星は遠くで輝いている(33)

「十…十一の時だったかな?同級生がイジメられている現場を目撃したんだ」


 テーブルに座ると同時に、持ってきたトマトジュースを啜りながら、ダーカーの始めた唐突な自分語りに幸善は困惑した。

 唐突に話し始めたこともそうだが、話し始めた内容も反応の困るものだ。どのように言葉を返したらいいのか分からない。


 ただ少し空いた間を埋める必要はあるかと思って、幸善は口にしていた。


「それを止めたんですか?」


 その問いに対して、ダーカーはかぶりを振った。


「いいや、当時の俺は何もできなかったよ。ただ目撃しただけで、何もできることはないまま、しばらくして、その子の姿は見なくなった。死んだわけじゃないよ。死んだわけではないんだ」


 その言い方が少し気になったが、それを深掘りできるほどに幸善の心は強くなかった。

 ダーカーの言葉の裏に何があるのか分からないが、そこを覗くのに生半可な覚悟ではいけない。それだけは分かった。


「その後、何年後だったかな?家の近くにね。アジア人が住んでいたんだ。どこの国か聞かなかったから知らないけど、とても上手とは言えない英語を話していたのを覚えているよ。特別に仲が良かったわけじゃないけど、気さくな良い人だったから、顔を合わせたら挨拶するくらいの関係ではあったんだよ」


 ダーカーが口元にコップを運び、その仕草に幸善は身構えた。

 それが次に出る言葉の燃料に見え、それが必要な言葉が飛び出てくると、何となく分かってしまった。


「その人がね。亡くなったんだよ。観光客を狙った若者達がいてね。そいつらに観光客と間違われて、暴行を受けたそうなんだ。病院に運び込まれた時には意識がなくて、そこからすぐに亡くなったって聞いたよ」


 そこでダーカーの手がテーブルの上に落ち、その拍子にそれまで柔らかな笑みを浮かべていた表情が一変した。

 何も感情の見えない、真顔のお手本のような表情だ。その表情は幸善に恐怖を感じさせるほどで、幸善は口の中が乾燥する感覚を覚えた。


「それから、更に数年経って、俺は一人の女性と逢ったんだ。とても仲が良かったんだよ。恋人と言える関係ではなかったけど、その人に褒められて、歌を歌おうと初めて思ったりもしたんだ。Noir.の原点と言える人だね」


 ダーカーは軽く部屋の片隅に目を移した。そこには閉じられたノートパソコンが置いてある。


「その子がね。ある日、いなくなったんだ。俺の前から突然、消えたんだよ。身体はちゃんとあったんだけどね。でも、その子はもういなくなったんだ」


 死んだ。直接的に表現したらそういうことなのだろうが、ダーカーはそれを避けるように、別の言い回しを探しているようだった。


 それは未だにその現実と目を合わせたくないというダーカーの意思を示すようで、幸善はそれをちゃんと確認しようとは思わなかった。思えなかった。


「聞くところによると家庭内で問題があったらしくて、父親はそこからすぐに警察に捕まっていたよ。それを俺が知ったのは、彼女がなくなってからで、それまでは何も気づかなかったんだ。本当に馬鹿だと思うだろう?」


 自虐的に呟いたダーカーの前で幸善は動けなかった。

 首肯できる話ではない。誰かが責められる話ではない。


「その子がいなくなった時に、俺はいろいろと恨んだんだよ。世の中とか、彼女の親とか、俺自身とか。そういうことを考えている最中にね。俺は気づいたんだ、自分の力に」


 特別な力を持ったダーカーには選択権が与えられた。その力を奇隠の仙人として振るうか、自分自身の気持ちを解消するために振るうか。


「それでラスさんはどうしたんですか?」

「彼女の親を殺そうと思ったよ。嘘偽りなくね。でも、その前に彼女の歌を見つけてしまったんだよ」

「歌?」

「そう。俺に歌って欲しいからって、彼女が詩を書いてたんだよ。自分の境遇に対する不満と、そういう理不尽が存在する世界に対する不満、そういう壁を壊してくれる人に対する希望の歌だよ。それを見た時、俺はそういう人になってあげるべきなのかもしれないって思ったんだ。彼女のために」


 ダーカーの瞳が幸善よりも遠くを見ていることに幸善は気づいた。その目が何を見ているのか分からないが、その目はとても優しいものに見える。


「だから、俺はNoir.を作り、奇隠の仙人になったんだ。小さい頃から見てきたいろいろな隔たりの全てを壊すために。そういうもののない場所を作るために」


 そう言ってから、ダーカーが幸善の顔を見た。その表情はさっきから変わらない柔らかな笑みの浮かんだものだ。


「それが俺の始まりなんだ。だから、実は俺もね。君と同じで、本当は人と妖怪が共存できる世界を望んでいるんだよ。でも、俺は諦めた。いや、逃げたという言い方が正確かもしれないね」

「じゃあ、俺にさっきの質問をした理由って?」

「期待だよ。俺には無理だったことも君ならできるかもしれないって思ったんだ。だから、君の覚悟を知りたかった」


 ダーカーが例のチケットを取り出し、幸善の前に置いてきた。それを差し出しながら、ダーカーは柔らかな笑みを少し邪悪なものに変える。


「これは君にあげるよ。投資だね。君が変えてくれることに期待しているよ」


 その重たい期待の言葉に、幸善はようやく頭を動かすことができた。

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