影が庇護する島に生きる(20)

 猪突猛進の言葉そのままに、先頭を突っ走るのはイノシシだった。その後ろには鋭い角を持ったオスジカ達が続き、そのオスジカの上ではリス達が木の実を食べようとしている。それらに追随する形で、無数の小鳥達が滑空している。


 その迫力を背中に感じながら、傘井達、第一部隊の面々は全力で逃走していた。

 相手が妖怪であれば好き勝手できる仙人も、相手がただの動物であると分かっていたら、何もできない非力な存在に成り果てる。妖怪であるのなら、攻撃に回すはずの仙気を足に回し、健脚振りを発揮するしかない。


「どうするんですか!?轢き殺されますよ!」


 先頭を突っ走るイノシシの迫力に、傘井が全力で叫んだ。イノシシの巨体と速度と威圧感は軽自動車に匹敵する。振り返ったら、死のイメージしか湧いてこない。


「お尻が…!お尻が…!火が…!」


 羽衣に全力で引き摺られる尾嶋が訳の分からないことを呟いたが、それを聞く者はその場にいなかった。羽衣は逃げながら、動物達の対処法を考えるのに必死であり、傘井と漆野は担いだ夜光を落とさないように逃げるだけで必死だ。


「ズボンが…!ズボンが…!お尻の皮が…!」


 それでも、尾嶋は訳の分からないことを呟き続けたが、傘井達はそれを無視し続けた。


 それよりも、今は背後に迫った軽自動車の方が問題である。その鼻先に捕まった瞬間、背後に大きく飛ばされ、オスジカの角や小鳥の嘴の餌食にされる未来は目に見えている。リスの食べた木の実の残骸が降ってくるのも地味に嫌なポイントだ。


 本来、こういう形で野生の動物と遭遇し、襲撃された際には、殺傷能力の低い攻撃で意識を奪うか、意識に直接干渉する類の仙技で行動を止めるのだが、立ち止まった瞬間に弾き飛ばされる未来の見えている現状では攻撃することが難しく、逃げる五人は直接的に意識に干渉する類の仙技を誰も使えない。


 その辺りも配慮して、今回の部隊は構成されているはずなのだが、その担当を務めるはずの人物は現在、行方不明だった。


 その事実に羽衣が頭を痛ませ、何とも言えない気持ちを何とも言わないように飲み込んだ。ここで愚痴を零している場合ではない。


「ん…?」


 動物達の対処に羽衣が頭を悩ませ、傘井達が少しずつ溜まってきた疲労に顔を歪めている中、その中で唯一静かな時間を過ごしていた夜光が口を開いた。その声に傘井と漆野が視線が交わり、二人の間で起き上がろうとする夜光を見た。


「ん?んんん!?何の状況!?」


 自分が担がれた状況に夜光は盛大に取り乱し、大きく身体を動かした。夜光を担いでいた傘井と漆野はその動きに大きく体勢を崩される。


「ちょっと!今は動かないで!」

「どういうこと!?」


 そう叫んでから、身体を動かした夜光の視界に動物達の姿が入ったようだ。こちらに迫ってくるイノシシの鼻っ面を見てから、バンバンと傘井の背中を叩き出した。


「ちょっと!猪突が猛進してるんだけど!?」

「分かってるから、暴れないで!」


 傘井と漆野は暴れ続ける夜光を何とか担いで、迫りくる動物達から逃れようとしたが、野生の動物の全力の走りから、そのままで逃げ切れるはずもなく、三人は迫りくるイノシシに押し潰されそうだった。


「やばい!動物に滅茶苦茶にされる!」


 スポーツ観戦か何かと勘違いしているのか、傘井と漆野に担がれた夜光が興奮した様子で、バンバンと二人の背中を何度も叩いてきた。その度に二人の身体は揺れて、綺麗に回転していたはずの足は絡まりそうになる。


「私達は馬じゃないの!叩かないでくれる!」

「いや、馬じゃないとか見て分かるけど?」

「何で急に冷静になるのよ…」


 背中が暴れていた夜光が急に冷静さを取り戻したことで、傘井と漆野の走りは再び安定し始めていたが、最初から安定し続けている動物達の走りと比べると、少しでも不安定な時間があったこと自体が既に大きな問題になっていた。


 広がることがなければ、縮まることもなく、確実に存在していたはずの差がなくなり、傘井達を今にも突き飛ばしそうな距離まで、イノシシの鼻っ面が接近していた。

 ほんの気の緩みどころか、少し疲れて足が遅くなった瞬間に、揉みくちゃにされる未来が確定してしまう距離である。


 その距離が生み出すプレッシャーは言葉にできないほどであり、傘井と漆野は静かに大きく焦っていた。その焦りを更に膨らませることになるのが、担いでいる夜光だ。


「ちょっと近い!もっと速く!」

「うるさい!ていうか、起きたなら自分で走ってよ!」

「この状況からは無理!」


 焦る傘井と漆野に文句を言う夜光。その前方では羽衣が頭を悩ませ、尾嶋が声にならない声を上げている。


 このままだと、この五人は全員動物に轢き殺されることになる。その未来を全員が想像し、全員が恐怖を間接的に共有した瞬間のことだった。


 走り続ける傘井達の後ろで、動物達がピタリと足を止めた。見えない壁に阻まれたように動かなくなった動物達に、文句を垂れ流していた夜光が真っ先に気づいて声を出す。


「あれ?止まった?」

「何が!?」

「いや、もう追いかけてきてないよ」

「ええ?」


 傘井と漆野が夜光の言葉に立ち止まり、振り返って止まっている動物達を確認した。鹿やイノシシは傘井達から離れた場所で立ち止まり、こちらをまっすぐに見つめてきている。その目は動物らしいと言えば動物らしい、何を考えているのか分からない目だ。


「何で止まったの?」


 漆野が疑問を呟いていると、傘井達の少し先を走っていた羽衣が立ち止まった動物達に気づいたのか、ようやく立ち止まり、周囲を確認するように見回し始めた。


 それから、遠くに何かを見つけたらしく、一点を指差しながら傘井達に声をかけてくる。


「あれを見ろ」

「あれ?」


 羽衣の指の向かう先に目を向けると、漂いながら空に昇っていく一本の煙を発見した。


「あれって…」

「恐らく、村だ」


 羽衣の呟きの数分後、その方向に向かった第一部隊は、三つ目の村を発見した。

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