悪魔が来りて梟を欺く(12)
「散歩は大丈夫なのかい?」
気にかけた様子で仲後が聞いてくれる。リードの繋がったノワールは幸善の手の中で、何とも言えない表情を浮かべている。
「ああ、大丈夫です。もう疲れてるみたいなんで」
幸善の言いように普段は怒るはずのノワールだが、この時は何も言わなかった。本当にそうなのか、単に怒る気力がないのか、どちらにしても疲れているようだ。
「それなら、いいけど。まだ若く見えるのに、運動不足とかかい?」
ノワールを見ながら言った仲後の言葉に幸善は苦笑いを浮かべる。ノワールの年齢を幸善は知っているが、口には出せない年齢をしている。犬換算なら仏様で、とても若いとは言えない。
ノワールも引き続き何とも言えない顔で仲後を見ており、分かっていない仲後は朗らかに笑っていた。
幸善の目はその間に福郎に移っていた。仲後の肩の上で今も休んでいる福郎は相変わらず、間の抜けた顔をしている。あの表情には様々な物語の中でフクロウが持っている賢いイメージの欠片もないが、その実、あの福郎は妖怪らしい。ノワールの言っていることが間違いでなければ、あの福郎もQ支部に報告した方がいいだろう。
しかし、フクロウカフェの看板フクロウが妖怪なら、Q支部が把握していないことがあるだろうか――と声をかけてから、幸善は気づいていた。一度、Q支部に確認を取るべきだったかと思っても、既に幸善とノワールは仲後と一緒に歩いている。
目的地はミミズクだ。
何故、そうなったのかというと、公園で走り出した幸善が仲後に声をかけたからだ。福郎が妖怪だと知り、仲後の発言に違和感も覚えていた幸善は考え、咄嗟に仲後に言っていた。
「あの!!今から、ミミズクにお邪魔してもいいですか!?」
「え?今からかい?」
幸善の急な発言に仲後も驚いていたが、提案が急でも断ることではないと思ったのか、すぐに笑顔で「いいよ」と言ってくれていた。
そのまま、幸善はミミズクに向かっているのだが、問題はこれからだ。
(さて、ミミズクに行って何をしようか――?)
幸善は頭を悩ませていた。腕の中のノワールがその悩みを察したのか、幸善を一瞥して、馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らす。
「そういえば、急に店に行くなんて言ったけど、もしかして、今日は休みでしたか?」
「ん?そんなことないよ?」
「あれ?でも、マスターがここにいたら、店は開けないんじゃないですか?」
「いつも散歩に行く間は亜麻さんに店を任しているんだよ。だから、大丈夫だよ」
「え…?亜麻さんに…?」
幸善はミミズクが誇る二枚の看板のもう一枚を思い出し、苦々しい顔をする。
亜麻は店の雰囲気を明るくする看板娘としてはピカイチかもしれないが、それは店の落ちついた雰囲気や落ちついたマスター、間の抜けた顔をした看板フクロウがいる中で、アクセントとして存在しているからで、亜麻しかいないとしたら胃もたれしそうだ。想像して幸善は腹を摩る。不安定になった足場にノワールが睨みつけてくる。
「まあ、この時間帯はお客さんが入らないみたいだから大丈夫だよ」
「まあ、入らないでしょうね…」
亜麻だけなら――という言葉を幸善は飲み込んだ。
「おい…」
ノワールが腕の中で小さく吠える。幸善を呼ぶ声に幸善が顔を近づけると、ノワールが少し心配した顔で聞いてくる。
「お前、財布とか持ってるのか?」
「そのことか。大丈夫だ。これがある」
そう言って、幸善はスマートフォンを取り出した。
「それがどうした?」
「お前は知らないかもしれないが、現代社会はこいつが財布になってるんだよ」
「その中に金を仕舞ってるのか?」
「それは…まあ、お前の頭だと難しそうだから、説明しないでおくわ」
「何だ?馬鹿にしてるのか?」
「馬鹿にはしてないけど、犬扱いはしてる」
幸善がノワールと話している間に、二人と一匹と一羽はミミズクに到着していた。入口の扉の前に立ち、仲後が不思議そうな顔をしている。
「あれ…?」
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとここで待っていてくれるかい?」
「ああ、はい」
幸善とノワールが店の外で待つ中、福郎を連れた仲後が店の中に入っていく。
「何かあったのかな?」
「ていうか、これからどうするんだ?」
「そのことだけど、どうする?」
「いや、お前が考えろよ」
「冷たいこと言うなよ」
「そもそも、俺はこのまま店に入れるのか?」
「ああ…そういえば、どうだろう?」
幸善がミミズクの入口に顔を近づける。ペットの入店に関する張り紙はあるだろうかと思いながら、順番に見ていく中で幸善は衝撃の張り紙を見つける。
「なっ!?」
「どうした?」
「ノワール、応援を呼ばないといけないかもしれない…」
「何か分かったのか?」
「ここ、電子マネーが使えない…」
「はあ?」
ノワールが蔑みの目を向けてきた。幸善には言葉もないので、その視線も一点に受けるしかない。
「一度帰れば?このまま店に入って何かするのか?」
「まあ、それもあるよな…一度、帰るべきか」
「帰るのか?」
不意に幸善とノワールの動きが止まる。聞こえてきた声に目を向けると、ミミズクの扉の向こうから福郎がこちらを見てきていた。その表情はさっきまでと比べ物にならないくらいにしっかりとしたものになっており、低く艶のある声を発している。
「私が妖怪だと気づいて、ここまで来たのにそのまま帰るのか?」
「あ、え…?そっちから?」
まさか、福郎の方から話しかけてこられるとは思っておらず、幸善は混乱した顔で見てしまっていた。
「そちらの話が別にないのなら構わないが、ただこちらの話は聞いてもらいたい」
「え?何か話があるの?」
「ああ、この店についてなのだが…」
福郎が何かを話し始めようとした瞬間だった。店の奥から生温い風みたいなものが吹いてきた気がした。もちろん、入口は閉まっているので、そんなはずがないと思っていると、ノワールと福郎が店の奥を見たまま固まっていることに気づく。
「どうした?」
「今、店の奥から妖気が…」
「はあ?」
その瞬間、福郎が店の奥に飛んでいく。その姿を見て、幸善は何か嫌な予感に襲われた。
「幸善!!」
「分かってる!!」
ノワールに言われるまでもなく、幸善は店内に踏み込んでいた。福郎が消えていったカウンターの奥に向かおうとする。
その寸前、カウンターの上に本来は入口にかかっているはずの、店が開店しているかどうかを伝えるプレートが置かれていることに気がついた。
そういえば、さっき――そう思いながら、幸善はカウンターを乗り越えた。
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