第22話全ての真相
スフィアは、自分を安全な場所に匿った忍びの正体が、自分の身を挺して死んだはずの女中――ルビィだったことに驚いた。それ以上に彼女が憎き仇に斬られたことに衝撃を覚えた。だからなりふり構わず、スフィアは倒れているルビィの元へ走った。
「ルビィ! なんで、どうして……」
近くにオウルがいるのにも関わらず、大量の出血で血塗れになったルビィを抱きしめるスフィア。ルビィはかつての主人に対し「申し訳、ございません……」と謝った。まるで全て自分のせいだと言わんばかりだった。
「わ、私は、愚かでした……小太刀さえ手に入れれば、ローゲン家を滅ぼせば、全て、上手くいくと、思いこんで……」
「喋らないで! いや、意識だけは保って!」
スフィアは両手が血で汚れながらも、必死の形相で止血をする。だけど誰の目からもルビィの命の灯火が消えようとしているのが分かってしまう。おそらくルビィ自身も分かっていただろう。だから、彼女も必死に自分の思いを伝える。
「聞いて、ください。お嬢様……あなたの父君、エスタ・スパイディ様を殺したのは、ホークでもオウルでもございません……」
「うん! さっき知ったわ!」
「だから、復讐を忘れて、生きて……」
がくっと意識を失いかけるルビィだが、なんとか精神力で意識を取り戻す。
そして最後に彼女は、今わの際に最期の言葉を、スフィアにだけ聞こえるように、小さく呟いた。
「湿らすものを、取り除く……エスタ様の……」
スフィアには理解できないことを言い残して、全身から力を失い、息を引き取ったルビィ。
スフィアは「冗談でしょ……」と絶句した。死んだはずの女中がまさか生きていた。それなのに、目の前で殺された。その胸中は計り知れない。少女の心に大きな傷が刻まれた――
スフィアの頭上で鋭い金属音が鳴った。呆然としながら上を見上げると――オウルが振り下ろした刀をラットが受け止めていた。彼らは互いに怒りを込めた目で見つめ合う。
「おい、オウル。てめえ、何しようとした?」
「…………」
「答えろ!」
ラットの怒りが込められた大声に、オウルも邪魔された怒りを刀に込めて押し続ける。そうして今までの鬱憤を晴らすような、悪意の塊のような言葉を発する。
「その娘の首を――斬り落とそうとしたんだ! 父親のように!」
「――っ! このくそったれが!」
ラットがオウルの長刀『麒麟』を跳ね上げるように払う。オウルは無理に力押しすることなく、後ろに下がって切っ先を向けたまま、いつでも攻撃できる体勢を取った。
スフィアとルビィの遺体を庇うように、前に立ったラット。警戒を怠ることなく、オウルに問いかけた。
「どうして、その忍びを殺した?」
「……そいつは契約を全うできなかった。いや、始めから守る気なんてなかったんだ」
「なんだと?」
「言葉どおりだよ、ホーク」
オウルは切っ先を向けるのをやめて、自分の刀を鞘に納めて、ラットとの距離を開けて座った。その彼をラットと涙を流し続けるスフィアは見ていた。
「その忍びは――小太刀の秘密を知っているのにも関わらず、俺に最後まで教えなかった。加えてエスタの娘を生かして、スパイディ家の再興を迫ってきた」
「…………」
「そんなこと、俺が許せるわけがねえだろが!」
床に思いっきり拳を落とすオウル。昔の沈着冷静な彼ならばありえない言動だった。その激しい怒りをスフィアに向ける。この世全ての憎しみを込めた目だった。思わず背筋が凍る思いになったスフィア。
「エスタは全ての元凶で! 俺から妹と兄弟を奪った! 最低のくそ野郎だ!」
「い、一体、何を言っているの……? 父上が何をしたって言うのよ……?」
話が飲み込めないスフィアにオウルは怒りではなく、蔑むような目をした。そして今まで誰にも言えなかった、自分の思いを声に出して、言葉にして暴露しようとする。
「待て! 言うな!」
ラットが今までにないくらい焦りを見せた。スフィアの心に大きな不安が渦巻く――
「お前の父親は、エリザを、俺の妹を襲おうとしたんだ!」
「……えっ?」
ラットの制止の声も虚しく、オウルは真実を告げた。
ラットがホークの名を捨て、故郷から追放された理由。
オウルが全てを失い、将軍になる野望のみを拠り所に生きた原因。
スフィアは足元が崩れ去る思いで――二人を交互に見つめた。
「なんで、父上は……」
「お前の父親の女好きは有名だからなあ。美人の妹が見初められたのは、当然の話だ」
オウルは立ち上がって衝撃で茫然自失になっているスフィアに、次々とあの夜の出来事を語りだした。
「エリザがミツバ城の祝賀会にいたのは、ホークの婚約者だったからだ。小大名を襲名するんだから、いてもおかしくねえ。むしろ未来の夫の晴れ舞台を見たいってのは、当然の話だ」
「…………」
ラットは唇を噛み締めた。もしもエリザをあの場に招かなければ。そう思った夜は何度もあった。そのたびに悪夢を見続けた。
「エスタは妹をゲストルームに連れ込んで、暴行しようとした。俺たちはそれを阻止しようとして部屋に踏み込んだ。ま、実際は俺のほうが先だったがな」
「そ、それで、父上を殺したの?」
オウルは憎々しげに「俺が殺してやりたかった」と吐き捨てた。つまりそれは否定であった。悲しいことに、どこまでも否定でしかなかった。
「お前の父親を殺したのは――」
一呼吸置いて、オウルは今まで誰にも言えなかった事実を口にした。
「――妹のエリザだよ」
スフィアは一瞬、オウルが何を言っているのか分からず――次の瞬間で理解させられた。けれど、様々な疑問が頭の中に去来して言葉にならなかった。
そんな彼女を余所にオウルは懐から、ラットがエリザにあげた髪飾りを取り出す。異世界からこの世界に転移してきた武士が伝えたもの――『かんざし』だった。くすんだ金色に輝くそれをオウルはスフィアに見せ付ける。
「これは武士の娘が髪に付ける髪飾りだ。髪留めのためのものだが、二つほど用途がある。一つは辱めを受けたときに自害するため。もう一つは――襲ってきた者を殺すためだ」
「…………」
「俺が駆けつけたときには、全てが終わっていたよ。妹は犯され、エスタは喉笛をかんざしで貫かれていた――」
『はあ、はあ……ホ、ホーク……エリザが……やっちまった……』
エスタの喉からかんざしを引き抜いたオウル。裸に剥かれたエリザ。そして死体になったエスタ。見た瞬間、ラットは状況を理解した。このままだと、エリザは斬首される――
『オウル。エリザを連れて逃げろ』
エリザの身体に自分の上着を着せながら――彼女は気絶していた――ラットはオウルに言う。
『馬鹿なこと、言うなよ。お前こそ、エリザと逃げろ――』
全身をガタガタ震わしていたオウル。いくら彼でも分かっていた。小大名でもない自分が罪を被れば、切腹は免れないと。
『エリザには、お前が必要だ。兄貴だろうが』
エリザの心を癒せるのは、家族であるオウルだけだ。ラットはそう思って、エリザを彼に預けた。
『それを言ったら、お前は婚約者だろ!』
そう言いつつ、ラットが傍にいたら、妹は罪悪感に苛まれるだろうと感じていた。
『たった二人の家族じゃねえか。頼むぜ、兄弟』
その言葉でラットも同じことを思っていたと理解させられた。
『ホーク……すまねえ!』
謝るしかできなかった。
逃げ出すことしかできなかった。
兄弟分に罪を被ってもらうことしかできなかった。
そんな自分が情けなくて、恥じる毎日だった。
ラットは二人を見送った後、エスタの首を斬った。
かんざしの傷口を誤魔化すためには大きな傷を作るしかなかったのだ――
「妹は、エリザは――精神を病んで、衰弱死したよ。最後までお前に謝っていた」
オウルはラットを見据えていた。妹の死の原因の一端にラットが関係していると言わんばかりだった。だがそうしないとオウルの心の平衡が取れないことをもラットは何となく理解していた。
「なあ、オウル。お前――俺を恨んでいるのか?」
「……さあな。そんなこと、分からねえ。でもよ、結果的に俺はお前と妹を失った」
オウルは立ち上がって開かずの金庫の傍に寄った。刀の鞘で示しつつ「俺はな。この開かずの金庫の話が出たとき、チャンスだと思ったよ」と言う。
「栄光を掴むチャンスだ。お前と妹を失ったことを取り戻せる。全てをやり直せる。そんな栄光を掴む――」
「オウル。お前、間違っているぜ」
兄弟分に言い聞かせるようにラットは静かにオウルの神経を逆撫でするようなことを言った。当然、オウルは額に青筋を立てて「……なんだと?」と怒声で答えた。
「汚い手段で将軍に成り上がっても、人を殺して血塗られた手で栄光を掴んでも、そんなもんに価値なんてねえ。人を殺すってのは重いんだ。お前は失ったもんへの罪悪感を減らそうともがいていたが――逆に重荷を背負い続けているんだよ」
「――っ! うるせえ!」
ラットの言葉にオウルはこれまで耐えてきた心の奥底の怒りを露わにした。
「知ったような口、利くんじゃねえ! てめえに何が分かるんだ!」
長刀『麒麟』の鞘を抜き捨てて、切っ先をラットに向ける。
「追放されて、妹が弱っていく様を見ず、何もできない無力感に苛まれた、そんな地獄を味わったことねえくせに、偉そうに説教垂れるな!」
「分かるよ。お前の苦しみは分かる」
ラットも同じく赤鞘の刀を抜き捨てた。そうして中段に構える。
「俺は、大切にしていた兄弟と妻を失った。楽しかった日々を取り戻そうとしても、もう手から離れてしまった。二度と戻らない」
「…………」
「だから――決着をつけよう」
ラットはオウルに言う。
「お前の野望を打ち砕いてやる。間違った道に進んだ兄弟を正してやる。たとえドブネズミの刀でも、それくらいはできる」
「……ああ、そうかよ」
オウルはラットに言う。
「俺は栄光を掴むため、暗い過去から訣別するため、お前を斬る」
ラットとオウル。互いに睨み合い――そして両者は同時に動いた。
「行くぞぉおおおおオウル!」
「来いやぁああああホーク!」
長年の確執。遠くなってしまった関係。もはや取り戻せない美しい日々。
それらとの決別のため、もしくは正しい道に進むため。
二人の刀は、再び交わった――
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