虎の炎に裏切りが香る(5)

 動物の姿をした妖怪が姿を現しそうな場所となると、人の手が入っているわけもなく、道とも呼べない斜面を幸善達は歩く必要があった。元々、その足場の悪さを懸念して、これだけの人数を用意していたので、そのこと自体は山に踏み込む前から分かっていたことだったが、実際に歩いてみると、それは想像よりも遥かに険しかった。


 幸善は調査や周囲の警戒をする余裕もなく、ただ山の斜面を歩くだけで精一杯だった。それは他の人達も同じようで、特に有間隊の面々は動きやすいスニーカーのような靴を履いてきていなかったため、滑って落ちそうになっては近くの人に助けを求めるということを繰り返していた。


 そして、その標的になったのが相亀だった。


「あわっ!?また転んじゃう!?」


 そう言いながら、美藤が慌てて近くにいた相亀に抱きつく。その瞬間、相亀はのぼせたように顔を真っ赤にし、手足をあたふたと動かしていた。


「ちょっ…!?だから、何で抱きつくんだよ!?」

「ええぇ?いいじゃん。助けてよ」


 明らかに相亀の様子を面白がりながら、美藤は笑顔で抱きつく強さを強めていた。そのことに倒れるのではないかと心配になるほど、相亀がふらふらとよろめき始めた直後、バランスを取るように皐月が美藤の反対側から相亀に抱きついていた。


「うわー、転んじゃうー」


 本当に思っているのかと聞き返したくなるような無表情に、無感情な声を乗せて、皐月は美藤と同じように相亀に抱きついている。子供に遊びをせがまれている休日のお父さんのような状態になっているが、相亀に抱きついているのは同年代の少女二人だ。いつもはあり得ない距離に二人も少女がいることで、相亀は既に酩酊状態のようになっていた。


「私も疲れてきたし、ついでに私も負ぶってくれない?」


 浅河も相亀に背後から近づき、その背中に伸しかかろうとしていたが、酩酊状態に陥った相亀の頼りない足取りを見て、寸前で止まっていた。流石に自分が背負うと相亀は蒸発し、消えてなくなるかもしれないという可能性に気がついたようだ。


「は、離れてくれ~」


 細長く、身体のどこから出しているか分からない声で、相亀は必死に美藤と皐月に訴えかけていた。その姿を少し先から見ていた水月が苦笑いを浮かべる。普通に会話することはできるようになったが、未だに女性との接触に慣れていない相亀からすると、今の状況は天国であり地獄だろうな、と水月は想像する。


 しかし、その想像も長く続かなかった。水月は美藤や皐月に抱きつかれ、浅河に背中を狙われている相亀の向こうに見つけた幸善の姿が気になっていた。

 水月が振り返り、先頭に目を向けると、そこには誰よりも先を歩く葉様の姿がある。幸善が歩いているのは、その葉様の正反対の位置である最後尾だ。二人の間には距離があり、それがそのまま心の隔たりを表しているような気がして、水月は心配していた。何か声をかけるべきかと水月は考え始める。


 その間に幸善に近づく人物がいた。佐崎だ。幸善の先を歩いていたが、歩く速度をゆっくりと落として、幸善の隣まで移動していた。


「さっきはごめんね」


 近づいてきた佐崎が開口一番、謝罪してきたことに幸善は驚いていた。


「いや、何が?」

「呼ばれちゃったから、挨拶が途中になったことと、涼介の態度のこと」

「それは別に謝られるようなことじゃないし…」


 佐崎に、という言葉を意識的にではないが、幸善はつけなかった。そのことを佐崎も分かったのか、苦笑いを浮かべている。


「君のことは聞いていて興味があったんだよ」

「俺のこと?」

「そう。本当に妖怪の言葉が分かるの?」

「ああ、一応…」


 そう言いつつ、幸善は少し警戒していた。思い出すのはタカの一件での葉様との会話だ。あの時、葉様はにべもなく、信じられないと言い切ってきた。その葉様と同じ隊に属している佐崎がどのように思っているのか分かったものではない。


 しかし、それは杞憂だった。


「凄いね。どんな風に聞こえるの?普通の人の声?」

「え…あ、うん…まあ、妖怪によって違うけど、人の話し声と一緒だよ」

「普通の動物は?」

「それは動物の鳴き声」

「そうなんだ。そこは不思議だよね。鳴き声自体に変わりはないはずなのに、妖怪の声だけ理解できるなんて」

「疑ってないのか?」


 あまりに当たり前のように聞いてくる佐崎の態度に、幸善はつい聞いてしまっていた。その言葉の方に佐崎は不思議そうな顔をしてくる。


「どうして、そうなるの?」

「だって、葉様は信じるわけがないって言ってたから」

「あー…涼介は、ね…」


 佐崎は悲しそうな目で先を歩く葉様に目を向けていた。同じ冲方隊とはいえ、幸善と相亀が衝突を繰り返しているように、二人の間にも何かがあるのだろうかと幸善が思った直後、佐崎と目が合い、佐崎は照れたような笑みを浮かべる。


「涼介はお祖母ちゃんを妖怪に殺されているんだよ。それから、妖怪をずっと恨んでいる。敵対しているかどうか関係なく、全てを滅ぼしたいって思うくらいに。だから、妖怪の味方をする君を認められないんだと思う」

「意味が分からない。妖怪に家族を殺されて、妖怪を恨むのは分かるけど、だからって、妖怪全てを殺すことが解決法として正しいはずがない。それは絶対に違う」

「涼介にはそれしかなかったんだよ。それしか、自分を保つ方法を見つけられなかったんだよ」

「そんなの…」


 続きの言葉を言う前に、幸善は口を噤んでいた。その一言を口に出すと、幸善は葉様の反対側で、葉様と同じ立場に立つことになる。それだけは避けたかった。


「きっと涼介なら、分かってくれるはずなんだ。だから、もう少し待ってあげて欲しい」


 佐崎にそう頼まれても、幸善はうなずくことはできなかった。


「悪いけど、俺はまたあいつが同じことをしようとしたら止めると思う。いつか葉様が理解したとしても、葉様の身勝手さに殺された妖怪が生き返ることはないんだ。だったら、それを止めるのが俺なりの正しさだ」

「そうか…君は強いね。俺や涼介よりずっと…」


 佐崎が悲しそうに呟く姿を見て、幸善は複雑な気持ちになっていた。自然と口から漏れた溜め息に、幸善は頭の重さを覚える。考えても、答えの分からない問題を考えること以上に、苦痛なことはなかった。


「ちょっ…牛梁さん!!助けてください!?」

「何で、俺に?」


 幸善の前方では、ついに耐え切れなくなった相亀が美藤達から逃れるように牛梁に助けを求めていた。そのことに驚きながら、牛梁は仕方なく、相亀の代わりになろうとする。


「ええ~。この人、顔が怖いから嫌だ。相亀君がいい」

「顔が怖い。チェンジ」


 美藤と皐月の無邪気な言葉が今度は牛梁を攻撃していた。その姿に浅河が笑い、水月が苦笑する中で、先を歩く葉様は振り返ることもなく歩いている。

 そこに幸善は寂しさを覚え、どうしてそう思ったのか、不思議に思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る