吊るされた男は重さに揺れる(9)

 重戸の拳は唐突に飛んできたが、幸善の対応は完璧だった。仙気による顔面の保護も間に合い、上体ごと顔を逸らせることで拳の衝撃を逃がそうとした。普通なら、これだけの行動でダメージは最小限に抑えられる。


 そのはずだが、重戸の一撃は幸善に十分すぎるダメージを与えてきた。瞬間的に触れただけのはずの頭は大きく揺さ振られ、吹き飛んだ先で幸善はすぐに立ち上がることができなかった。


「おい!?大丈夫か!?」


 幸善の腕の中でノワールが慌てた声で聞いてきた。人型の拳を真正面から受け止め、立ち上がることができずにいるとなると、それだけ慌てても仕方ないだろう。幸善は小さく「大丈夫」と答えながら、何とか立ち上がってみせる。


 問題は今の一撃の威力だった。単純な破壊力が高いわけではない。もしも一撃の威力が高いのなら、今の攻撃で頭が吹き飛んでいたはずだ。仙気による保護や上体逸らしが機能したとしても、顔が潰れることくらいにはなっていたに違いない。


 しかし、今の一撃はそれらの外傷を作らなかった。ただ正確に幸善の頭を揺らし、感覚だけを狂わせてきた。


 それは殴られたというよりも、強く突き飛ばされた感覚だ。


 幸善はさっきまで自分が立っていた場所に目を向けた。そこから、ここまでの距離は大きく、それだけの距離を吹き飛んだとなると、幸善は傷の一つどころか、骨に異常があってもおかしくない。

 それがないとなると、本当にこれは突き飛ばされたのかと考え、幸善はかぶりを振った。


 重戸の拳は軽く触れただけだ。拳の先が鼻先に触れただけの一瞬で、これだけの距離を突き飛ばせるとは思えない。


 妖術。幸善はその単語を思い浮かべ、表情を強張らせた。

 今の一瞬から妖術の特定は難しいが、今の現象は妖術が絡んでいるとしか思えない。次の攻撃も必然的に妖術を用いた攻撃のはずだ。


 しかし、妖術の内容が分かっていない以上、幸善はその攻撃に対応できない可能性が高い。昨晩の死神との戦いを思い出し、幸善は恐怖した。

 このままでは同じ展開になる。


 そう思った瞬間、ノワールが幸善の腕を引っ掻いた。


「前!」


 幸善が顔を上げると、ふわりと跳躍した重戸が幸善の前に着地した。幸善が驚きのまま、間抜けに口を開けていると、重戸が目の前で拳を握り締めた。


「ごめんね」


 重戸が小さく呟き、幸善に向かって拳を振るってきた。幸善は咄嗟に片腕を上げ、その拳を受け止める。

 その瞬間、身体の中を鈍い音が駆け巡った。腕の骨が大きく軋んで、幸善は激痛に顔を歪める。


 重戸の一撃は異様だった。ただの拳のはずが、金属バットのように重く、受け止めた腕に強烈な痺れを残した。受け止めた腕を上げ続けることができなくなり、幸善が焦りを覚えた直後、重戸が再び拳を握り締める。

 その姿に幸善が表情を強張らせた瞬間、ノワールが叫んだ。


「風!」


 咄嗟に幸善はノワールを抱きかかえていた腕をそのまま上げ、重戸に向かって掌を突き出した。その先から起こした風で重戸の身体を拒絶するように吹き飛ばす。


「ナイス!ノワール!」

「いや、最初から気づけよ!」


 重戸との距離が離れた間に、幸善はさっきから動かすことも儘ならない腕の様子を見る。骨は折れていないようだが、痺れはかなり強く、回復する速度もかなり遅い。しばらく使えなさそうだと思い、幸善は苦々しい顔をする。


「どうしたの?」


 そこでその声がすぐ近くで聞こえ、幸善は恐怖した。ホラー映画かと思う展開だが、気づいた時には重戸の姿が目の前にあった。風に吹き飛ばされ、距離が開いていた上に、幸善の起こした風は加減も何もかもできていなかった。あれを食らって、すぐに動けるとは思えない。


 しかし、重戸は幸善の目の前で不思議そうな顔をしながら、平然とした態度で拳を握った。


「もう一回、殴るね。ごめんね」


 そう言って、重戸は再び幸善に向かって拳を振るった。再び腕で受け止めると、もう片方の腕も使えなくなる。幸善は咄嗟に足に仙気を集めて、足下で爆発的に風を起こした。その風に乗って、重戸との距離を離そうと試みる。


 しかし、風に吹き飛ばされ、幸善の身体が宙に浮かんだ瞬間に気がついた。その高度の低さと、異様に自分の身体が重いことに。


「重っ…!?」


 幸善がつい口に出した時、幸善の目の前に重戸が現れた。


「重いよね?私もそう思う」


 そう言って、重戸が拳を握った。


 しまったと幸善が気づいた時には遅く、その拳は幸善の腹に沈められた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る