ドブネズミの刀×追われた姫

橋本洋一

第1話最果ての街

 異世界の『武士』によって社会と政治が変わってしまった世界――アルカディア大陸の中央に位置するセントラル地方において、最も悪徳と退廃に血塗られた街と言えば『エンドタウン』――最果ての街という意味だ――に他ならない。


 元々、そんな不名誉すぎる名で呼ばれていたのではなく、行き場を無くした者が集う吹き溜まりと成り果てた際に正式な名も捨てられたとされる。詳しい記録が残されていない以上、憶測で物を言うしかないのだが、売春や禁止された薬などの非合法がまかり通り、暴力と汚れた金が支配する街に相応しい名であることは他の意見を俟たない。


 街で暮らしている住人は狂人か犯罪者か、あるいは日の目を見られない人間と相場は決まっている。来訪する者はほとんどいない。この街に入っても半日で身ぐるみ剥がされてしまうか、女であれば薬漬けにされて娼館に売り飛ばされてしまうか、最悪の場合――ある意味幸運かもしれないが――命を落としてしまう。常人であれば踵を返すだろう。


 しかし街の人口は増えたりも減ったりもしない。命を落とす者が常にいる代わりに覚悟を決めて住人となろうとする者が後を絶たないのだ。この街は覚悟無き者には厳しいが、行き場の無い者にとっては最後の住みかでもあるのだ。だからこそ、一定の人数を保ちつつ、この街は機能している。


 現実的に考えて、エンドタウンはセントラルの『大名』たちには厄介でしかないが、この街でしか手に入らないもの、この街でしか頼めない仕事が多数ある。他の地方と比べて、『将軍』の力が著しく劣るセントラルでは街の住人に裏の仕事を依頼することで、大名たちは牽制しあっている。考えてみれば、エンドタウンを解体できない状況も厄介ではある。


 さて。そんな悪徳と退廃に血塗れた街、エンドタウンに足を踏み入れる者――少女がいた。見たところマントを羽織った旅人風の身なりである。歳は十五。青髪を紐で一本にまとめていて、長旅なのか髪や肌が汚れている。しかし、それを気にさせないほどの美を少女は兼ね備えていた。大きな瞳は油断無く街を探っている。彼女なりに警戒をしているのだろうが、いかんせん、エンドタウンの住人たちにしてみれば、彼女のささやかな警戒網を潜り抜けることは容易いことだった。


 彼女は手元の紙を見つつ、街をうろうろしていた。誰かを探しているのか、非合法な商品を売る店を探しているのか、それは定かではないが、とにかく何かを探している様子だった。


 一見してエンドタウンの初心者であることは、この街の子どもにも理解できた。後は誰が先を制して彼女を騙すのか――そこが問題である。獲物を狩るにも順番というものがあるのだ。無秩序ゆえにできた序列という順番が。


「おやおや。お嬢ちゃんはここで何をしているのかな?」


 一番先に声をかけたのは、娼館を営む老婆のリアンだ。街に何十軒ある店の中でも、高い金を支払わなければ女の顔すら拝めないほどの高級店を営んでいるやり手の女主人。おそらくこの場には自分よりも悪辣な者はいないと踏んでのことだろう。現にリアンが声をかけた時点で溜息をつく者は多かった。


「……人を探しているのよ」


 少女は老婆に物怖じせずに自身の目的を告げた。

 老婆はにこにこと作り笑いをしながら「それじゃ、あたしの店に来なさい」と恥ずかしげも無く言う。おそらく娼婦にするつもりだろう。


「お嬢ちゃんが探している人がいるかもしれない。あたしの店は――」

「おっと。リアンのババア。嘘は良くねえな」


 割り込んできたのはリアンと同等の悪党、盗賊団団長のオルガだった。盗むためなら人殺しすら厭わない凶悪集団を束ねる大男。顔を走る刀傷は見る者を威圧する。

 リアンは舌打ちをした。自分と格が同じで暴力に訴えそうなオルガが現れたこともあったが、言いくるめて少女を自分の商品にすることが難しくなったからだ。


「てめえは娼館の女主人だろうが。こんな可愛らしい女の子を店で働かせようとすんのか?」

「けっ。あんたに言われたくないよ。自分たちで楽しもうって魂胆だろう?」


 リアンが強気に出たのは、離れたところに弓が得意な元『武士』が数人隠れて老婆を守っていたからだ。それに少女が上物であることから、一切引く気はなかった。

 オルガも少女を楽しんだ後、人買いに売る算段を既に頭の中でつけていた。流石に弓で狙われていることは知らないが、老婆ぐらいどうにでもなると考えていた。


 一触即発の中、少女は狙われている立場だと言うのに、つまらなそうに欠伸をした。自分には一切関係のないという顔をしている。


「私、あなたたちには用がないの。もう行って良いかしら?」

「……はあ?」


 リアンとオルガが唖然とする中、少女は我関せずとばかりに先を行く。

 その行為に元々気が長くないオルガは激高した。なんだこの娘、俺を舐めているのか――


「おい待てや! 女――」


 オルガが彼女の肩に手を置いた瞬間、素早く少女は――動いた。

 マントを翻しながら、腰に差してあった小太刀――刃も鞘も特徴的だった――を抜いて手のひらから甲を突き破るように刺す。


「ぐあああああ!?」


 汚い悲鳴を上げながら、オルガは転げ回る。

 リアンは冷や汗をかいた。目の前の少女が機敏な動きを見せたことも驚きだが、躊躇無く人間を傷つけたことに戦慄する。


「汚い手で触らないで」


 端的に刺した理由を述べて去ろうとする少女。

 しかしここで彼女にとって不運なことが起こる。


「親分! 大丈夫ですか!?」


 実のところ、オルガも部下の盗賊たちを傍に控えさせていたのだ。

 その数――十一人。

 オルガは吹き出る血を押さえながら、部下に指示を出す。


「おい! やっちまえ、お前ら! くそ、痛てえぞちくしょう!」


 十一人の盗賊たちが油断無く少女ににじり寄る。逃げられないように円になって囲う。

 今度は少女が冷や汗をかく番だった。この人数差では到底敵わない――

 少女はここで死ぬわけには行かなかった。わざわざセントラルのエンドタウンに来たのには理由があるからだ。どうしても頼みたい依頼があるからだ。

 だから抵抗するように小太刀を抜いて構えた――


「なんだお前ら。恥ずかしくないのか」


 少女以外は聞き覚えのある声。

 少女以外は聞きたくのない声。

 その声の主を、その場の様子を窺っていた者たち全てが見た。


 見たところ、三十過ぎの男。着流しと呼ばれる、この街でも珍しい和服。白地に黒の模様――おそらく竹だ――が描かれている。短い黒髪に鋭い目。無精ひげは汚らしい印象ではなく、彼の逞しさを表している。背が高くそれでいて細身の体型をしている。下駄をからんころんと鳴らしながらこちらに歩み寄る姿はさまになっていた。

 しかし彼の特筆すべきところは腰に一振りの大刀を差していることだった。武士の証であり、誇りでもある刀は赤鞘で、その鍔はシンプルな作りとなっている。


「けっ。堕ちた武士が、何の用だ!」

「何の用って、野暮用さ。ぶらりと散歩してたら、恥知らず共がくだらねえ真似をしていたんで、声をかけただけだ」


 ぎろりと盗賊たちを睨むその眼光。

 まるで獲物を襲う猛禽類のような目。

 盗賊たちはたちまち腰が引けてしまった。


「さてと、オルガ。顔の傷を増やしたくなかったら、手を引くんだな」

「じょ、冗談じゃねえ! その娘は――」


 往生際悪くオルガは喚いたが、鍔に指をかけた男に震え上がってしまった。

 オルガは「ちくしょう!」と悪態をつきながら部下たちに引くように命じた。


「ラット! 覚えてろ!」


 捨て台詞を吐きながらオルガは手を押さえながら、部下に守られつつ逃げ去った。

 ラットと呼ばれた男は辺りを見渡す。既に少女を狙おうとしていた悪党共は去っていた。女主人のリアンはラットの最初の声を聞いた瞬間、気配を消してその場から逃走している。


「つまらねえな。ま、行き詰ったこの街じゃ、それも仕方ねえか」

「……ちょっと。そこのあなた」


 少女が大人びいた声で去ろうとするラットを止めた。

 面倒だなと顔に出ているラットはそのまま振り返って「お礼なんて言うなよ」と言う。


「お前さんは運が良かっただけだ。さっさと用件済ませてこの街出ていきな」

「用件なら既に済んだわ」


 少女はラットに近づいて、歳に似合わない悪そうな笑みを浮かべた。


「あなたは金さえ払えば、どんなこともしてくれるラットでしょ」

「……お客さんってことか」

「お客様でしょ。それより本当なの?」


 少女の問いにラットは頬をぽりぽり掻きながら答える。


「本当さ。金さえ積んでくれれば、どんなことでもやる」

「良かった。嘘だったらどうしようかと思ったわ」

「それで、どんな依頼だ? まさか部屋の掃除ってわけじゃないよな?」


 少女は「ふざけたこと言わないで」と強い言葉を使った。


「二人、殺して欲しいの」

「……二人。それも殺しか」

「ええ。あなたなら簡単でしょ?」


 ラットは用心深く「標的の名を聞こうか」と訊ねた。


「それとお前さんの名も」

「私の名? 必要かしら?」

「必要か不要か、それは俺が判断する」


 少女は少し逡巡して「まずは、私の名前から」と前置きして自己紹介した。


「スフィア。それが私の名よ」

「へえ。いい名前だな。殺しを頼む女とは思えないくらいに」

「それで、標的の名は――」


 ラットの軽口を半ば無視して、少女――スフィアは口に出した。

 彼女の憎き仇の名を。


「ホーク・ハルバードとオウル・アクス」

「…………」

「この二人を――どうか殺してちょうだい」


 ラットは何も言わず、ただ提示された名と依頼を噛み締めていた。

 まるで廃棄物を食むドブネズミのように――

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