白い猫は眠りに誘う(7)

 特訓の成果が出ることなく、ここ数日の幸善はQ支部から帰宅後、ベッドに倒れ込むことが日課になっていたが、その疲労も今日は特に酷かった。


 その理由はQ支部に向かう途中の相亀の一言だ。幸善は何故か喧嘩を吹っかけられ、気づけばQ支部まで競争することになっていた。結果はどちらも勝ったと主張できないくらいの僅差だった上に、そのことですっかり体力を使い果たしてしまったことで、幸善はいつもより早くにダウンしてしまい、水月と冲方に呆れられることになってしまった。


 ベッドに倒れ込んだ幸善は相亀の姿を思い出し、静かに怒りを覚えていた。あれはきっと遅くに幸善を送ることを億劫に思った相亀の策略に違いない。早めに体力を使い果たして、幸善の特訓の時間を奪ったのだ。

 一度でもそう思うと、静かな怒りはどんどんと膨らんでいた。いつもなら、疲労からすぐに眠りについていたはずが、今日の幸善はどれだけ経っても眠れない。

 そのことにも苛立ちが募り、ますます眠りから程遠くなっていく中で、部屋の外から電話の鳴る音が聞こえてきた。固定電話が鳴っていると思うことで、幸善の意識が程好く逸らされ、幸善はようやく眠れそうになる。


 あと少しで、ようやく眠りにつけそうだと幸善が思うこともなく、ゆっくりと意識をなくしかけた直後、部屋の外から声が聞こえてきた。


「幸善。電話」


 母親である頼堂千幸ちゆきの呼び声に、ようやく眠りにつきかけていた幸善の意識が引っ張られる。もう少しで眠れそうだったのに、という思いが強く、幸善はその声を無視して、何とか眠りにつこうとするが、一度起きてしまった意識ではすぐに眠れない上に、千幸の声は大きくなって、更に幸善の意識を現実に引き戻していく。

 仕方がないと思い、幸善は起き上がり、部屋を出ることにする。


 幸善を呼んでいた千幸は固定電話の隣で、受話器片手に鬼の形相で立っていた。幸善の姿を見るなり、きっと牙を見せてくる。


「何ですぐに来ないの!?」

「ちょっと寝てた」


 そう言われたら、責めるに責められなくなったのか、千幸は鬼の形相そのままに、幸善に受話器だけ渡して、リビングに戻っていく。その姿にほっとしながら、幸善が受け取った受話器を耳に当てると、何度か聞いたことのある声が聞こえてきた。


「あれ?東雲のお母さん?」

「こんな時間にごめんなさい。幸善君、美子がどこに行ったか知らない?」

「東雲?いえ、知りませんが…帰ってないんですか?」

「実はそうなの。連絡も取れなくて。京君のところにも連絡したのだけど、どうやら、京君も帰っていないらしくて」

「我妻も?」


 東雲と我妻が家に帰っていないと聞き、幸善は妙な胸のざわつきを覚えていた。二人が帰っていない事実もそうだが、それ以上に幸善が妖怪の存在を知ってしまったことが、そのざわつきの原因になっている。


「ごめんなさいね。もう少し待ってみるから」


 その声は平静を装っていたが、東雲の母親が明らかな不安を覚えていることは明らかだった。


 電話が切れると、すぐに幸善は考え始めていた。ただ東雲と我妻の帰りが遅くなっているだけなら問題ないが、連絡がつかないと言っていたことが気になる。犯罪に巻き込まれた可能性がある上に、妖怪の存在を知ってしまった幸善はそちらの可能性も考えてしまう。鼠の妖怪のように何かの目的を持った行動に、東雲が巻き込まれた可能性は十分にあり得る。


 ただ帰りが遅くなっているだけならいいが、それ以外なら自分にできることがあるかもしれない。特に妖怪のことなら、幸善にもできることはあるはずだ。

 仙人になることは未だに了承していなかったが、東雲と我妻が関わっているかもしれないのなら、それは話が違っていた。これは仙人としてではなく、友達を助けるために動くべきだ。


 そう思った幸善はスマートフォンだけを握り締め、千幸に一言言ってから、家を飛び出していた。仙技の特訓の後ということもあり、疲労でぶっ倒れる寸前だが、そんなことを気にしている場合ではないかもしれない。その思いが幸善を走らせる。


 すると家を飛び出した直後、ノワールが後ろを追いかけてきていることに気づいた。幸善は立ち止まり、走ってきたノワールに驚く。


「どうして、お前が?」

「どうせ、今日もふらふらなんだろ?一人で行かせて、何かあったら、千明や千幸が悲しむからな」

「お前……その母さんのこと千幸って呼ぶのやめろよ」

「そこは今、関係ないだろ」


 ノワールは妖怪だが犬であることには変わりない。もしかしたら、匂いで東雲や我妻を見つけるかもしれないと少し期待し、幸善はノワールを帰すことなく、一緒に連れていくことに決め、再び走り出した。


 この時はまだどこに向かえばいいか分からないことに、幸善は気づいていなかった。

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