虎の炎に裏切りが香る(6)

 山の中を歩き始めてから二十分ほどが経過しようとしていた。もう少しで妖気が確認された一つ目のポイントに到着するところまで、幸善達は歩いてきていた。その前に妖怪が姿を現す可能性も考えてはいたが、結局、妖怪が姿を現すことはなく、一つ目のポイントの確認で何か分かればいいと全員が考え始めていた時だった。


 不意に先頭を歩いていた葉様が立ち止まった。先頭が立ち止まると、必然的に後ろを歩いていた人達の足も止まる。最後尾を歩いていた幸善も、何があったか良く分からないまま、足を止めていた。

 先頭に目を向けると、葉様以外にもそのすぐ後ろを歩いていた傘井や杉咲が何かを見ているところだった。どうやら、山の中に何かを発見したらしいが、少し離れた幸善からは何が発見されたのか分からない。


 そう思っていると、近くにいた牛梁も呼ばれ、幸善達も葉様のところまで歩いていくことになった。その途中で既に臭いがしていた。嗅ぎ慣れた臭いだが、さっきまでなかったはずの臭いだ。その臭いに幸善と同じように気づいたらしい浅河が眉を顰めている。


「何これ?がするんだけど」

「ああ、確かにするね。魚焼きグリルみたいな臭い」

「いや、魚の臭いはしないから、それはしないでしょ?」

「ええ?するでしょ?」


 浅河と美藤が多少ずれた話をしている間に、葉様が見つけたものを幸善達も見られるくらいの距離まで歩いてきていた。そこに落ちてあったものを見て、美藤が驚きで口を塞ぎ、浅河が嫌悪感を隠さずに眉を顰め、皐月が無表情を維持している。


 牛梁が葉様達のところまで歩いていってしまったことで、代わりに幸善の隣まで避難してきた相亀がそこに落ちてあるものを見ながら、小さな声で幸善に言ってきた。


鹿だ。しかも、微かだが

「つまり、あれは鹿ってことか」


 そう呟いた幸善の視線の先で、牛梁が葉様の発見した鹿に触れようとしていた。


「これが問題の妖怪?」


 傘井が牛梁の傍で、鹿を調べる牛梁を見ながら、そう呟いていた。場合によってはこれで仕事が終わるのだろうかと、その様子を眺めながら幸善が思っていると、振り返った牛梁が唐突にかぶりを振る。


「確かに妖気は残っていますが、それはです」

「どういうこと?」

「恐らく、この鹿が妖怪なのではなく…」

ということか」


 不意に葉様が呟いたことに牛梁は驚きながらも首肯していた。それから、鹿の首や胴体の一部の毛を手で分けるようにしながら、傘井達に説明を始める。


「ここの毛や皮膚に重度の火傷が見られました。それ以外に直接的な外傷は見られないので、恐らく、これが死因だと思います」

「つまり、牙や爪のある妖怪が噛んだり引っ掻いたりして死んだわけじゃないってことだね?」

「そういうことになりますね。単純に火か、もしくは猛烈な熱を生み出す何かか。そのどちらかの妖術を使う妖怪が殺したのだと思われます」

「何のためだ?」


 葉様が鹿の死体を見下ろしながら、牛梁に向かってなのか分かりづらい言葉を発していた。


「それは分からないが、そこが一番の問題だと思う。これは人間で言うところの…」

「快楽殺人。それに近いね」


 前方で繰り広げられる会話を聞き、幸善の隣で相亀が驚いていた。


「急に物騒な話になってるな」

「あれって殺したいから殺したんじゃなくて、って可能性もあるんじゃ…」

「何のために?」

「それは…良く分からないけど」


 幸善は自分が何を思ったのか、うまく掴み取れないことにもどかしさを覚え、頭を掻いていた。その間に前方には冲方と有間も加わり、傘井と共に確定した妖怪の存在にどう対処するか話し合っているようだ。


「その、やっぱり、あの、全員でまとまっての行動は、その、変えるべきじゃないと思うよ」

「有間さんの言う通りですね。相手が攻撃性を持っている妖怪だと判明した以上は、彼らを単独にする可能性は避けた方がいいと思います」

「別行動はなしね。それで…あ、ちょっと!?」


 三人が話し合っている間に、葉様が歩き出し始めていて、傘井は慌てて止めていた。


「勝手に行くな」

「何故?妖怪の存在が確定したなら、早く殺すべきだ。足手まといを連れていく理由はない」

「足手まとい…?」


 幸善と相亀の前で明らかに苛立った浅河の声が聞こえてきた。雰囲気から察するに幸善達だけではなく、葉様と浅河達の間にも軋轢が生じているようだ。幸善達のように明確な何かがあったわけではないため、浅河達は直接的な抗議をしていないが、葉様に対して嫌悪感を懐き始めていることは確からしい。


「とにかく、勝手な行動はやめてよ。あんまり輪を乱すようなら、あんただけ帰ってもらうからね」


 傘井にそう言われると、渋々といった感じで葉様は足を止めていた。その姿に、そこまでして妖怪を殺したいのか、と幸善は思い、呆れや驚きを通り越した尊敬の念を懐いてしまう。


「行くみたいだな」

「そうだな」


 話を終えたらしい先頭が歩き出し、その後ろも続いて歩き始める。幸善と相亀も揃って歩き出そうとするが、幸善はその前にやっておくことがあった。


「あ、そうだ。相亀」

「何だ?」

「頼んだ」


 幸善がそっと背を押すと、相亀は転びそうになりながら数歩進み、少し先を歩いていた美藤達に追いつく。


「はっ…!?」

「どうしたの~?相亀君?もしかして、私達を助けに来てくれたの!?」


 美藤と皐月が同時に相亀に抱きつき、相亀は一瞬で林檎のように顔を真っ赤にしていた。二人を慌てて振り払いながら、幸善をきっと睨みつけてくるが、顔を真っ赤にしながらの睨みなど幸善に効くはずがない。


「相亀の犠牲で俺が絡まれることはなくなったな」

「あんた鬼だね」


 浅河の呆れたような呟きも聞こえてきたが、幸善の心は驚くほどに穏やかだった。

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