


 そこから一秒も待たずして、幸善の身体は御柱の目の前で落下を始めた。すぐに雲の中に入り込み、幸善と人型は揃って御柱の視界から消える。


「まさか……?頼堂……?」


 残された御柱はその光景を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。

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