死に行く正義に影が射す(6)

 神楽かぐら聖明まさあきの生まれた家は際立って貧乏というわけではなかったが、裕福でもなかった。使える金銭に上限があることは当たり前だが、神楽の家はその上限が低く、神楽にとって満足のいかないことが多かった。それを明確に感情に出したことはなかったが、それは気にしていなかったからではなく、気にしないようにしていたからだと、大人になってから知ることになった。


 神楽が仙人の存在を知ったのは、高校を卒業する少し前のことだ。学費の問題から大学には行かず、卒業後は就職するつもりだったのだが、そのための面接に向かう途中に、猫の写真を見せられ、この猫を目撃していないかと聞かれたことが始まりだった。面接に急いでいただけでなく、そのための緊張もあったので、神楽は見なかったと即座に答えて、その時は分かれたのだが、面接から帰る途中になって、唐突にそのことを思い出した。幸いにも面接が上手く行き、気分の良かった神楽はまだ探しているのなら手伝おうと思い、写真を見せられた周辺を探してみたが、写真を見せてきた人達は既におらず、もう見つかったのかと思い、家に帰ろうとした。


 写真の猫とその時に遭遇した。もしくは遭遇してしまった。神楽はすぐに猫を捕まえようとゆっくりと近づき、何かを話しかけたと思う。そこから先の記憶は曖昧で、気づいた時には神楽はベッドで横になっていた。後々判明したことだが、猫の妖術をもろに食らったそうだ。気づいた時には負っていた怪我に、神楽は大きく戸惑った。

 それに何より、その怪我の影響からか、神楽は仙気の存在に気づいてしまっていた。その操り方まで微かに分かり、その後の説明を奇隠から受けたことで、神楽は面接で決まった就職先を断り、奇隠で仙人として働き始めた。


 それから、今では二級仙人となった神楽だが、幼少期からの鬱憤が今では爆発していた。それが常に神楽の頭を悩ませている毎日の食事だ。特に昼食は命懸けで、神楽はそのために働いていると言っても過言ではなかった。Q支部内にも食堂はあるが、そこでの食事は神楽の望むものにならなかった。もっと食べたい物を食べたい。その欲望に囚われ、神楽は昼休憩以前から完全な昼食のために、毎日Q支部を後にした。


 そして、今日もそのために外出しようとした。今日の店は決まっている。どの出入り口を使って外に出るかも、そこから、どのように移動したら店に到着するのかもシミュレートし、万全を期していた。


 そこで予想外でしかない来客と遭遇してしまった。出ようとしたドアが開き、向こう側から顔を見せた人物に、神楽は一瞬固まった。見るからに日本人ではない姿は、神楽も確認したことのある姿で、その人物が誰であるのか、すぐに分かった。


「あらら、外出か?」


 英語で話しかけられ、余計に神楽の頭がパニックになった瞬間、そこに立っていたが神楽の顔面を殴り飛ばした。転がるように吹き飛び、降りたばかりのエレベーターに再び乗せられた神楽は、そのままキッドと共にQ支部内に戻ることになった。サッカーボールを蹴るような気軽さで腹を蹴り飛ばされ、Q支部の廊下に神楽は転がる。


 状況の理解は全くできていなかった。ここに11番目の男と呼ばれる男がいる理由も全く分からない。分かることは全身を襲う痛みが、自分の命の危険を知らせていることくらいだ。

 抵抗しないと。キッドが近づいてくる気配に気づいた神楽が、全身の気で肉体を強化し、その拳でキッドに殴りかかった。


 しかし、その拳も子供の手を掴むように簡単に掴まれた。


「ダメダメ!そんな攻撃じゃ意味がないから!」


 強く引っ張られ、キッドに向かって倒れ込んだ直後、キッドの足が腹に突き刺さった。その衝撃で浮いた瞬間に、更に腕を引っ張られたことで、腕から鈍い音が出て、猛烈な痛みだけ残し、細部の感覚が薄くなる。腕は奇妙な方向に曲がり、元に戻すこともできない。


 殺される。このままだと確実に殺される。命の危険を覚えた神楽が、Q支部内の壁に目を向けた。キッドに背を向けて、その壁に向かって走り出そうとした瞬間、キッドが神楽の走力を超えるステップで距離を詰めてきた。


「逃げるなよ」


 小さくそう呟き、神楽の後頭部を手で掴んだ瞬間、神楽が手を伸ばしていた前方の壁に向かって、思いっ切り押しつけた。神楽は目の前に迫る壁を見ながら、せめてもの抵抗として手を動かし、目的の物に触れた直後、意識が喪失した。


 その姿にキッドは満足そうに笑った。


「これで目撃者は消えた」


 そう嬉しそうに呟き、神楽から手を放した直後、Q支部内全体に強烈な音が響き始めた。元々奇隠にいたキッドはその音の正体にすぐ気づき、神楽の身体を少し退けると、自重で壁のスイッチを押した神楽の手を確認した。


「チィッ!最後に触れてたのか。あまり時間をかけられなくなったな」


 キッドが急いで移動しようとした瞬間、キッドの道を遮るように刀が突き出された。曲がり角から伸びてきた刀はゆっくりとこちらに移動してきて、その持ち主の姿を見せる。


「どこに行くのかしら?不法侵入者さん」

「あらら、これは久しぶりだな、No.2」


 不敵に笑ったキッドに向かって、似た笑みを返した秋奈莉絵りえが刀を構えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る