憧れから恋人に世界が変わる(9)

 久しぶりの休暇を言い渡された幸善だが、あまりに休みが久しぶりなこともあり、時間を持て余していた。Q支部から家に帰ってきても、ただひたすらにぼうっとしているか、ノワールを相手に妖気を感じ取る特訓をするくらいで、他にしたいことは思いつかない。

 そうなってくると、自然といろいろと考える時間が多くなり、幸善は自分が抱えていた明確な問題と向き合うことになった。


 Noir.ノワールのチケット問題だ。それをどのように解決しようかと考えてみるのだが、考えたところで解決する問題でもない。幸善の努力で入手困難なチケットが入手できるなら、そもそも悩みの種になっていないわけであり、それができないからこそ、入手困難なのだ。


 仙人としての仕事があったことから、何とか忘れることができていた問題に直面し、幸善は頭を抱えることになったのだが、そこに追い打ちをかけるように頼堂千明ちあきからも一言言われてしまう。


「もうすぐチケット選考の予約が始まるから。忘れないでね」


 その一言と共に向けられた千明の冷めた目に魘され、あまり寝つけないままに幸善は翌日の朝を迎えていた。いつものように登校してから、廊下を歩く幸善は堪え切れない欠伸を零し続ける。その姿を目撃したのか、幸善の眠さが吹き飛ぶ勢いで、幸善の頭に衝撃があった。

 何かと見上げてみると、そこに七実が立っていた。手に持っていた教科書が幸善の頭の上に乗っている。


「よう、目が覚めたか?」

「先生…訴えますよ?Q支部に」

「学校でその名前を出すな。後、リアルな方を言うな」


 圧倒的な眠さで、頭が全体的にぼうっとしていることもあってか、幸善は昨日まで抱えていた気まずさを感じることなく、普通に七実と受け答えができていた。それよりも、今は眠さが強過ぎて、苛立ちが勝っている可能性すらある。


「何ですか?小言ですか?」

「何だ?怒ってるのか?」

「怒ってるんで、無視していいですか?」


 眠さと怒りが、実は仙人だった七実との距離感も相俟って、良くも悪くも幸善から遠慮を消し飛ばしていた。その反応に七実は苦笑しながら、手元の荷物から一冊の本を取り出してくる。


「これを頼む」

「何ですか、これ?」

「牛梁に渡しておいてくれ。昨日、渡しに行ったら、もう帰ったって言われたんだよ」

「ああ、牛梁さんが頼んでたことに関する何かですか?」


 七実の仙技のことを聞いた牛梁が、その仙技の教えを請う場面は幸善も目撃した。それに七実が了承し、牛梁は七実から仙技を教わることになったはずだが、そこからどうなったのか幸善は聞いていなかった。


「牛梁さんはどんな感じなんですか?」

「医療系の仙技の基礎は俺よりもあるはずだからな。あとはどれだけ、仙気をコントロールできるか…」


 そう答えながら、周りに目を向けた七実が唐突に声を潜める。


「いや、ここでする話じゃないだろう」

「ああ、確かにそうですね」

「取り敢えず、これ。頼んだからな」

「あ、それなんですけど、俺、今日とか牛梁さんに逢いませんよ?」

「は?仕事は?」

「唐突な休みです」


 幸善や牛梁達が唐突に休みになったと聞き、七実は考え込むように頭を抱え始めた。どうするのだろうかと思いながら見ていると、取り出した本を再び小脇に抱えている。


「なら、直接渡す。あとで牛梁の連絡先を教えてくれ」

「本人に聞かなかったんですか?」

「シンプルに忘れてた」

「意外と間抜けですね」


 幸善は再び頭に衝撃を受けた。さっきは教科書だったが、今度は牛梁宛の分厚い本だ。


「それはダメ!死人が出るタイプの衝撃だから!」

「安心しろ。そうならないように簡単な治療ならできる」

「死にかけることは覚悟しろと?」


 怒りながらも、後で牛梁の連絡先を教えると約束し、七実と別れかけた時になって、幸善は七実に聞きたかったことがあると思い出した。


「そういえば、本部がどうとかってどういう意味だったんですか?」

「ああ、あれか。まだ聞いてないならいいんだ。俺から話すことでもない」


 そう答えてから、不意に七実は幸善の顔をじっと見てくる。


「そういえば、お前、妹のために何かのバンドのチケットが欲しいとか言ってたな」

「ああ、はい。Noir.です」

「Noir.…」

「どうしたんですか?」


 幸善が不思議そうに七実を見つめていると、七実は唐突に笑みを浮かべて、幸善を見下ろしてきた。


「いや、何でもない。チケット、手に入るといいな」

「うわっ…性格悪っ…手に入らないことを確信して笑うとか…」

「そういう意味で笑ったんじゃねぇーよ。まあ、仮に手に入らなくても落ち込むな」

「手に入らないと思っている時のアドバイスじゃないですか」

「落ち込む前に相談しろよ」

「相談して何が変わるんですか?全力で笑う気ですか?」


 幸善の質問に答えることなく、笑みだけを返して七実はその場から去っていった。その姿に苛立ちを覚えたことで、幸善を襲っていた眠気は綺麗に吹き飛んでいた。

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