鯨は水の中で眠っても死なない(15)

 杜桷が覗き込んだ学校の一角は地獄の様相を呈していた。杜桷が覗き込んだ近くに一人の女子生徒が倒れている。杜桷が担任を務めるクラスの生徒で、釘月という名前の生徒だ。そこから、少し離れた場所には同じく、杜桷のクラスにいる相亀が倒れており、その奥には同僚である七実も倒れているようだった。その近くには七実の知り合いと紹介された外国人が倒れており、それらの中で唯一立っている男は何も身に着けていない、全裸の状態だった。全身は何故かずぶ濡れで、異様さだけが伝わってくる。


 明らかにおかしい光景に本来であれば戸惑うところであり、人によっては慌て出すのかもしれないが、その光景を見た杜桷は存外落ちついていた。

 というのも、その光景に慌てる要素は。少なくとも、杜桷には。


「ああ、なるほど。そういう騒がしさですか」


 何かが起きたことは誰にでも分かるほど、酷く荒れたその場所に杜桷は踏み込んでいく。その姿に中心に立った全裸の男は不可解そうに眉を顰めていた。


「何だ?今はいいところなんだよ」

「ああ、でしたか?」


 ずぶ濡れの全裸男を真正面から見ながら、杜桷は思い出したままにそう聞いていた。その一言に男は驚いたように目を見開いている。どうやら、少なくとも、男は杜桷のことを把握していなかったようだ。


「何故知っている?」

「何故も何も、貴方が人型のNo.5であることは聞きました。正確にはNo.5がどういう存在なのか、事前に聞いていました」


 そう答えながら、杜桷は七実の姿を見ていた。無様に気を失っている様子を見るに、七実は教皇の攻撃に対応できなかったようだ。


「その姿を見るに、そちらの二人は覚えていなかったんですかね…いや、その二人なら、覚えていたとしても、対応できないですか。貴方の力はですからね」

「知った口だな」

「知ってますよ。水という絶対的な防御手段を持つ代わりに、ところとか、全て」


 杜桷が的確なことを言ってきたためか、教皇は既に驚きを隠すことを諦めているようだった。最初の不意打ちは隠せなかったのかもしれないが、今は隠す意図すら感じられない。


「ですから、誰かの身体に入りたいのですよね?


 杜桷の質問に教皇は答えなかった。少し考えているのか間が空き、ゆっくりと足元に転がった二人を見ていた。どちらに入るのかと杜桷が思っていると、不意に視線がこちらに向く。


 その視線に杜桷が疑問を覚えた直後、杜桷の足元から水が吹き出してきた。触手のように杜桷の足に絡まり、杜桷をその場に固定しようとする。


「あれ?攻撃されてしまいましたか?」

「良く分からないが、情報を知っている相手を生かす理由がない。喋る余裕があるなら、さっさと攻撃するべきだったな、仙人」


 教皇が全身を水に変えながら、こちらに腕の水を伸ばしてきた。その姿と一緒に今の言葉を聞き、杜桷は一つだけ言い忘れていたことを思い出した。


 どうやら、教皇にをさせてしまったらしい。


「ああ、すみませんが、私はよ?」


 杜桷のその呟きに教皇が反応し、腕の水が杜桷に触れようとした瞬間、杜桷はその水を手で掴んだ。その途端、風船が破裂するように水の腕が弾けて、水飛沫となって四散した。


「何だよ、それは!?」


 流石に危機感を覚えたのか、消えた片腕をもう片方の手で押さえながら、余裕が消えた様子で叫んだ教皇を尻目に、杜桷は足元の水を掴んだ。その途端にその水も弾けてなくなる。


「ああ、気にしないでください。ちょっとくらいですから」

「おいおい…ふざけたこと言うなよ?」


 教皇は苦笑しながら、杜桷から離れるように動き出す。気を消すと言われて、杜桷に近づけるはずもない。妖気を消されるということは妖術を使えなくなるだけではなく、最悪自分の存在を消される可能性があるということだ。それは全ての妖怪に共通する危機感のはずだ。


「何で、そんな奴がいるんだよ?」

「さあ?何ででしょうね?あまり気にしないでください。まあ、ただの秘密兵器ですよ」


 教皇は地面に転がった二人を順番に見比べていた。どちらかの身体に入ることを考えているようだが、その考えを止めるように杜桷は距離を詰めていく。それでも、しばらく教皇は考えているようだったが、やがて、考える余裕を失ったのか、全身を水に変えて地面の中に消えていった。


「逃げましたか」


 一応、地面に手を触れてから、杜桷がそう呟いた。次の問題は倒れている四人だが、その中の三人は仙人のはずだ。その三人をどうするか考え、杜桷は七実を見下ろした。


「まあ、仕事が増えるのは望みませんね」


 そう笑いながら、杜桷は慌てたフリをすることにした。

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