死神の毒牙に正義が掛かる(10)

 本人は頻りに「大丈夫」と言っていたが、穂村はあまりその言葉を信じていなかった。大丈夫ではなくても、大丈夫と言い切るのが水月の悪いところだ。穂村には多くのことを話してくれるが、一番大事なところは言ってくれない雰囲気が常にあって、そこが穂村はずっと気になっていた。仙人のことも話す必要がなかったら、多分ずっと話してくれなかったと穂村は思う。


 だから、水月がどれだけ「大丈夫」と言っても、鞄を持った水月のことが穂村は心配で堪らなかった。どれだけ笑顔で話していても、一度傷だらけになった水月を見た後だと、どうしても不安な気持ちは消えなかった。

 そのことを多分、水月は気づいたのだと思う。Q支部から水月の家に向かう途中、不意に水月が穂村を見て、苦笑を浮かべてきた。


「そんなに心配しないでも大丈夫だよ」


 もう何度目か分からない「大丈夫」の言葉が水月の口から飛び出た。それだけ言うのだから、きっと大丈夫なのだろうと思えるくらいの気持ちは穂村にもある。いくら水月が隠したとしても、無理をしているかどうかくらいは分かり、それが今はないことも分かる。

 ただそれでも、水月が言っているように大丈夫ではないことも、穂村は分かっていた。


「気になるの?」


 そう聞いたら、水月は立ち止まり、不思議そうに穂村を見てきた。その顔を見ていたら分かる。今の穂村の言葉が核心をついていたことくらいは分かる。


「やっぱり、さっき話していた何かが気になるんだね?」

「そんなことないよ?」

「悠花が嘘ついているかどうかくらいは分かるからね。何を話していたのか分からないし、何を話していたのか聞かないけど、今の悠花は無理できないんだからね?分かってる?」

「大丈夫。分かってるよ」


 そう答える水月を見ていると、やっぱり穂村は不安になった。水月が何かを隠していることは分かるのだが、何を隠しているのかが分からない。それが大事なことなのも分かるが、その根本的な部分が分からないから、穂村にはどうしようもできない。それがとてももどかしい。


 ただ、今の水月にそれがどうにかできるわけではない。それは怪我のこともあるが、それ以上に無理な理由があって、そのことを本人も理解しているから、素直にここにいるのだろうと穂村は思った。


 だから、今はその何かを忘れられるように、違う話をしようと思って、穂村は頭の中で話題を探す。


「そうだ。せっかく家に帰れたんだから、前に行ってたカフェに行きたいね」

「ああ、フクロウがいるっていう?」

「そう。悠花に逢って欲しかった人達はみんな遠くに行っちゃって、また逢えるか分からないんだけど、それでも、あのお店のことは知っておいて欲しいかなって思うから」

「そうなんだ…そうだね。今度、行こうか」


 そう言って笑う水月を見ていたら、穂村は少し寂しくなった。何にもないように笑っているが、それが取り繕われた結果であることくらいは何度も水月の笑顔を見てきた穂村には分かる。水月はこういう時の隠しごとが非常に下手だ。隠す癖に下手くそだ。


 自分では水月の気持ちを一瞬だけでも紛らわせることができないのかと思うと、穂村は自分の無力さが無性に悲しくなった。もう少し見える景色が近ければ、水月の気持ちが分かるかもしれないのに、と思い始めたら、寂しさはどんどん膨らんでしまう。


 そうして、暗い気持ちになった穂村が、その暗さに押し潰されるように俯いた時、その暗さが現実に影響したように、穂村と水月を影が覆った。まるで合わせたように太陽が雲を隠したことに、俯いたままの穂村の気持ちは更に深く沈む。


 そう思ったのも束の間、隣で歩きながら空を見上げた水月が、咄嗟に穂村の腕を掴んできた。


「陽菜!こっち!」

「え…?」


 不意に引っ張られ、道路の端に倒れ込むように移動した穂村の前に、何かが落ちてくる。どうやら、雲が太陽を隠したのではなく、何かが二人の上を覆っていたようだ。それが何かと思い、目を凝らすより先に鳥の翼が大きく開く姿が見えた。


 その直後、その生物がこちらを向き、その虎に似た顔を見せてきた。


 ただし、背中には開いた鳥の翼が生えている。その姿をした虎を穂村は知らない。

 それに穂村と水月の前に突き出された尻からは、特徴的な尻尾が伸びていた。虎のものではない。その先には独特な形の針がついており、それはまるでサソリの尾のようだ。


「あれ…何…?」


 穂村が驚きから強張った口で呟くと、隣で水月が深呼吸をする音が聞こえた。


(あっ…ダメ…)


 そう思って、咄嗟に穂村が水月に手を伸ばす。立ち上がりかけていた水月の腕を掴み、水月は驚いた顔で穂村を見てくる。


「ダメだよ…?今の悠花は動ける状態じゃないんだよ…?」

「分かってる。だけど、あれは私達を見てるから。私しか陽菜を守れないから」


 優しい口調に反して、とても強い力で水月は穂村の手を振り解いた。その自分の非力さが穂村は無性に悲しくなる。


「待って…悠花!」


 穂村が叫んだ視線の先で、翼の生えた虎はこちらを振り返り、その前に立つ水月を睨みつけていた。それに反応するように穂村が身構える。


 その直後、穂村は忙しないを聞いた。

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