第5話 爽快、旅立ちの朝

 明くる日の朝、エンデュミオンは久し振りに部屋の窓を開け放ち、淀んだ空気の換気を始めた。


「私も意外と単純な面があるものだ。腐れ縁の友に励まされるなど、恥にも等しいがな」


 パラドンの妻が作ったというシチューを皿に盛り、朝早くから買ってきた焼きたてのパンと共に頬張る。

 カリカリに焼き上げられたパンに、シチューの甘味が染み込み、味わうほどに食欲が増す。


「思えば、シチューなどいつぶりであろう。手の込んだ料理はせんからな……」


 しばらく朝食を堪能していると、足元に愛猫ケルヒがすり寄ってきた。


「なぅーなぅー」


「おおケルヒ、お前の朝食もすぐに用意しよう。少し待っていてくれ」


 エンデュミオンが一撫でして微笑みかけると、言ったことを理解したかのように、ケルヒはソファの上に飛び乗って毛繕いを始めた。


 朝食を食べ終えたエンデュミオンは、買い置きの猫用フードとミルクを皿に注ぎ、外出の準備を始める。


「ケルヒ、私はたぶん明日まで戻らないが、良い子にしているのだぞ。少し、昔の仲間に会ってくる」


 旅に出るわけでもなしと、移動中の暇潰しに読み掛けの魔導書と、少し高級なよそ行きの魔法杖を手に取る。

 買ってから数度しか腕を通していない、上等な魔獣皮のコートを羽織って、靴も式典用の逸品だ。


 服装に無頓着なエンデュミオンがこれ程めかし込むのは、それこそ魔王討伐を讃えられ、王に謁見した式典以来かもしれない。


 鏡の前でくるりと回り、一人ほくそえむ。


「ふふ、やはり私の容姿は人間基準でもエルフ基準でも卓越しているではないか。忌々しいが、双方の良さが際立っているとでも言おうか」


 エンデュミオンは、出事のコンプレックスから些かナルシストの一面を持っていた。


「んなぅーん?」


 朝食を食べ終えたケルヒが、いつもと違う格好の主人へ疑問系の鳴き声を向ける。


「べ、別に何だ、久し振りに遠出するのだから、正装に深い意味はないぞ。そう、グラニカは今や立派な孤児院長、粗末な服装で訪れれば、先方の品位にも関わるからな!」


 猫に言い訳するほど焦っている自分にほとほと情けなさを感じるが、それでもこんなことを言える相手はケルヒぐらいのもの。


 孤独には慣れたと思っていたエンデュミオンも、ふと自覚した瞬間に心吹きつける寒風には、身を縮ませる他なかった。


「……それでは、行ってくるよ。おっと、そう言えば、パラドンのやつが鍋を回収に来るかもしれんな。二度手間になるのも面倒だ、書き置きを残しておくか」


『少し出掛ける。鍋は洗っておいたので、持っていけ。それと、中に入っているのは出産祝い代わりだ。 追伸 シチューはとても旨かったと貴様の妻に伝えるがいい』


 紙封筒にいくらかの金貨を入れ、鍋の中へ入れる。面と向かって手渡せば遠慮するあの男も、まさか置いていくような真似はすまい、そう思っての事だった。


「侵入者排除術式、起動。私の知己の者以外は入れるな」


 内側から扉に手をかざし、予め設定していた魔法を発動する。悲しいことだが、これは毛嫌いしていた家庭魔法の一種として習うものだ。


「ふん、戦場では何の役にも立たん家屋用の簡易施錠魔法だが、これもまた時代の変化と言うやつか……下らんな」


 コートを翻し、エンデュミオンは外へと歩を向ける。


 目指す先は、かつての仲間、暗殺教団頭目改め、王立孤児院長 聖母グラニカの元だ。


「…………いや待て、事前に行くと連絡すべきだったか? いきなりの訪問は迷惑にはならんだろうか?」


 ドアノブに手を掛けた瞬間、エンデュミオンの動きが止まった。


 すっかり準備しておいてなんだが、向こうは日々様々な雑務に追われる孤児院の長。

 かつての仲間とは言え、突然の訪問に応対させるのはあまりに無礼ではないか、そんな思いがエンデュミオンの脳裏を過る。


 しかし、今さら旅装を解いて、いそいそと文を書くのもあまりに情けない。


「い、いや、私は遊びに行くのではない。魔王の証、その後継者がグラニカを真っ先に狙わんとも限らん。事態は一刻を争う。よし、完璧な理論武装だ。一分の隙もあるまい」


 エンデュミオンは、自分を誤魔化すのが上手かった。


「それでは、ケルヒ。留守番を頼むぞ」


 扉を明け、大きく息を吸う。


 これが、ケルヒと自宅を見た最後の記憶になろうとは、エンデュミオンはこの時まだ知らなかった。

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