三日月は鎌に似ている(6)

 昼休みのことだった。スマートフォンを確認した幸善が何かを考え込み始め、東雲しののめ美子みこは不思議そうな顔をした。我妻あづまけいも気づいたようで、幸善に「何かあったのか?」と聞いている。


「何かバイト先に呼び出されて」

「何かやらかしたのか?」

「悪いことしたなら謝った方がいいよ」

「着服したなら返すべきだよ」

「してない。つーか、何でお前は当たり前のように座っているんだよ」


 いつのまにか隣に座っていた久世くぜ界人かいとに、幸善が冷ややかな視線を送っている。目の前には十個近くの惣菜パンが積まれており、一人でパーティーを開催しているようだ。


「いや~、ちょっとパンを買い過ぎちゃって、お裾分けを」

「馬鹿だろう?こんな量、普通買わないから」

「でも、見てよ、これ。シール」


 自慢げに久世が掲げたパンには黄色い半額シールが貼られている。期限切れが近づいているようで、久世が持っているパンの日付は今日のものだ。


「半額になっていたら買うでしょ?」

「寧ろ、半額になっているからこそ、量は買わねぇーよ。期限が切れて廃棄するのが多くなるだろうが」

「一日二日なら大丈夫だから。ほら、これとか昨日の日付だけど、問題ないから。ね?東雲さん?」


 久世からの突然のパスに驚きながら、東雲は首を傾げた。菓子パンならともかく、惣菜パンは期限を気にすることが多い。パン部分だけなら問題ないと思えるが、そこに乗っているものは本当に大丈夫なのかとつい考えてしまう。


「保存方法次第かな…?」

「ちゃんと冷凍庫に入れてあった奴を自然解凍したから」

「パンってそうやって保存するの?」

「さあ?」


 本気なのかボケなのか分からなかったようで、幸善は我妻に聞いていたが、我妻も首を傾げているだけだった。その間に久世は押しつけるように幸善の前にいくつかの惣菜パンを置いている。


 そのことに気づいた幸善が惣菜パンを押し返そうとしたところで、来客が教室を訪れた。愛香まなか四織しおりだ。

 攻防を続ける幸善や久世に巻き込まれ、愛香が来たことに気づかない我妻に代わり、東雲が愛香に近づいていく。


「どうしたの?我妻君に用事?」

「あ、いや、そうじゃなくて、今日は東雲さんに話があって」

「え?私?」


 愛香が東雲に用がある。それは初めてのことであり、東雲は驚いた。愛香はどこか恥ずかしそうにもじもじしながら、東雲の顔色を窺っている。


「実はちょっと買い物に付き合って欲しくて…あのアドバイスが欲しいの…」

「買い物?それなら、我妻君とかも呼ぶ?」

「あっ…!?いや…その…」


 教室の中だけでなく、廊下の様子まで窺いながら、東雲が愛香に耳打ちをしてきた。


「下着が買いたくて…」


 どうやら、愛香は新しい下着を買おうと思ったようなのだが、同世代の女子がどういうものを身に着けているのか分からず、そのアドバイスが欲しくなったようだ。その候補で真っ先に思いついたのが東雲らしい。


「分かった。いいよ」


 その一言で約束が決まり、東雲と愛香は放課後、電車で一駅進んだ先にあるショッピングモールを訪れていた。アルバイト先に呼び出された幸善は既にいなかったが、まだ教室にいた我妻と久世をうまく誤魔化し、今日は二人だけの買い物である。

 ただ久世は東雲の言葉のニュアンスから気づいたようで、下着というワードは出していなかったが、気まずそうな顔で見送ってくれた感じだった。


 そのお陰というわけでもないが、無事に目的の物を購入でき、愛香は嬉しそうに笑っている。


「ありがとう、東雲さん。東雲さんにお願いして、本当に良かったよ」

「これくらいのことなら全然。でも、愛香さんならお姉さんに聞くとかもあったのに、どうして私?」

「それはその…お姉ちゃん達は揶揄ってくるから…」


 気まずそうに笑う愛香の表情に、東雲は愛香が恐らく、先に頼んだのだろうなと想像がついた。そこでのやり取りも思い浮かび、その流れから一人で買うことに決めたのだが、いろいろと思うところがあって、最終的に東雲に頼んできた感じだろう。

 そう思ったら、途端に愛香が可愛らしく思えてくる。


「さて、じゃあ、どうする?もう少し見て回る?」

「どうしよう…?」

「まあ、久世君が言ってたみたいに遅くならないように早く帰った方がいいとは思うけど、少しくらいならまだ大丈夫だと思うよ」


 教室で久世に説明した時に久世が呟いた言葉を思い出しながら、東雲は愛香に聞いていた。愛香は少し考える顔をしてから、スマートフォンを取り出して時間を確認している。


「もう少しだけ見ていかない…?」


 オドオドとした様子で上目遣いで聞いてくる愛香を見て、東雲はつい頭を撫でていた。


「えっ!?何っ!?」

「いや~、可愛くて、つい」

「かっ!?可愛いって…」


 顔を真っ赤にした愛香が頭の上に手を置きながら、目を真ん丸に開いて東雲を見てくる。その反応に東雲が更に可愛いと和んでいると、恥ずかしさが極まってしまったのかと、東雲の視線から逃れるように愛香が目を逸らした。

 そこで愛香の動きが止まった。


「どうしたの?」

「あそこ…あの子、迷子かな…?」


 愛香の指差した方向に目を向けると、そこにはベンチがあり、小さな男の子が一人座っている。何かのキャラクターのように真っ青の髪に、雪のように白い肌をした男の子だ。外国人だろうかと東雲は最初に思った。


「迷子なのかな?待ってる感じはないね」

「どうする…?」

「声をかけてみようか」


 東雲と愛香が見つけた男の子に近づいていく。遠くから見ている時は幼稚園児くらいに見えていたが、こうして近づいてみると、小学生だろうかと思うくらいには大きい。


「どうしたの?迷子?」


 東雲が声をかけると、男の子が二人を見上げるように顔を上げた。男の子の瞳は髪の毛と同じくらいに青く、宝石のように見える。


「ねえねがいなくなった…」

「ねえね?お姉ちゃんがいなくなったの?」


 男の子はこくりと頷いてから、寂しそうに俯いていた。その様子に東雲はどうしようかと迷い始める。


「愛香さん。迷子センターの場所とかって覚えてる?」

「ちょっと見てくる」


 愛香が近くにあったミニマップのところに走っていき、その間に東雲は男の子を落ちつかせようと軽く話をすることにした。


「名前は言える?」


 東雲の問いに男の子は答えない。俯いたままで屈んだ東雲からも、表情はちゃんと見えないが、その丸まった背中はとても寂しそうだ。


「お姉ちゃんの名前は分かる?」

「……ねえね」


 このショッピングモールで一人になったことで不安が強いのか、男の子の返答はとてもか細いものだった。少しでも安心させようと思い、東雲が男の子の手を掴んでみるが、その手はとても冷たい。今は初夏のはずだが、冬の日に手袋をつけていなかった時のように、手先は冷え切っている。


「冷たい…大丈夫?」


 東雲の問いに男の子は微かに頷いた。

 そこでミニマップを見ていた愛香が戻ってくる。


「東館と西館で違うみたいなんだけど、西館は二階にあるみたい」

「そうなんだ。じゃあ、二つ下だね。行こうか」


 東雲が男の子の手を掴んだまま、「大丈夫?」と問いかけると、男の子は小さく頷いてから、ゆっくりと立ち上がった。


「きっとお姉ちゃんは見つかるから。大丈夫だからね」


 そう声をかけながら、東雲と愛香は歩き出す。男の子は東雲の手をしっかりと握ったままで、その顔はまだ寂しそうに俯いていた。

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