第2話 憤慨、無職の大魔導師

 平和になった世界、もはや必要とされなくなった戦闘魔法を教える魔術学院での職を、半ば勢いで捨てた翌日。


早朝の学院内に、エンデュミオンの姿があった。

退職届を無人の学院長室に叩き付け、それでも怒りは収まっていない。


「あの愚かしい学院長めがっ! 頭を下げられたとて、二度と戻ってやるものか!」


エンデュミオンは、自身の研究室で荷物をまとめながら当たり散らしていた。


「ええい、忌々しい……! 私を名誉客員教授として招いた時は、あれだけ都合の良い言葉を並べ、いざ私の魔法が役に立たなくなればすぐに掌を返す! はっ、ならば望み通り消えてやるさ!」


 エンデュミオンがこの魔術学院に赴任したのは、ここが国内で最高峰の魔法教育機関であったこともあるが、その切っ掛けは学園側と王政府からの強い打診があってのことだ。


 『魔王に対抗し得る、優秀な魔導師を育成する為』その口上に乗せられ、今日まで熱心に教えて来た。

しかし、講座を開くたびに年々受講者は減少。

卒業していった教え子達も、この平和な世で戦いを仕事にしている者はほとんどいないはずだ。


 魔法には完全な適性があり、体内で魔力を変換することが出来なければ、例えどれだけ修行しても火を起こすことすらできない。


 魔力変換は後天的に得ることができない才能とされ、人間では五十人~百人に一人ほどしかいない稀少な存在だ。


 エンデュミオンの怒りは、その才能をただ家事や仕事に利用する為に使うという発想が、許せない故のものだった。


「私は、人間どものままごとを楽にする為に魔導を極めたわけではないっ!! 私は何のために、何を為すためにここで、クソ……!」


 魔導書を木箱に乱雑に詰め込み、魔法道具を紐で括って一纏めにする。

こうしていると、嫌でも勇者と共に旅をしていた時のことを思い出してしまう。


「私は……私は魔王討伐の功績輝かしい、大魔導師、エンデュミオン=クラウスフィアだ……うぅ、なぜ、なぜこんな……!ぐすっ……」


エンデュミオン=クラウスフィア。

稀少種族エルフと、とある魔導師との間に生を受けた彼の半生は、血の滲む努力と孤独によって彩られていた。


 エルフ族と他種族の交わりは禁忌とされ、母親とは物心つく頃には離ればなれになった。


 父は賢人として周囲に頼られる魔導師であったが、母とのことが原因でエルフ族の怒りを買うことを恐れた村人に村を追放され、程なく流行り病で呆気なく死んだ。


 幼くして孤児となったエンデュミオンだったが、父の遺産や研究を元に独学で魔法を学び、偏見や差別に堪え、遂には魔王討伐の精鋭に選抜されるまでの大魔導師になったのだった。


 成人を迎える頃には、千を超える魔導書を読み、万を超える術式を組み上げていた。


 しかし、その常軌を逸した努力の原動力が、並々ならぬ怨嗟であったのは彼の不幸な事だったかもしれない。


『私を忌み子と蔑むエルフが憎い、私を混血と蔑む人間が憎い……! 今に見ていろ。魔法を極め、いつか必ず私の前に平伏させてやる………ッ!!』


魔王を滅ぼし、世界を救った。

しかし、エンデュミオンの心の奥底にある憎悪が晴れることはなかった。


当然、英雄となった彼を嘲笑う者はもういない。

しかし、その掌を返したような世間の様を、エンデュミオンは担ぎ上げられた壇上から、ただ冷たく見下ろしていた。


 彼の本心、煮えたぎる憎悪は気のおけぬ仲間である勇者一行でも知るものは少ない。

だが、彼の憎悪を、ただ一人見抜いた者がいた。


『違ったらアレなんすけど、エンデュさんって、急に魔王側に寝返ったりしないスよね?』


『いや、だって……たまに、目に映る全部が憎いみたいな顔するじゃないスか。悩み事あるなら、俺、聞きますよ』


"不屈の狂戦士"リュノスケ。

異なる世界より召喚されたその男は、勇者すら気付かなかったエンデュミオンの心を読み当てた。


 あの時は、「異界の人間風情が、私を愚弄するか!」と怒りをぶつけたが、今思えば寸分違わず核心をついていたのかもしれない。


「はっ、お前が正しかったぞ、リュノスケ。私は今、目に映る全てが憎くて堪らない。世界が平和になれば、英雄とてお払い箱だ。所詮、この世界の人間は、私を嘲笑っていた頃と何も変わらぬ」


誰もいない虚空へ、エンデュミオンの自嘲が響く。


いっそ、新たな魔王として名乗りを上げようか。

自ら編み出した極大範囲爆撃魔法で、王都を塵にでもすれば、あの懐かしい仲間達の手で父の待つ楽園へ送って貰えるかもしれない。


あるいは、自ら殺した魔王の待つ冥界へ、か。


「……下らん夢想だな、さらばだ魔術学院。二度とこの門をくぐることは無かろう」


まとめた荷物を背負い、部屋を後にする。


 職を失った英雄、エンデュミオンの背はどこか悲しげに見えた。


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