鈴女亜生《スズメアオ》

黒い犬は妖しく鳴く(1)

 首の皮一枚繋がっている商店街の中心で、頼堂らいどう幸善ゆきよしは欠伸をした。学生の本分である勉学に努め、ようやく迎えた放課後で、帰宅しようとしている最中だった。普段は物心ついた頃からの付き合いである東雲しののめ美子みこ我妻あづまけいと一緒に帰っているのだが、今日は部活や他に用事があるからと言われ、幸善は珍しく一人で帰っている。


 幸善は授業中に溜め込んだ眠気と戦いながら、人のあまり歩いていない商店街を歩く。首の皮一枚繋がっているとはいえ、シャッター商店街の手前くらいにはあり、開いていない店もそれなりに多い。メインの客層である主婦も、今では近くの大型ショッピングセンターで買い物をすることが多くなり、ここに顔を見せるのは昔からの知り合い半分の客だけだと、商店街で店を開いている店主が愚痴っているところを聞いたことがある。

 そのためか、商店街はかなり静かで、その中を歩いているだけで幸善の眠気は倍増するようだった。歩いている最中に眠ってしまうような器用さはないので、眠りに落ちることはないが、歩いているだけで眠くなる商店街は問題だと、歩く度に心配になる。


 考えたところで幸善にできることはないのだが、ついついお節介を焼きたい気持ちに駆られた幸善の前に、不意に転がったゴミ箱が姿を現す。自販機の隣に置かれているもので、子供の悪戯か、酔っ払いが倒したのか分からないが、空き缶がいくつか転がっている。

 このままでは誰かが転んでしまうかもしれないと思い、辺りを見回してみるが、転びそうな人は誰も歩いていないので、放置しておいても問題がないかもしれない。もちろん、冗談だ。


 幸善は転がったゴミ箱を自販機の隣に戻し、転がった空き缶を集め始めた。商店街の脇から伸びる路地の方にまで、空き缶は転がっており、幸善は商店街の中の空き缶を拾った後、その路地にまで入って、残りの空き缶をゴミ箱に戻す作業を続ける。


 そして、最後の空き缶を拾おうとしたところで、不意に自分を見る目に気づいた。幸善が顔を上げてみると、幸善をじっと眺めるが一匹いることに気づく。ブラックコーヒーにミルクを落としたような黒と白が混じった毛色をした犬だ。首輪をつけていないので、飼い犬ではなく、野良犬なのだろうかと思いながら見ていると、ゆっくりとその犬が近づいてくる。


「どうした?」


 幸善は近づいてきた犬に声をかけながら、最後の空き缶を拾い上げる。もちろん、犬が返事をするわけがないので、幸善の問いに答えは返ってこない。犬と話していても仕方がないので、幸善は最後の空き缶を捨てるために自販機の隣まで戻り、ゴミ箱の中に最後の空き缶を放り込む。


 そこで幸善は犬がついてきていることに気づいた。幸善の足下まで歩いてきて、じっと幸善を見上げている。その円らな瞳に見つめられると、無視をすることもできず、幸善は屈み込む。


 こうして見てみると、犬は野良犬とは思えないくらいに綺麗な毛並みをしていた。もしかしたら、誰かが頻繁に整えているのかもしれない。それなら、誰かに飼われている可能性もある。


 幸善は少し考え、近くの交番にでも連れていくべきかと思い始める。このまま放置していても仕方がないし、その方がいいかと思い、幸善は自分の近くから離れない犬を抱き上げた。


「やっと見つけた」


 路地の方から声が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。幸善がさっきまで空き缶を拾っていた路地に目を向けると、二人の男がそこに立っている。一人は幸善と同じ制服を着た人物で、恐らく、幸善と同じ高校に通っている高校生なのだろう。


 もう一人は私服のようだが、それ以上に相貌の方が気になった。艶のある肌や服の雰囲気は若者と言った感じなのだが、皺やそれを強調する各部のパーツの影響か、とても貫禄のある面持ちをしており、特に鋭い眼光は人を視線だけで殺せそうな勢いだ。幸善はその人物が人を殺していると説明されても驚かないくらいに、その見た目が怖く映った。


「おい、お前」


 幸善と同じ制服を着た男が誰かに話しかけ、幸善は周囲に目を向けてみるが、その場には幸善と幸善が抱きかかえた犬しかいない。


「どっち見てるんだよ、お前だよ、お前」

「え?俺?」


 幸善が驚きながら自分を指差すと、制服を着た男が呆れた顔をしてくる。その表情の腹立たしさと言ったら、この上ないくらいだ。


「お前以外にいないだろうが」

「俺に何の用だよ?」


 幸善が苛立ちながら聞くと、男は幸善が抱きかかえている犬を指差してくる。


「そのよ」

「はあ?」

「だから、そのって言ってるんだよ」


 幸善は抱きかかえた犬を見てから、路地に立つ二人に目を向ける。それはあまりに唐突で、全く理由の分からない命令だった。

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