憧れから恋人に世界が変わる(10)
それが幸善のいない場所で、久世が東雲や我妻に話しかけることはあまりないというものだ。もちろん、皆無ではないが、その機会はかなり少なく、多少ある時にも間接的に幸善が絡んでいることが多いらしい。
急に、らしいと不確定な言い方をしてしまったのは、この情報が久世を観察した結果と、東雲の証言から得られたことだからだ。幸善はその話を聞いた時に、「いや、偶然だろ?」と思い、実際に口に出したのだが、東雲は断固としてそれを否定し、「きっと幸善君と仲良くなりたいんだよ」と意味の分からないことを言い出した。
いや、それは自分ではなく、東雲に思っていることではないか、と幸善は思ったが、それは口に出さなかった。
その記憶があったことから、幸善が教室を訪れた時、久世が東雲や我妻と話していることに珍しさを覚えた。それと同時に嫌な予感にも襲われる。
幸善がいない時にも、久世が東雲や我妻に話しかけることはあるが、そういう時でも、間接的に幸善が絡んでいることが多いらしい。それを念頭に置くと、三人は幸善がいない場所で幸善の話をしている可能性が高いということになる。
そして、本人がいない時にする話と言えば、その大概が悪口だ。本人に聞かせたら、泡を吹いて倒れるくらいの罵詈雑言が飛び交っているに違いない。
そう思ったら、幸善は三人が話している場所に近づくことができなかった。不用意に近づき、自分の悪口が耳に入ったら、幸善は吐血する。もしくは口から内臓を吐き出すことになるかもしれない。
最大限に警戒しながら、幸善は自分の内臓を腹の中に押し込むつもりで、三人が会話している場所に近づこうとした。
そこで幸善の存在に気づいた久世と目が合った。見つかったと思った幸善がぎょっとした直後、久世が何とも言えない表情で幸善を見てくる。
何というか、笑っているのだが笑っていない。場合によっては苦しそうにも見える。何より、幸善に助けを求めているようにも見えなくはない。そういう表情だ。
どういうことだろうかと幸善が思った瞬間、久世の視線に気づいた東雲と我妻が幸善を見てくる。
「あ、幸善君、おはよう。遅かったね」
「ああ、うん…七実先生に捕まって…イライラしてたから」
「何があったの?」
「別に。それより、三人は何を?」
幸善が三人を指差しながら聞いた途端、ニンマリと笑った東雲の姿に、何となく幸善は久世が困っていることに気づいた。
「実はね。久世君のことを聞いてたの」
「久世のこと?」
「うん。ふと思ったんだけど、久世君って良く話すのに、お家のこととか聞いたことがなかったなって思って」
「あ~、そういえば確かに…」
一方的に話しかけてくる久世だが、その一方的に話しかけ、幸善達のことを聞いてくる割に、自分のことを話すことはほとんどなかった。それは何となく、話したくない理由があるのだろうと幸善は思い、深く聞くことがなかったのだが、それを東雲は聞いたのかと幸善は思い、久世を見てみると、案の定、何とも言えない顔を向けてくる。
「一回くらい、久世君の家に行ってみたいな~とか思ったんだよね」
不意にそう言い出した東雲に、久世がぎょっとした顔をする。久世が家族のことを話したくないのか、話せないのかは分からないが、多少なりとも事情があるのなら、深く踏み込むべきではない。幸善はそう思うのだが、東雲も我妻もそこには気づいていないのか、止まる気配も止める気配もない。
それを察したらしく、久世は幸善に目を向けてくるが、久世には残念な報告が一つあった。幸善に東雲を止められるほどの力はない。
「え~と…うちはちょっと…」
「ダメかな?」
自分の顔をじっと見つめてくる東雲の姿に、久世が迷い始めていることは見ているだけで分かった。その姿を見ていたら、幸善はさっきまで申し訳ないと思っていた気持ちが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
そのまま受け入れたりするなよ、と幸善は心の中で呟いたのだが、東雲の視線に耐え切れなかったように、久世がぽつりと呟いた。
「ダメじゃないよ…」
「馬鹿だ」
幸善は思わず口から漏れた言葉を取り繕うつもりもなかった。一応、家族にだけ連絡するといって、スマホを取り出した久世の目の前で、東雲は嬉しそうに笑っている。
こうして、朝から思いも寄らない形で、放課後に東雲達が久世の家に向かうことが決まったようだ。
「あ、ちなみに幸善君はどうする?」
不意に東雲にそう聞かれ、幸善は迷った。確かに放課後は休みになったが、久世の家にあまり押しかけるのも悪い気がする。
そう思っていると、久世が幸善を見てきた。その表情は本当に感情が読めず、来て欲しくないと思っているのか、東雲達を止めるために来て欲しいと思っているのか、幸善には判断できない。
「……行く」
勘で答えた直後、久世は良く分からない表情から、それとは違う形の良く分からない表情に変わった。
「いや、どっちだよ…」
解答が問題文と同じくらいに難しく、正解だったのかどうか幸善には分からなかった。
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