憧れよりも恋を重視する(15)

 合法的放浪は久方ぶりだった。聊か間抜けに見えるかと思いながらも、堪え切れない高揚感を足に宿し、軽やかなステップで秋奈は公園を後にする。


 こっそりと公園を抜ける日々を繰り返すこと幾星霜。秋奈の心はいつの間にか、存在しない独房に囚われていたようだ。

 娑婆はこんなに良いものなのか、とさっきまで刑務所に入っていたかのような台詞を口にしそうになるほど、秋奈の心は軽やかに躍っていた。


 公園を颯爽と後にしてから、秋奈は気の向くままに街の徘徊を開始した。誰かに見つかる危険性を考慮することなく、自由に買い物に行ける時は数少ない。

 この間に買えるだけ買っておこうと、秋奈は冬眠前の熊のような思考で、駅のある方向に歩いていた。


 その途中のことだった。普段なら周囲に意識を向け、誰が近くを歩いているとか、そういう一つ一つを確認するところなのだが、今日は気にする必要がないと、周囲の一切を意識の外側に置いていたその場所から、唐突に秋奈を呼ぶ声が飛んできた。


「秋奈さん」


 その声にいつもの調子で動揺し、秋奈はぎこちなく、機械人形に成り果てたように首を回転させる。

 その声の聞こえた場所には、秋奈も見慣れた少女が三人立っており、三者三様の表情で秋奈を見ていた。


「秋奈さん?こんなところで奇遇ですね」


 軽く驚いた表情の美藤びとうしずくが驚きをそのまま言葉に変換したようにそう言った。


「また抜け出したんですか?」


 呆れた表情の浅河あさかわ仁海ひとみが溜め息交じりにそう言った。


「常習犯」


 標準装備の無表情で皐月さつき凛子りんこがそう言った。


 三人の反応を目の前に秋奈は一頻りあわあわとしてから、自分の状況を思い出し、今日は遠慮する必要がないと胸を張る。


「今日は支部長からの許可があるから、別に抜け出したわけじゃないの!」

「本当に?」


 秋奈がどれだけ胸を張って答えても、浅河は終始疑わしそうな目を向けてきたが、秋奈の言葉には一縷の嘘も紛れていなかった。実際に今回は許可がある。


「あ、もしかして」


 不意に何かを思い出したように美藤が声を出し、浅河と皐月に耳打ちをする。それを聞いた二人が納得したように頷き、秋奈の顔をじっと見てきた。


「疑ってごめんなさい」

「え?」

「許可制だった」

「え?え?」


 二人の掌返しに驚く秋奈とは裏腹に、三人は秋奈が外に出ている理由を完全に把握したようだ。小さく呟く声は「仕方ないね」とか、「外に出すよね」というような鬼山の行動を肯定するものばかりである。


「何か、良く分からないけど…三人は何をしてたの?」

「普通に遊びに行くところですよ。休みですから」


 休みだから普通に遊びに行く。その当たり前としか思えない美藤の発言に秋奈は酷く動揺していた。


「あっ、あっ、そうだよね。休みなら遊びに行くよね」


 その様子をじっと見つめていた浅河の目が再び冷たいものに変わり、ゆっくりと口を開く。


「まあ、秋奈さんは休みじゃなくても遊びに行きますからね」


 その言葉に秋奈は急な痛みに襲われたように胸を押さえ、その場に座り込んだ。浅河の言葉が深く鋭く秋奈の胸に刺さる。


「まあ、許可があるなら、ゆっくり遊んでくださいね。いつも通り」

「最後の一言はいらないよね?ね?」


 秋奈に手を振りながら立ち去る美藤達を見送り、秋奈は途方に暮れ始めた。確かに言われたら、普段の秋奈は真面に仕事と呼べる仕事をしていない。


 もちろん、特級仙人であり、序列持ちと呼ばれる秋奈に仕事が回ってこないという理由もあるが、それにしても自由にし過ぎている嫌いがある。


 たまには仙人としての立場を全うする、それなりの役割を果たすべきなのではないかと秋奈は考え始め、そのために気がついたら歩き出していた。目的地は買い物に向かっていた店ではない。


 とはいえ、鬼山に追い出された以上、ただで戻ると怒られるだけだ。何か戻るための理由を見つけないといけない。


 そう思い、秋奈は適当な店に入り、Q支部に戻るだけの理由を作ろうと考えた。手土産があれば、それだけで戻る理由として誤魔化せるかもしれない。


 しかし、手土産は外せば地獄となる。ある程度の目星はつけた上で選びたいと思い、秋奈は軽石から聞いていた恋路の職場であるラバーズマートを訪れた。秋奈も何度か訪れたことのあるコンビニだ。

 そこで一人の店員に声をかける。


「すみません。少しいいですか?」

「何でしょうか?」

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど。この店で働いている恋路さんって、どういう方ですかね?」


 そう聞いてから、秋奈は唐突にこのようなことを聞いても教えてくれないかと思った。先に理由を説明するべきだったと思い、その理由を口にしようとした瞬間、一人の店員が不思議そうな顔で口を開いた。


?」

「え?」

「うちにそのような人はいないと思いますよ」

「いや、でも、私は何度か、ここで見ましたよ。髪の赤い男性が働いていましたよね?」

「そのような奇抜な人は応募があってもので」


 その店員はとても嘘を言っている雰囲気ではなかった上に、実際に求人情報を見せてもらったが、確かにそのように記載されていた。


 それなら、秋奈が何度か見た働く恋路はどういうことだったのか。そのように思った直後、恋路が軽石と一緒にQ支部に向かっていることを思い出した。

 秋奈は咄嗟にスマホを取り出し、時刻を確認する。予定通りなら、既に軽石はQ支部に恋路を案内しているはずだ。


 買い物を中断し、ラバーズマートを飛び出しながら、秋奈は慌てて鬼山に電話をかけた。何度かコール音が聞こえてくるが、鬼山が通話に出る雰囲気はない。


 何か起きている。秋奈はそれを理解し、Q支部に向かって急いで走り出した。

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