悪魔が来りて梟を欺く(11)
こんなところで逢うとは思わなかった。幸善の驚きの始まりをミミズクの店主も感じたらしく、幸善と同じように驚きを表情に浮かべていた。店主の目は幸善の手から伸びるリードを追い、その先にいるノワールと目を合わせている。
「散歩中かい?」
「は、はい…」
店主の質問に幸善は空返事をするばかりで、真面に答えられていなかった。この時の幸善はこの場所で店主に逢った驚きから次のステージに辿りつき、別種の驚きに芯まで食われていた。視線は吸い寄せられるように一点にしか向かない。
店主の指。そこから伸びるリード。リードは店主の肩に伸び、その上で括りつけられている。福郎の足と。
「さ、散歩ですか?」
昨日と同じ間抜けな表情の福郎と目を合わしながら、幸善は思わず聞いていた。もちろん、福郎は一ミリも歩いていない。店主の肩を止まり木にし、そこで休んでいるばかりで、これはただの店主の散歩の付き添いだ。
「そうなんだよ」
店主が笑って答えている。見るからに店主は散歩中だから、その返答に何も間違いはない。そう思った直後、店主が言う。
「この子も散歩くらい連れていかないと気分がね」
いや、福郎は微塵も散歩をしていない。散歩をしているのは貴方の方だ。そう言ってやりたい欲求に襲われるが、逢って二回目の店主にそのような言葉を言うこともできず、幸善は全身を震わせる。
「昨日はゆっくりできなかったみたいだから、また今度、お店の方にも来てよ」
幸善の葛藤に気づかない店主が穏やかな口調で言ってくる。確かに昨日は我妻が限界を迎えたことで、早々に帰らなければいけなくなってしまった。
次はもう少し、ゆっくりしたい――そう思ったところで店主が振り返り、その場から立ち去ろうとする。
「では、頼堂君。また逢えたら、その時はよろしく」
「はい。また…」
そう言って手を振ろうとした瞬間、幸善は違和感に気づく。
(あれ――?俺って、あの店で名乗ったっけ?)
確かに亜麻から一方的に名乗られはしたが、幸善が名乗った記憶はない。店主の名前を知らないくらいに、店主との会話も多くなかったはずで、幸善が自分の名前を知られるタイミングはないはずだ。
「あ、あの!?」
幸善は咄嗟に店主を呼び止めていた。何か考えがあっての行動ではない。ただ最近の出来事から、違和感を放置したくなかった。
幸善の声に反応し、店主が振り返る。それから、幸善は何を言ったらいいのかと考え始める。
「お、お名前は…?」
咄嗟に思いついた言葉がそれだった。遭った
もしかしたら、人型はあまり人間としての名前を決めていないのかもしれない。そんな漠然とした妄想から、幸善はその質問をしていた。
ここで人型としての番号を名乗ってくれたら、それだけで確定だ。ノワールがいて、風を起こせる今なら、人型が相手でも時間稼ぎぐらいはできるはず。
幸善がその思いで待つ中、店主が振り返って笑顔で答える。
「
「な、仲後さんって言うんですね…」
普通に名乗られたことに戸惑いながら、幸善は考える。そもそも、店の名前やフクロウに福郎と名づけたのは奥さんだと言っていた。それが本当なら、人型であるはずがない。
馬鹿な妄想をしたと思いながら、幸善は率直に聞いてみることにする。
「あの、俺の名前っていつ知りました?俺って名乗りましたか?」
「うん?そういえば、君が私の名前を知らなかったのに、私が君の名前を知っているのは変だね?どうしてだろう?」
仲後は少し上を向きながら、何かを思い出そうとしているようだ。そのまま待っていると、不意に顔が明るくなる。
「そうそう、君が名前を呼ばれているのを聞いたからだよ」
「名前を?」
「そう。店でね」
そのことを聞き、幸善は自分が考えすぎていたことに気がついた。確かに東雲が普通に自分の名前を呼んでいたのだから、それを聞いていたら名前くらいは知れるはずだ。
ここ最近の出来事から、少し警戒しすぎたみたいだ。そう反省しながら、幸善が仲後に頭を下げる。
「すみません。急に呼び止めてしまって」
「いやいや。何てことないよ。じゃあ、さようなら」
仲後がそう言って立ち去る。その背中を見送りながら、幸善は本来の目的である他の犬のところに行こうとした。
そこで気がついた。
「では、頼堂君」
仲後はそう言った。間違いなく、「頼堂君」と言った。
だが、東雲は幸善のことを「幸善君」と呼んでいる。
なら、どこで頼堂という苗字を知った――?
鈴木が自分のことを呼んだだろうかと考えてみるが、鈴木に名前を呼ばれた記憶はない。どういうことかと思っていると、ノワールが幸善の足を不意に蹴ってくる。
「何だよ。今はちょっと考え中だから、後に…」
「あいつ、妖怪だぞ」
「はあ?」
幸善がノワールの視線の先に目を向ける。そこにはさっき別れたばかりの仲後が歩いている。
「まさか、仲後さんが?けど、人型って妖気を消せるんじゃ…」
「そっちじゃない」
「そっちじゃない?どういうことだよ?」
「肩にいる方だ」
そう言われて幸善は仲後の肩に目を向ける。そこにはミミズクが誇る二枚看板の一枚が間抜けな顔で止まっている。
「福郎が妖怪?」
「間違いないな。あれは妖気だった」
鼻をピクピクと動かしながらノワールが断言する。
その言葉に驚きながら、幸善は仲後に目を向けて考える。幸善の中で生まれた疑問も消えていない。
次の瞬間――幸善はノワールを抱きかかえ、走り出していた。
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