第19話ドクとアゴン

 時刻は真夜中。タンガ城の裏門で見張りをしていた武士二人。彼らは交代の者がいつ来るかと思いつつ、退屈していた。表門と違い訪れる者も少ないこの場所はやることがほとんどなかった。

 そのとき、ふと甘い香りがした。おかしいと思う間もなく、二人の身体は崩れ落ちた。香りが消えると、口元を布で覆った三人が物陰から出てきた。ラットたちだ。


「へえ。すぐに効くんだね。便利でいいや」

「体質によるけどね。じゃあ行きましょう」


 ドクの言葉を受け流したサファイア。そして裏門を通り暗闇の中を進む三人は地下牢への入り口の前で、またも二人の見張りを見つけた。また眠り粉を使うかと思いきや、懐から箱のようなものを取り出す忍び。その中身はカエルで、そのまま二人の武士のほうへ跳ねて行く。


「うわ! なんだよ、カエルか」

「俺、苦手なんだよなあ。ほれ、どっか行け!」


 持っていた槍の柄先で追い払おうとするが、カエルは素早く避けて当たらない。それどころか、まるで踊るようにその場で跳ね続けている。一定のリズムを刻むように、ぽん、ぽん、ぽん、と。

 見張りの者はカエルを見続けていた。まるで魅入られたように。ぽん、ぽん、ぽん。そのリズムが心地良くなってくる。ぽん、ぽん、ぽん。次第に瞼が落ちてくる。ぽん、ぽん、ぽん。身体の力が抜けて、崩れ落ちてしまった。


「……なんだあのカエルは?」

「催眠術を仕込んだカエルよ。同じ術を続けて使うと、行動がパターン化するからやめたほうがいいって頭領に言われているのよ」


 ラットの問いに理由を添えて答えたサファイア。彼女はカエルを回収して、地下牢への扉を開けた。そしてラットとドクに「言っておくことがあるわ」と念を押した。


「ここから先は、あなたたちがメインで戦ってちょうだい。私はさほど強くないから」

「いいだろう。承った」


 ラットが刀の鞘に手をかけつつ、慎重に進む。ドクは「もうちょっとサービスしてもいいんじゃないの?」と軽口を叩きながらもラットの後に続いた。サファイアは何も答えずに彼らの後方についた。


 その後、別の入り口から入ったと思われる武士たちを奇襲で気絶させ、入り組んだ道をゆっくりと進んでいると、奥の曲がり角から灯りが見えた。ラットが素早く手で制止するように合図を出した。


「……おっと。まさか、あなた方がここにいるとは」


 数名の武士を引き連れたアゴン・ローゲンが驚きと感動が入り混じった声でラットたちを照らす。舌打ちしながらラットは刀を抜いた。ドクも同じように小太刀を二刀構えた。


「……ホークさんはともかく、ドクさん、あなたが歯向かうとは思いませんでしたよ」


 刀を抜かないアゴンに呼びかけられて、ドクは「あははは。俺も予想してなかったよ」とフランクに話す。そして主君の子に向かって交渉を仕掛ける。


「そこをどいてくれないかな? いくらなんでもホークと俺のコンビに勝てるほど、自惚れていないよね?」

「ええ。あなた方の伝説はよく知っていますから。私の憧れですし」

「話が早くて助かるよ、アゴン様」

「でも、黙って通すと、私の面子が立たないんです」


 アゴンはドクを見据えながら――否、ドクだけを見つめながら、提案をしてきた。おそらく彼が一番したかった提案だった。


「ドクさん。私と戦ってくれませんか? 他の二人は先に進んで構いませんから」

「……いいけど、君はそれでいいの?」


 ドクは快諾したけど、周りの武士たちはざわめいた。敵を黙って通すような行ないをどうしてするのか、理解できなかったのだ。だが提案した当人はこれが自分の都合が良いと思っていた。


「私は、以前からドクさんと戦いたかった。でも、機会に恵まれなかった。そして立場も考えなければいけなかった。私はドクさんの主家の跡継ぎだから」

「考えすぎなのは、君の悪いところだよ。戦いたかったら、喧嘩吹っかければいいのに」

「……その自由なところも、憧れでしたよ」


 アゴンはおもむろに周りの武士たちのほうに近づいて――素早く刀を抜いて彼ら全員を峰打ちした。あまりの速さに武士たちは対応できず、気絶してしまった。ラットは昔のドクも同じようなことをしたなと懐かしんでいた。


「これで、邪魔は入りませんね」

「……はあ。ここまでされて、断るのは野暮の極みだね」


 ドクは二刀の小太刀を逆手に握って「行きなよ、ホーク。サファイアちゃん」と促した。笑みを浮かべながら、戦闘を楽しむ姿勢になっている。


「すぐに追いつくからさ」

「……分かった。後で合流しよう」


 ラットは刀を納めて歩き出し、アゴンの横を何の躊躇もなく通った。もし斬りかかってきたらどうするのとサファイアは内心冷や冷やしたが、本当にアゴンはそんな気はないらしい。


「確か、アゴンと呼ばれていたな?」


 ラットは立ち止まって、アゴンに呼びかけた。彼が「ええ。合っています」と応じるとラットは続けてこう言った。


「お前……貧乏くじを引いたな」

「……私にしてみれば、大当たりを引き当てた気分ですよ」


 ラットはしばらくアゴンを見つめて――サファイアと共にその場を後にした。

 アゴンは零れる笑みを抑えられなかった。憧れの伝説の男と戦える。これほど嬉しいことはなかった。ドクはそんな彼を興味深そうに見つめながら「それじゃ、始めようか」と軽く言った。


「ハンデなしで、頼みますよ――ドクさん」

「うん。そのつもりだよ――」


 言い切る前にドクはアゴンに斬りかかった。殴りつけるように小太刀を振るうドク。左手の小太刀がアゴンの首元に当たる――と思いきや、空振りに終わった。おかしい、確実に斬ったはずなのに。そう考えつつ、ドクは返す刀で再びアゴンの首を狙う。


 しかし今回ははっきりとアゴンが避けたのが見えた。軽くしゃがむことでドクの斬撃をかわしたのだ。その際、髪の毛の先端が斬れた。アゴンはがら空きになった喉元目がけて突きを繰り出した。ドクは少し下がれば避けられるところを、何故が数歩ほど余計に下がった。


 結果としてドクは避けられずに、頬に切り傷を負ってしまった。深い傷ではないが、ドクはまるで刀が伸びたり縮んだりするなとぼんやり思った。しかし常識的に考えて、刀が伸び縮みしたりするわけがない。ということは――


「凄い足さばきだね」

「――っ!?」


 ドクの指摘にアゴンが驚いたのは無理もない。たった一回、刀を交えただけで己の技の秘密を見破られたのだから。


 アゴンが伸縮剣と名付けた一連の技は、足さばきの妙にある。まるで幻覚と見まがうほどの回避は素早い足の動きであり、避けたはずの突きが当たるのも、常人を超えた足さばきによる前後運動だったからだ。まるで刀が伸びたり縮んだりするのは、他にも工夫があるが、ほとんどの種は足さばきにある。


「まあ足の動きは剣術の基本だ。でも基本を極めれば奥義になりえる。見事だよ」

「……随分余裕ですね。伸縮剣の秘密が分かった程度で勝ったつもりですか?」

「うん。もう対処法も分かったしね」


 ドクの自信満々な態度に訝しげな表情を見せるアゴン。ドクは二刀の刀を順手に構えた。そして思いっきり前傾した体勢を取る。


「避ける間もなく、素早く斬る。これが対処法だよ」

「……馬鹿な。そんな単純な方法で、破れるはずがありません!」

「破る? いいや、君は敗れるんだよ――アゴン様」


 ドクはそれ以上何も言わずに、アゴンに向かって――突進した。


「う、お、おおお――」


 アゴンの口から自然と漏れたのは、嗚咽。


「――うおおおおお!」


 それが咆哮に変わり、アゴンは――再びアゴンに向かって突きを繰り出した。あのスピードで伸びてくる突きを避けられるわけがない。来ると分かっていなければ、避けることなどできない。まさに不可避――


「……やっぱり、突いてくるよね」


 アゴンの突きがドクに当たる寸前、彼は後方に飛び退いて、素早く左手の小太刀をアゴンに投擲した。突きを繰り出したせいで払うことができず、小太刀はアゴンの腹部に突き刺さった。


「ぐ、ふ……!?」


 吐血するアゴンの頭は二つの疑問で一杯だった。どうして自分が突きを繰り出すのが分かったのか、どうして避けることができたのか――


 実のところ、ドクは『素早く近づいて斬る』と宣言した瞬間から、アゴンが突いてくると分かっていた。実戦での経験則もあるが、根拠は突きのほうが相手に合わせやすいというのが常識であるのだ。突きは一点でしか攻撃できず、面で攻撃できる斬撃のほうが有利に思えるが、突進してくる相手には突きが有効である。斬撃は相手に合わせて振るうという二つの動作が必要だが、突きは相手に合わせる一つの動きで構わないのだ。


 だからアゴンが突きを繰り出してくることは分かった。後は避けるタイミングだが、それは先ほどの攻防で分かっていた。いくら足さばきによる動きがあっても、人間には間合いというものが必ず存在している。たった一回の攻防でアゴンの間合いを見切ったのは流石に伝説の男、ドクと言える。


 つまるところ、ドクとアゴンでは格が違うのだ。技術が上、心理も上、度胸も上、経験も上――格上であった。もしも同世代でラットのような好敵手がアゴンにもいれば、勝負は分からなかっただろう。結論としては、挑むのが足さばきのように早すぎたのだ。


「……アゴン様。俺は意外とあなたのこと、買っていたんだよ?」


 そのまま、ドクはアゴンに近づき腹部に刺さった小太刀を引き抜いた。溢れ出す血。もはや刀を握る気力がないらしい。


「惜しいけどね。ここでとどめさすのは……なんて言えばいいのかな? けじめだと思うんだ」


 アゴンは息を荒くしながら、ドクを見つめた。その目には恨みや憎しみ、怒りや悲しみはなく、ただ憧れだけがあった。


「とどめ、さしてください……」

「…………」

「それが……敗れた者の、権利であり、勝ったものの、義務ですから……」


 ドクは溜息を吐いて、それから右手の小太刀をアゴンの首元に添えた。

 そして自分に憧れを抱いてくれた、若者に告げた。


「さようなら、アゴン様――」

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