鷹は爪痕を残す(8)

 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま走り出した幸善だったが、そのモヤモヤも持続することはなかった。飛行するタカの速度に変化はなく、幸善の足では見失わないように追いかけるだけで精一杯だ。追いつくこともできないまま、そうやって走り続けているだけで、さっきの出来事を考えるだけの余裕はなくなる。


 身体能力の強化も、あまりうまくできないだけで、全く使えないというわけではない。今は一人で追いかけている以上、タカを見失うわけにはいかないので、何度か距離を詰めるために脚力を強化して、タカとの距離を詰めようと試みた。

 しかし、やはり制御は難しく、恐ろしくスピードに変化が出ない時もあれば、反対に速くなり過ぎて、自分の位置も分からなくなるほどの移動をしてしまった瞬間もあった。


 それら全てが誰にも見られていなかったから良かったが、目撃されていたらややこしい上に、下手したらタカを見失いそうだったので、幸善は仙技の使用を一度やめて、再び真正面からタカを追いかけることにしていた。


 そういえば、他の仙人はどこにいるのだろうか、と不意に幸善は思った。さっきから自分達以外の仙人を見ていないどころか、水月と相亀ともなかなか合流できない。

 せめて、幸善に意識が向いている隙に、他の仙人が捕まえてくれたら、この仕事も終わるのに、と考え始めた時には幸善の体力は尽きかけていた。


 ついには限界だと、幸善は完全に足を止めてしまう。膝に手を突いて、肩で息をしながら、頭から垂れる汗が地面に染み込む様子をただただ眺めていた。


 もう無理だ。追いつくどころか、追いかけることも無理だ。幸善は完全に疲労した身体を休ませるように、地面に大きく寝転ぶ。水月と相亀には申し訳ないが、このまま下手に行動しても、誰かに見つかる可能性を上げるだけで、捕まえられるとは思えない。

 もう少し、他の策を考えた方がいい。完全に諦めた幸善がゆっくりと身体を起こした。


 その時、少し離れた街路樹の上から、こちらを見つめるタカの存在に気がついた。幸善が倒れ込んでから、少なくとも一分は経っている。それだけの時間があったら、タカはかなり遠くに逃げられたはずだが、それをせずに街路樹の上から幸善を眺めていた。


 それがどういうことか。幸善は冷静になって考えてみる。どれだけ全力で走っても、自分に追いつけない人が追いかけてきていて、その人が疲れて倒れ込む様子を少し先から見ている。幸善なら、その時にどう思うか。

 冷静に考え、そして、すぐに冷静さを失った。


「あいつ、煽ってやがる!?」


 街路樹の上から幸善を見下ろし、自分に追いつけないと笑っている姿を想像して、幸善は激昂していた。そう考えると、さっきから定期的に何かに止まっていることにも説明がつく。休むフリをして、幸善達が必死に追いかけている様を嘲笑っていたに違いない。


 幸善は固く拳を握り、疲れなど忘れたように立ち上がっていた。表面上にも表情として現れているが、それ以上の怒りを胸の内で膨らませながら、遠くからこちらを見ているタカを見て、幸善は一つの決意をする。


 絶対に捕まえる。その決意を形にするために、幸善は再び走り出していた。


 街路樹の上に止まったタカは未だに飛び立つ気配がなかった。幸善が走り出すとは思っていなかったのか、走り出したところで老いつけないと思っているのか、声を聞いたわけでもないタカの考えは分からないが、幸善はその姿に更なる怒りを覚える。


 何としてでも捕まえてやる。そう思いながら、幸善は使うことをやめたはずの仙技を使おうとしていた。

 足に気を動かし、強化した脚力でタカに届くほどのジャンプをし、タカが飛び立つ前にその身体を捕まえる。完璧なイメージが幸善の中で構築され、幸善はタカを捕まえられる自信に満ち満ちてくる。


 絶対に捕まえられる。いや寧ろ、もう捕まえている。タカはもう幸善の腕の中にいる。幸善の自信はだんだんと意味の分からない方向に膨らんでいた。


 そして、街路樹の近くに到達した瞬間、幸善は足に力を込めた。既にタカを捕まえたイメージの幸善が、街路樹の上で待つタカに向かって飛び込んでいく。


 しかし、幸善がどれだけ自信を持っていようと、タカは自由な空の近くにいる。幸善の接近に気がつけば、飛び立てばいい。そのことに変わりはない。

 幸善がタカに抱きつくよりも先に、タカは大空に飛び立っていた。その様子に幸善は「あっ!?」と思わず声を上げながら、もう一つの問題に気がつく。


 跳躍の直前まで、タカを捕まえるイメージを浮かべていた幸善は、さっきまで使うことをやめていた仙技の方に意識を集中させることがなかった。それによって、幸善の脚力のために使用された仙気の量は調整されることがなく、幸善の脚力は必要以上に強化されてしまっていた。その足で幸善は街路樹の上に飛びつくくらいの感覚でジャンプした。

 そうしたら、街路樹を超える勢いになるのは、当たり前のことだった。


 幸善は勢いを殺し切ることがないまま、タカが止まっていた街路樹に向かって、身体を強く打ちつける。その衝撃は目の前がチカチカと明滅するほどだった。

 枝に身体をぶつけながら、幸善は地面まで落ちて、痛む全身を抱き締めるように悶え始める。


いったぁ!?」


 その時、不意に視線に気がつき、幸善は咄嗟に頭を動かしていた。視線を周囲に向けてみるが、気がついた視線の正体のような存在は見当たらない。


(あれ?誰かに見られたような…?)


「何してるの?」

「何してるんだ?」


 視線の正体を探していた幸善の背後から、急に聞こえてきた声に幸善は表情を歪めていた。振り返ってみると、案の定、水月と相亀が揃って立っている。


「お、お二人と同じで…」

「ツタ、ないのに?」

「ツタにやられたわけでもねぇーの?」


 水月と相亀の純粋な疑問に幸善は目を逸らす。「ただの自滅です」と口に出せるだけの勇気を幸善は持っていなかった。

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