四人目は恋の匂いに走り出す(1)

「幸善君!?大丈夫!?」


 休み明けの月曜日になり、いつものように学校に登校してきた頼堂らいどう幸善ゆきよしに、東雲しののめ美子みこが開口一番、そう声をかけてきた。昨日の時点で変に心配させてはいけないと思い、東雲と我妻あづまけいには事前に報告していたのだが、その連絡を受けた時点から東雲を逆に心配させてしまっていたようだ。思い出したのが夜ではなかったら、東雲は頼堂家にまで押しかけていたかもしれない。


「意外と大丈夫そうだな」


 我妻は反対に冷静な様子でそう言っていた。実際に、負傷した左腕は動かせないが、利き腕ではなかったということもあって日常生活に支障はなく、奇隠としての仕事は一週間休みになったが、学校に通うことはこうしてできている。特訓ができなくなったことが幸善としては残念だったが、それくらいで問題がないことは不幸中の幸いだった。


「何?どうしたの?」


 一人事情を知らない久世くぜ界人かいとが近づいてきて、包帯が巻かれた幸善の左腕を見てくる。


「幸善君。怪我をしちゃったんだって。事故だっけ?」

「ああ、そう…」


 怪我の説明は奇隠との協議の結果、幸善がたまたま事故に巻き込まれたということになった。それも奇隠は仕事中の怪我という部分を隠す必要はないと言ってくれたが、両親にどのような反応をされるか考えた幸善の配慮により、仕事終わりに帰宅している途中の事故ということで落ちついた。

 その説明を聞いていた久世がじっと幸善の左腕を見つめ、ゆっくりと手を伸ばしてくる。


「触ってもいい?」

「何でだよ!?今の流れで何でそうなった!?」

「ハハッ。冗談だよ」


 飄々と笑う久世に今までの幸善なら本気で苛立っていたところだが、葉様はざま涼介りょうすけと接した幸善は違っていた。この程度の久世の揶揄いは子供の悪戯のようなもので怒る気にもなれない。


「あれ?何か突っかかってこないね?いつもの君なら、憤怒しそうなものなのに」

「俺のイメージどうなってるんだよ…?」


 幸善が困惑している間に、担任教師である七実ななみ春馬はるまが教室に入ってきていた。いつものように教室を見回してから、その視線が幸善に止まったかと思うと、そのまま近づいてくる。


「頼堂。大丈夫か?さっき連絡があって、事故に遭ったって…」

「ああ、はい。でも、大丈夫ですよ。身体を動かすことはできないですけど、普段の生活なら、そこまで大きな支障はないです」

「でも、左腕だろう?お茶碗とか持てないだろう?」

「ああ、まあ、それは…そこ重要ですか?」

「重要だろう。食事は大事だぞ。腹が減っては戦ができぬって言うだろう?」

「何と戦するんですか…?」

「…………それはまあ、そうだな。取り敢えず、困ったことがあったら、何でも言ってくれ。後、体育の授業は先に伝えておくから、わざわざ言いに行かなくても大丈夫だからな」

「はい。ありがとうございます」


 七実が教壇の方に戻っていく。その姿を見送りながら、東雲が感激したような顔をしていた。


「やっぱり、七実先生は良い人だよね」


 その一言を聞き、露骨に嫌な顔をしたのが久世だった。その表情は普段の久世があまり見せないものであり、幸善は素直に珍しいと感じていた。


「東雲さんはそう思っちゃうタイプ?」

「どういうこと?」

「ああいう人に限って裏表があるんだよ」

「久世君が人のことを悪く言うなんて珍しいね」


 東雲のその一言に幸善と我妻は思わず顔を見合わせていた。確かに東雲の言うところの悪くという部分に当てはまるかは分からないが、久世の幸善への態度を見ていると、誰かの悪口の一つでも言って不思議ではないと思うが、東雲の中ではそう思わなかったらしい。

 そこで久世の性格なら、取り繕うように言い訳でもするのかと思っていたが、そこから表情を変えることなく、東雲に続けて言っていた。


「あの人は苦手なんだよ。ずっと」

「何で?」

「いろいろあって」


 久世と七実の関わりを聞いたことがなく、幸善はその話に少し興味があったが、そこでチャイムが鳴ってしまっていた。ホームルームが始まるため、幸善達は自分達の席につく。


 そうして、幸善にとってのいつも通りの日常が始まっていた。左腕を負傷するほどのことがあった直後のはずだが、それはあまりにもあっさりとしていて、本当に負傷しているのか、たまに襲ってくる痛みがなければ分からなくなるくらいだった。

 そのことが嬉しく思うと同時に、幸善の中で小さな違和感として膨らんでいた。


 こんなことをしていていいのだろうかとどこかで思う気持ちは、ただの自惚れなのだろうか、と幸善はこっそりと考えていた。

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