憧れから恋人に世界が変わる(6)

 恋路を飛鳥に紹介するための店は飛鳥の希望で決まった。予約も自分が取ると飛鳥は頑なに言い続け、軽石は当日に案内されるまで、店の名前すら分からない状態になった。


 だから、辿りついた店に大きな生け簀があるとは思わなかった。その中を何匹かの魚が泳いでいる。どうやら、海鮮居酒屋のようだ。


「この店、いいですよね。水族館みたいで」


 その言い方だと、この生け簀の中の魚を食べづらくなるのだが、子供のように無邪気に笑う飛鳥を見ていると、それくらいのことはどうでもいいように思えた。

 約束の時間まではまだ少しあった。先に店の中に入ったことを恋路に連絡し、軽石と飛鳥は予約していた席に移動する。


「ここはお魚を見ながら、お魚を食べられる変わった店なんですよ」


 席に座り、メニューを広げながら、飛鳥がそう言った。その台詞に飛鳥はまさかとは思ったが、流石の飛鳥でもそれはないだろうと軽石が思い直した直後、生け簀の魚を店員が網で掬い始めた。


「あ、ほら、見てください。たまにああして、お魚を連れていくんですよ。きっと飼い主が見つかったんですね」

「え?」

「どうやったら、飼えるんですかね?私も飼おうかな?」


 買おうと思ったら買えるが、その時は泳げない身体になっていると軽石は思った。まさかとは思ったが、飛鳥は生け簀の正体を知らないようだ。完璧に仕事をこなす飛鳥の姿も格好良くて軽石は好きだが、こういうたまに見せる部分も飛鳥の魅力の一つだと思っている。知らない飛鳥も可愛らしいので、これは説明せずにいようと心に決めて、軽石はメニューに目を落とした。


「飛鳥さんはいつも何を頼んでいるんですか?」

「食べる物と飲む物ですね」

「やっぱり、そうですよね」

「軽石さんは?」

「私も同じです」


 食事をしに来たのだから、誰でも食べる物と飲む物を頼むだろうと思ったかもしれないが、そのような常識は飛鳥に通用しない。軽石もそういう部分が飛鳥の魅力だと思っており、それを指摘することがないどころか、それを不思議に思うこともない。


「今日の気分は何ですか?」

「気分的には卵料理とか食べたいですね」

「卵ですか。いいですね」


 自分が海鮮居酒屋の予約をしておいて、食べたい物に魚を挙げないのかと、普通の人なら思うところかもしれないが、もちろん、軽石はそのようなことを思わない。飛鳥は今日、卵の気分なのかとしか思うことはない。


「卵料理もいろいろとあるみたいですけど、何がいいですか?」

「数の子が好きなので、数の子がいいですかね」


 魚卵も卵料理に含まれるのかと、流石に軽石も思ったが、それを不思議に思うことより、新たな飛鳥の生態として、記憶する方に集中した。


「後はフライドポテトも頼みましょうか。飲み物はバナナジュースがいいです」

「黄色が好きなんですね」

「え?好きな色は鼠色ですよ?」


 黄色い食べ物が好きなのかという感想だったが、飛鳥には全く伝わっていなかった。ただ好きな色が鼠色という情報は気になった。


「どうして、鼠色が好きなんですか?」

「動物の名前が入っていて可愛いからです」


 とても飛鳥らしい理由に軽石は満足した。確かに可愛いと同意したところで、恋路から連絡が入っていることに気づく。もう少しで店に到着するらしい。


「お刺身も一緒に頼もうと思うのですが、軽石さんはイカとタコ、どちらが好きですか?」


 恋路に返信していると、メニューを眺めていた飛鳥がそう聞いてきた。イカもタコも好きだが、どちらの方が好きなのか、軽石は考えたこともなかった。


「私はどっちも同じくらい好きですよ。飛鳥さんはどっちが好きとかあるんですか?」

「私はイカの方が好きですね」

「それはどうして?味ですか?」

「タコ焼きがありますよね?」

「はい。ありますね」

「私はあれが苦手なんですよ」

「タコ焼きが?タコが食べれないとか?」

「ネギが入っているからです。だから、タコよりイカの方が好きです」


 飛鳥理論は流石の軽石も理解できなかったが、飛鳥が可愛いということだけは伝わり、軽石は満足した。軽石の記憶が確かなら、イカを具材にしたお好み焼きとかにもネギは入っているはずだが、そちらが原因でイカよりタコが好きになることはないのかと、新たな飛鳥の生態に軽石は思った。


「イカとか、タコのお刺身があるんですか?」

「いえ、刺身の盛り合わせにイカのお刺身があるだけで、タコはありません。それでもいいかと思って聞きました」


 聞かなければ意識することもなかったと思うが、飛鳥は聞いてみたくなったのだろう。容易に想像できたので、軽石は特に言うこともなかった。ちょうど時間も経ったようで、その話が終わり、二人が一度、注文しようかと考え始めたところで、再び軽石のスマホに通知があった。


 どうやら、恋路が店に到着したらしい。軽石が飛鳥に伝えて、恋路を迎えに行こうとした直後、こちらに近づいてくる恋路の姿を見つけた。軽石に気づいたようで、恋路は軽く笑みを浮かべる。

 そのまま、軽石達のいるテーブルまで近づいてくると、恋路の姿に気づき立ち上がった飛鳥と恋路が向き合い、互いに自己紹介を始める。


「初めまして、恋路泉太郎です」

「初めまして、飛鳥静夏です」


 こうして、軽石の好きな二人が出逢うことになった。

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