第21話サザンクロス城の戦い
『エリザ、喜んでたぜ。お前の贈り物』
『ああ。昔の武士が持ち込んだ、髪飾りだけどな』
ラットは自分がまた夢の中にいると自覚していた。何故なら、もう二度と酒を酌み交わすことのない、オウルが隣にいるからだ。そしていつもの清酒を礼儀正しく飲んでいた。ラットも好んでいる濁り酒を口に運ぶ。
『ホークさん! 似合うかしら?』
『とても似合っているぜ、エリザ』
今度はメニシンシティではしゃいでいる、エリザの姿。兄とそっくりな銀髪をたおやかに流しながら、嬉しそうにラットの贈り物を髪に付けている。そしてラットに駆け寄って、上目遣いでこう言った。
『一生、大切にするね!』
ラットが答えようとしたとき、世界が暗転した――
『はあ、はあ……ホ、ホーク……エリザが……やっちまった……』
『オウル。エリザを連れて逃げろ』
『馬鹿なこと、言うなよ。お前こそ、エリザと逃げろ――』
『エリザには、お前が必要だ。兄貴だろうが』
『それを言ったら、お前は婚約者だろ!』
『たった二人の家族じゃねえか。頼むぜ、兄弟』
『ホーク……すまねえ!』
一連の出来事が早く流れる。そして渦中に吸い込まれる感覚。深い、深い、闇の中へ。自己が無くなるように、消えていく――
「大丈夫なの? ラット」
しばらく使われていない、小さな家。
スフィアが自分の顔を心配そうに覗きこんでいる。不安げに心細そうに、ラットの目覚めを待っているようだった。対して、ラットは「大丈夫だ。問題ない」と答える。どんなにつらくとも、そう答えるしかないとラットもスフィアも分かっていた。
「……そう。ならいいわ」
スフィアがラットの強がりを受け止めた。流すのではなく、優しく包み込むように。ラットは起き上がって、ドクから貰った忍びの秘伝薬を口にする。効果が効きはじめるまで、しばらく待つ。
「本当に、プルートたちの援軍、間に合うのかしら」
スフィアは窓から見えるサザンクロス城の周辺で、多くの武士が周囲を警戒しながら守っているのを眺めていた。オウルは相当に警戒している。薬が効くまで指一本動けない、かつての兄弟分のラットを。
ラットとスフィアは、ローゲン家の馬屋から軍馬を拝借してサザンクロス城近くまでやってきた。しかし前に飲んだ薬の効果が切れたラットは、今休んでいる家を見つけるなり、倒れてしまった。スフィアは彼をベッドに寝かせて、目覚めるのを待った。同時にプルートとドクが連れてくるはずの武士たちの到着を待つ。
しかし二人の家臣たちは、プルートが百人、ドクが五十人ほどであり、今見えているオウルの家臣の三百人強には及ばない。いくらラットとドクとはいえ、半分の戦力を勝たせることなど不可能だ。
「ねえ、ラット。勝ち目はあるの?」
「……どうだろうな。やるしかないとしか言えない」
薬が効いたのか、立ち上がって自分の身体を確かめるラット。そんな彼に「死ぬかもしれないのよ?」とスフィアは大きな瞳を潤ませて言う。不安ではなく、犬死に終わるのを厭う気持ちで一杯だった。
「そもそも、本当にオウルはあそこにいるの?」
「プルートが言ってたろ? 金庫は動かせないって」
「それはそうだけど……」
「スフィア。怖いならお前は行かなくていい」
ラットは赤鞘の刀を持って、そのまま家から出ようとする。二人が連れてくる武士たちを待つつもりは最初から無いらしい。スフィアは「一人で格好つけないでよ」と小さく抗議した。それだけが不満と言わんばかりの言い方だった。
「私も当然、行くに決まっているじゃない。オウルに埋蔵金は渡せないわ」
「……オウルがお前の父親を殺したんじゃないんだぞ?」
「分かってる。でも、予感がするの。オウルを将軍にしちゃいけないって」
ラットやドク、そしてプルートから聞いた話でしか、判断できないけど、それでもサウルを治める将軍にさせるのは、なんだか危うい気がしたのだ。何か取り返しがつかなくなるような気がしてならない。もしかすると、オウルへの長年の恨みがそう認識させているのかもしれない。でも、スフィアは自分の感覚を信じることにしたのだ。
「命がけだぞ?」
「それも分かってる」
「人を殺める覚悟はあるのか?」
「……少しだけ、あるわ」
スフィアはラットとの戦いで亡くなった、ローゲン家の武士の刀を握り締める。慣れない大刀だけど、十分に戦えると彼女は考えていた。
「少し? それで殺せるのか?」
「人を殺す覚悟なんて、いくらあっても足りないでしょ?」
半年前、初めて出会ったときのラットの台詞を揶揄した言い方だった。ラットはにこりともせず「言うようになったじゃないか」と背中を向けた。
「よし。それじゃあついて来い。道は開けてやる」
「ええ。背中は任せてちょうだい」
二人は半年間、仕事人とその助手として働いていたが、真の意味で互いに信頼していたとは言えなかった。だが、ここに来てようやく二人の間に絆というものが芽生えた。刀によって生まれてしまった、流血による絆である――
「ようこそおいでませ――サザンクロス城に」
仰々しく出迎えたのは、以前ラットを案内したランマという少年だった。その周りにはずらりと三百人の武士が整列していた。各々がラットとスフィア、たった二人に殺気を放っている。
「なんだ。オウルは出迎えてくれないのか?」
「殿は今、大変に忙しいのです。生憎ですが、あなた方の相手をしている暇はありません」
「代わりに三下を相手にさせるとは。どんだけ偉くなったんだ? あの馬鹿は」
三下とあの馬鹿という言葉にぴくりと反応するランマ。周りの武士たちの殺気がますます強くなる。しかし数の優位のせいで心に余裕が出てくるのか、また薄っぺらい笑顔に戻った。
「殿が相手するほどの器ですか? 堕ちた武士、ホークさん。そして追われた姫、スフィアさん?」
「あら。あなたごときに計れる器じゃないけどね。私たちは」
皮肉を返しつつ、スフィアはすらりと刀を抜いた。ラットも応じて刀を抜く。ランマは顔を歪ませながら「気に食わないですね」と本音を言い出した。
「あなた方が生きる道など、ありはしない!」
「道が無ければ、切り拓くだけさ――」
ラットは中段に構えて、三百人の武士たちに向かって言う。
「覚悟がねえ奴は来なくていい……死ぬ覚悟がある奴だけ――かかってこい!」
その言葉が発端となって、三百人の武士たちが襲いかかろうとした――
「ちょっと待った! 何勝手に始めようとしてるのかな?」
見るとこちらに進軍してくる武士の集団――軍勢がやってきた。全員、刀を携えていて、三百人の武士たちに挑もうとする、勇士たちだった。
その先頭にいるのは、グラン事件で勇名を馳せた、ドク・クレイム。その隣には地下牢でのみすぼらしい姿から、立派な着物に変えた、プルート・イースンがいた。
「なんだよホーク。水臭いじゃんか。それに少し待ってよ」
「イースン家とクレイム家。両家合わせて百六十名。ここに推参した!」
子どもみたいなことを言うドクに対し、大人顔負けの威厳を込めた声を発するプルート。呼応するように百六十名が雄叫びを上げた。三百人の武士たちは、思わず顔を見合わせた。
「ええい! 何をうろたえているのですか! こちらのほうが数は上です!」
ランマの声に三百人の武士は気を取り直す。そうだ。結局、こちらの優位は変わらない――
「はあ、はあ、待ってください!」
ドクたちの別の方向から早足で駆けてくる、五十から七十の武士の集団がこちらにやってきた。その先頭にいたのは、酒屋の若旦那、ダニエルだった。
「ダニエル? どうしてお前がここに?」
「ふう、間に合ったようですね……」
汗を拭いながら、鎧姿のダニエルは「ドクさんに言われて、集めてきたんですよ」と率いた武士集団を指差す。ラットは彼らに見覚えがあった。というよりも顔馴染みの者たちだった。
「トライアド家の、武士たちか……!」
「ええそうです。みんなオウルの兄貴に一泡吹かせたいと言って、集まってくれました」
「やるじゃないか、ダニーぼうや!」
ドクも駆け寄ってきて、珍しくダニエルを褒める。ダニエルは「ダニーぼうやはやめてくださいよ」と笑いながら応じた。
「さあ。これで状況が分からなくなりましたね」
プルートも彼らの傍に寄った。確かに、ダニエルが連れてきた武士たちを加えれば、若干数で劣る程度だった。十分に――勝機はある。
「……これで、勝負は分からなくなったな。ランマ」
「う、有象無象が集まったぐらいでなんですか! 皆さん、行きますよ!」
ランマの号令で三百人の武士たちが各々の刀を構え、大声をあげて襲い掛かる。応じるように集まった武士も刀を抜いて戦い始める。
「あははは! こんな豪勢な戦い、初めてだあ!」
「ど、ドクさん!? 一人で行かないでくださいよ!」
興奮してアクス家の軍勢に飛び込むドク。それを慌てて追いかけるダニエル。
プルートも敵の一人と一対一で戦う。
ラットとスフィアも交戦する――
「スフィア。機を見て城内に入るぞ!」
「ええ、分かっているわ!」
敵を倒しても、オウルを倒さなければ、意味がない。だから二人は互いに背中を預け、サザンクロス城に入った。城内にも敵がいると思われたが、意外と誰一人いない。全戦力を城門前に集中させているのか。オウルの意図が分からないラット。
最上階にある天守の間。その扉の前に立つ二人。顔を見合わせて、扉を開こうとする。そのとき、彼らは目で覚悟を確認した――
「オウル! 覚悟――」
ラットが怒鳴りながら、中へ入る。スフィアも警戒しつつ入った。
天守の間。天井も面積も広い空間の奥。そこには刀を抜いたオウルとサファイアがいた。振り返るサファイア。覆面をしていない素顔。そしてスフィアを見て叫んだ――
「お嬢様! こちらに来てはいけません――」
言い終わる前に、オウルの長刀『麒麟』の刃が煌く。
飛び散る鮮血。そして倒れる身体。
女忍びのサファイアが倒れる様を見て、スフィアは叫んだ――
「まさか――ルビィ!?」
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