月と太陽は二つも存在しない(2)

 上機嫌と言い切れるほどに上機嫌だったわけではないのだが、我妻あづまけいの目にはそう映ったようだ。登校してきた幸善の顔を見た直後、我妻が「何かあったのか?」と質問してきた。


「何かあったように見えるか?」

「見える」


 何かあったのかと聞かれると、確かに何かはあった。満木まき夏梨かりんの頼みを聞き、豚の妖怪、ハムカツの謎を解いたことで、幸善は人間と妖怪の新たな関わり方を見ることができた。

 それは幸善の望む人間と妖怪の共存を現実的に思わせるもので、それが幸善の気持ちを温かくしたことは事実だった。


 しかし、それと同時に幸善の良く分からないことが起きているのも確かで、Q支部に一度寄って、そこで何があるのか確認しようとしたのだが、結局、何かがあるということ以外の情報は得られなかった。


 言ってしまえば、幸善の気持ちはとんとんで落ちついた形だ。良かったと思う気持ち半分、何かあるということに対する不安半分で、上機嫌と言えるほどに上機嫌ではない。


 しかし、我妻から言わせると、幸善は十分に何かあったように見えるらしい。それは我妻だから気づいたことなのか、幸善自身があまり深く悩まなくなり、何かあると分かっても、一定の安心感を懐いているからなのか、幸善には答えが分からない。


「気の所為だったか?」

「いや、まあ、あると言えばある」

「どうしたんだ?」

「チャーシューが美味かった」


 幸善の返答は流石に想定していたものと違ったらしく、我妻はきょとんとした顔で、「そんなことか?」と聞いてきていた。昨日のことを全て説明できたら、その一言で納得してくれるとは思うのだが、説明ができない以上、幸善は「そんなこと」と答えるしかない。


 幸善と我妻が談笑していたら、珍しく、静かに久世くぜ界人かいとが教室の中に入ってきた。いつもなら、必要なくてもすぐに絡んでくるのだが、今日はそういう様子ではない。


 そういえば昨日、何か急用ができた様子だったが、何かあったのだろうかと思い、幸善は珍しく、久世に声をかけることにした。


「おはよう」

「うん?珍しいね、君から声をかけてくるなんて」

「いや、様子がいつもと違うから。昨日、何かあったのか?」

「まあ、いろいろとね。ただ大丈夫。取り敢えず、片づいたから」


 そう言って笑おうとする久世は少し疲れているように見え、だから、今日は静かだったのかと幸善は納得した。


 それなら、あまり話しかけるのも悪いか。ゆっくりと休ませてあげよう。そう思った幸善が久世から離れようとした時、久世が幸善と我妻を見て、不思議そうに呟いた。


「あれ?東雲さんは?」

「まだ来てない」

「それも珍しいね」


 久世の言う通り、幸善よりも東雲が遅く来ることは数えられるほどで、この時間になっても登校していないことは稀だった。それこそ、病欠の時くらいだろう。


「何かあったのかもしれない」


 我妻が意味深にそう呟いた瞬間、その会話を聞いていたようにタイミング良く、東雲が教室に入ってきた。


 欠席というわけではないのかと幸善が思いながら、我妻や久世と一緒に挨拶すると、東雲はそれに一切言葉を返すことなく、幸善の前まで歩いてくる。その表情は険しく、少し怒っているようにも見える。


「どうした?」

「幸善君。ちょっと来て。話があるから」

「話…?」

「二人っきりで何を話すつもりなのかな?僕も交ぜて欲しいな」


 東雲に呼び出された幸善を見て、久世が途端にいつもの調子を取り戻したように言ってきた。


 しかし、東雲の様子はそれどころではないようで、久世は軽く睨みつけるように一瞥し、「ごめんだけど、二人でお願い」といつもからは考えられないほどに冷たい口調で言い放っている。


 その雰囲気に流石の久世も押されたようで、「はい」と震える声で返答し、我妻の陰に隠れていた。我妻も震える久世を宥めながら、東雲の様子に怯えているようだ。


 ただ正直なところ、二人以上に呼び出された本人である幸善の方が怯えていた。震えることこそしていないが、今にも逃げ出したいほどに東雲の雰囲気は悪い。過去にも見たことがないほどだ。


「ついてきて」


 東雲がそう言って教室を出ていく。その後ろをついていく形で幸善も移動する。


 向かった先は校舎と体育館に挟まれた人気のない空間で、その場所に到着した瞬間、東雲は振り返って幸善を見てきた。

 そのまま、怒鳴られるのかと幸善は警戒したが、東雲は急に迷ったように俯き、しばらく黙ってしまう。


「ど、どうしたの…?」


 幸善が優しい口調で聞いた瞬間、東雲の顔が勢い良く上がり、ポケットからスマホを取り出した。その画面を見せつけるように幸善の前に突き出してくる。


 そこには一枚の画像が映し出されていたのだが、その行動に驚いていた幸善は何の画像なのか、最初は確認できなかった。


「これ、分かるよね?」

「え?何?」


 分かるかどうか聞かれ、戸惑いながら画像をようやく確認した幸善の表情が固まった。東雲がどうして、その画像を見せてくるのか分からないが、東雲の雰囲気から察するに、何か重大な理由があることは間違いないはずだ。


「これが…?」


 そう呟いた幸善に向かって、東雲が口を開く。


に入るところを見たの」


 Q支部に繋がる開かずのトイレ。その画像を見せながら、淡々と東雲が言う。


「幸善君は何をしているの?」


 その質問に幸善は息を呑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る