猿の尾は蜥蜴のように切れない(6)

 山の麓に到着した段階から、その山には妖気が漂っていることが分かった。野生のサルの群れに、一匹の妖怪が混ざったのではないかと考えていた佐崎は、その妖気に気づいた途端に立ち止まり、困惑した顔で傘井を見ることになった。


 しかし、残念なことに傘井も同じように困惑しており、表情の変化がなかったのは杉咲だけだ。


「菜水さんは少しサルを目撃したんですよね?そのサルの妖気はどうでしたか?」


 佐崎の質問に傘井はかぶりを振り、「分からない」と口にした。


「妖気自体は感じたけど、それが妖怪だからなのか、妖怪と一緒にいたからなのかは分からないくらいの量しか感じなかったのよ」

「それなら、嫌な可能性もあるってことですね」


 そう呟きながら、佐崎は再び山を見ていた。佐崎達が考える可能性の中で、最悪なのがサルの群れ全てが妖怪の可能性だ。傘井が逢ったサルを含めた山に住むサルの全てが妖怪である場合、この三人どころか、二つや三つの隊を寄せ集めても対応できるかどうか分からない状況になる。特にサルの妖怪が実戦的な妖術を使うかどうかで、その戦いの難易度は大きく変わり、最悪の場合は支部全体が動いての駆除案件になりかねない。


 そうなると、この山全体の生態系が崩れる可能性があるため、できれば佐崎達は考えたくないのだが、漂ってくる妖気は山全体に妖怪がいることを考えさせ、その可能性を忘れさせてくれなかった。


「取り敢えず、慎重に進みましょう。最悪の場合は逃げることに徹して、仕方ないから応援を要請するわ」

「仕方ないからですか…」


 自分の失敗を意地でも他には知られたくない様子の傘井に、佐崎は何となく、傘井らしさを感じて、小さく笑っていた。その笑みに気づかなかったのか、傘井に特に何かを言われることもないまま、佐崎達三人は本格的に山に踏み込んでいく。


「木の上を見たらいいの?」


 杉咲がそう聞きながら、頭上を見上げていた。その質問を受けた傘井が反対に地面を見ながら、小さく頷いている。


「未散はそうしようか。多分、どこからでも来る可能性はあるから、見る方向を分けないと対応できないと思う」

「え?それなら、私は前がいい」


 見る方向を分けるという言葉に、上を見ていた杉咲が顔を下ろし、まっすぐ前を見始めた。その様子に困惑した顔をしながら、傘井が佐崎に目を向けてくる。


「分かりました。俺が上ですね」


 そう言って、佐崎が上を注意しながら、三人並んで歩き始めた直後、佐崎は唐突な視線に気づいて、ゆっくりと顔を下げていた。

 そこで杉咲が自分をじっと見ていることに気づいた。


「あれ?何で、俺?」

「いや、何でも」

「未散。啓吾を見てても話が進まないから、ちゃんと前を見といて」

「はーい」


 杉咲の自由な行動に戸惑いながらも、三人は視点を分かれて、山の中を進んでいた。漂う妖気とは裏腹に、特にサルを含めた動物と遭遇することなく、山の中腹辺りに到着する。

 そこで周囲の茂みからの奇襲を警戒していた傘井が、何かを発見したらしく、佐崎達に声をかけて立ち止まった。


「これ見て」

「これは…リンゴですね。それも綺麗に芯だけになってる」

「どうやら、山のサルは近くの店から果物とか野菜を盗んでいたみたいだから、これはそれかもしれない」

「そのサルが妖怪の可能性が高いですね。それは一匹だけなんですか?」

「そこでのサルの目撃情報自体は結構あったから、一匹じゃない可能性の方が高いかもしれない。まあ、盗んだ瞬間が目撃されているわけじゃないから、どのサルかまでは分からないみたいだけど」


 盗んだ瞬間が目撃されていないと聞き、佐崎は首を傾げることになった。サルが目撃されて、果物が消えたくらいでは、サルが盗んだとは言えないのではないかと思ったのだが、そこにはちゃんとした証拠があったらしい。


「消えた果物とか野菜が置かれていた場所で、サルの毛が見つかってるのよ」

「なるほど。それでサルが盗んだと分かったってことですか」

「物がなくなる前はなかったらしいから、流石にそれはサルの犯行で間違いないと思うけどね。問題はそこで盗みをしないといけないくらいにサルがいるのかどうかね」


 そう呟いた傘井の言葉を聞き、佐崎はその果物の残骸が多く残っていないことに気づいた。少なくとも、ここまでの道には落ちておらず、今発見した場所にも傘井が見つけたものを含めて数個しか確認できない。山の中を漂う妖気の感覚から、サルの群れは多くてもおかしくないはずだが、その量は数匹、下手をしたら一匹くらいしか食事をしていないように思わせるものだ。

 やはり、妖怪は一匹だけなのだろうか。そう佐崎が考えながら、三人は再び山の中を歩き出した。


 その直後だった。上を見ていた佐崎の視界で何かが揺れるのに気づいた。それは動物ではなく、枝葉が揺れただけだったのだが、枝葉の揺れ方に反して、強い風が吹いた印象はない。


「菜水さん。何かいるかもしれません」


 そのように佐崎が呟いた瞬間、佐崎の目の前で杉咲が声を出した。


「あっ、飛んできた」

「え?」


 思わず佐崎と傘井が顔を動かし、前方に目を向けると、こちらに飛びかかってくる数匹のサルと目が合った。


「来た!」


 傘井が思わず叫んだように、サルの襲撃は始まっていた。

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