星は遠くで輝いている(10)

 触れただけで切れそうなピンと張りつめた雰囲気に、幸善は居場所を見失ったようにキョロキョロと辺りを見回していた。

 東雲が一つ質問をしただけのはずなのだが、その場の雰囲気は正に一触即発と言えるもので、幸善は自分の知らない間に何かしらの攻撃があったのかと錯乱するほどだった。


 その雰囲気の中で同じように戸惑っている人物がいた。


 それが水月だ。幸善と同じように辺りを見回し、その場の全員の反応に不思議そうな顔をしている。


「どうなの?」


 戸惑いから返答が遅れた水月を急かすように、東雲が再度、質問を投げかけた。その表情は崩れることなく笑顔であり、その口調は非常に穏やかなものだ。


 そのはずだが、その一言に幸善と水月以外の全員がピクリと反応し、口からコンクリートを流し込まれたのかと思うほどに一切動かなくなった。

 その様子に目を丸くしながら、水月が東雲の質問に答えるために東雲を笑顔で見た。


「そうですね。一緒に働くくらいには」


 水月がその返答を口にした瞬間、グラスを口に当てたままの体勢で、相亀が幸善の袖を掴んできた。どうしたのかと思った幸善が相亀を見ると、相亀は視線だけを幸善に向けて、必死に何かを訴えかけている。


 その凄まじい目は苦しさも感じさせるものだが、苦しいのならグラスを離すようにジェスチャーで伝えても離さないので、そういうことではないようだ。


 なら、一体何なのかと幸善が思っていたら、水月の返答を聞いた東雲が再度、質問を投げかけていた。


「そうなの…そんなに仲が良かったら、二人っきりで外出とか、そういうこともあるのかな?」


 その質問を東雲が口に出した直後、相亀の手元から不穏な音が聞こえてきた。幸善が目を向けると、相亀の手元から太腿に向かって、相亀の頼んだメロンソーダが垂れているところを見つける。


「おい、お前…グラスを割ってるじゃねぇーか?」


 幸善が指摘した瞬間、相亀は再びロボットのようにかぶりを振り、何事もなかったように前方を見始めた。その手のグラスからはメロンソーダが綺麗に消えているが、その行き先は相亀の胃の中ではなく、太腿の上だ。


 その惨状は何かとは明言しないが、漏らしてしまったようにも見えるものだが、それを相亀が気にする様子はなく、今もメロンソーダがグラスの中に入っていると言わんばかりに飲み続けている。


 メロンソーダはいいにしても、割れたグラスを持ち続けていたら、それで手を怪我するかもしれないと幸善は思ったが、その心配を口に出すよりも先に、その場の状況を動かす人物がいた。


 それが大方の予想通り、東雲に質問された水月だ。水月が今の東雲の質問に答えた。


「二人っきりは多分、ないよね?」


 聞かれた幸善は水月と仕事の場以外で逢った時のことを思い返し、同意するように頷いた。二人きりかと心を躍らせたことはあったが、その後に二人きりではない真実を突きつけられ、落ち込んだ経験しか思い出せない。


 しかし、それがどうしたのかと幸善が思っていたら、そこでついに水月が何かに気づいたらしく、ハッとしていた。


 そのまま慌てた様子で穂村や相亀に視線を送り、二人はぎこちなく頷いている。

 そこで何かの確認をしてから、水月は改めて東雲の笑顔を見つめ返し、明確な苦笑を浮かべていた。


 その一連の反応を蚊帳の外から眺める気持ちで幸善が見ていたら、水月が困ったように幸善を見つめてきて、幸善はゆっくりと首を傾げた。


 その行動に水月は深く溜め息をついてから、その場の幸善以外の全員の顔を見回した。そこから向けられた視線を感じ取ったのか、水月は再び苦笑を浮かべてから、東雲をまっすぐに見つめ返す。


「えっと…ビジネス上の関係だから、安心して」


 一切の変化なく、笑顔を向け続ける東雲に対して、水月がそう伝えると、東雲は確認するように幸善の顔を見てきた。


 だが、幸善は何を話しているのか、未だに把握できていないので、水月の言葉にも東雲の動きにも、首を傾げる以外の返答方法がない。


 そうしたら、急に東雲が俯き、肺に残っていた全ての空気を吐き出すように、とても大きな溜め息をついた。


「良かった…」


 とても小さく消え入るように呟いてから、東雲は再度、満面の笑みを浮かべた状態で顔を上げる。


「ごめんね。変な質問をして。気にしないで」


 その一言にそれまでの空気が嘘のように、その場の雰囲気が柔らかくなり、全員が固まったように口元に当てていたグラスをテーブルの上に戻していた。

 そのタイミングを待っていたように仲後が注文していた物を運んできて、テーブルの上にそれらを並べていく。


 その一変した雰囲気に、未だについていけていない幸善は何があったのかと相亀に耳打ちした。


「どうしたんだ?」


 しかし、その質問に相亀は答えることなく、グラスを置いたばかりの手を見ながら、逆に幸善に質問をしてくる。


「そんなことよりも一ついいか?」

「そんなことって…何だよ?」

「ハンカチとかあるか?」


 幸善は口を噤んでから、テーブルの上に置かれた割れたグラスを確認した。

 そこにはとてもメロンソーダに入っているとは思えない赤い液体が付着していた。

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