第13話 後輩の家。

 結愛が住むアパート。時刻は夜中の二時。場所は志保の家の向かい。

 街灯を避けて立つ黒ずくめの男が、この時間にいたら通報されるだろうな。

 いつもなら、結愛が経路とか、人の数とか教えてくれるが、今回は俺の状況判断能力と、警戒能力に委ねられている。

 別に結愛に頼りきりだったというわけではないが、少し緊張はする。

 ベランダを見上げる。この程度、登るのは造作じゃない。

 音を立てないように気をつけながら、結愛の部屋のベランダに降り立つ。


「特に特別な対策はしていないな」


 鍵を開けて中に入る。


「悪いな」


 リビングの机の上。デスクトップパソコンの電源を入れる。

 結愛のパソコンのパスワードは知っている。変わっていなければ、だが。


「おっ、開いたな」 


 ファイルを開いてく。確か、結愛は、このファイル名にいつも。


「あった」


 USBにコピーしてすぐに退散。


「ん。先輩……」


 しようとして足を止めた。声をした方に目を向ける。こいつ、ソファーで寝てやがる。

 くそっ。こんなことに気づかないとか。ブランクどころの話じゃねぇだろ。

 どうする……ちらりとソファーの傍にあるテーブルを確認する。

 武器は、ちゃんと置いてある。マズいな。ハンドガンか。多分ゴム弾装填だが、この距離で当てられたらただでは済まない。

 そして結愛なら、間違いなく当ててくる。

 警戒しながら窓まで下がる。


「……スゥ……」

「起きてない、のか」


 窓から入る月明かりに照らされた結愛は、目を閉じたまま。年相応の可愛らしさと綺麗な顔立ちが、よくわかる。

 目的を果たしたら長く留まるのは良くない。バレていたらバレていたで、許して、くれるだろうか。組織を優先するなら、俺の行為は消されてもおかしくは無いものだ。


 そのことは、奏に伝えていない。気づいている可能性はあるが。でもこればかりは、結愛との交渉次第でどうにかなるとも考えている。

 静かに窓を閉じて、すぐに逃げ去る。オペレートの無い任務は、やり辛い。効率の良い逃走経路とか、車と落ち合う場所とか。まぁ、今回は逃走用の車なんて無いが。

 一応、追手がいないか確認しながら戻ったが、杞憂に終わり、家に入る。


「おかえり。その、大丈夫だった?」

「あぁ。問題なく手に入ったよ」 


 USBメモリを振って見せる。

 ノートパソコンで早速盗んだファイルを開く。とりあえず軽く目を通していく。


「……どうやら、奏の予想通りみたいだよ」

「読むの早いね、史郎君」

「必須スキルだったものだよ」


 離れたくせに。こういう能力だけは、ふとした時に役に立ってしまう。便利に使ってしまう。


「どうするの? 史郎君」

「どうするも何も。どうしようもないよなぁ。ただまぁ、理由は気になるかな」

「えっ?」

「えっ? 奏、わかるのか?」

「わかるのかって、えー……本人に聞いたら?」

「聞くのか……」


 気が進まない。が、確かに。

 どうもしないとは言ったが、リスクを回避するという意味では必要かもしれない。

 狙いが読めないまま放置して待つより、直接対決に持って行った方がやりやすい。


「わかった、聞いてみるよ」


 俺は結愛を信じている。結愛の仕事に対する真摯さもわかっている。

 もし、俺を罠に嵌めようというなら、多分、やる。

 しかし、それにしては、詰めが甘い気がする。

 こうしてはっきりしても、例えばこのファイルが罠の可能性もある。

 既に着々と、俺の家の周りに、俺を拘束、ないし殺害しに来た精鋭が集まっている可能性だってある。


 あの組織が俺に対する刺客を送るなら、結愛で油断させて、別の手練れを用意しておくというのは納得できる作戦だ。

 でも、こんなにも怪しまれるような要素を、散りばめているのはおかしい。別の狙いがある気がする。

 既に俺がこうして、様々可能性を考えている時点でおかしいのだ。


「うん、そうだな。直接聞こう」

「今、わざわざ自分に言い聞かせるように、もう一回言うまでの思考の流れ、聞いても良い?」


 奏の表情が先程までの呆れたものから、訝しげなものに変わる。


「いや、確信を持てないことを言いたくない」

「史郎君!」

「これは、俺と結愛の、いや、組織との問題だ」

「史郎君の問題なら……」

「俺の問題は、俺の問題だ。奏。……俺を信じて、待っていて欲しい」

「でも! その顔、史郎君が夜中出かける時の顔じゃん……」


「大丈夫だ。いつもちゃんと帰って来てるだろ。それに、今回は自分の後輩に話を聞くだけだ」


「それなら、私も一緒にいても良いじゃない!」

「駄目だ」


 奏の目は本気の本気。マジのマジ。


「なんでよ!」


 危ないから、と言うのは逆効果だ。人質になるリスクがある、というのはどちらにしても危険度が変わらない。

 俺がこうしてこのファイルを掴んでいるとバレているとするなら。


「そもそも、危ないことがあるかまだわからないし」


「……うん。そうだね。つい動揺しちゃったけど、多分、史郎君考え過ぎだよ。私が見るに、もっとこう……うーん。自分で確かめて。いや、やっぱり聞かなくて良い気がする……あぁ、もう、何でこう、気づかなくて良いこと気になって、気づいちゃうかな、私」


「なんだよ。急に」

「うーん」


 奏はそのまま、頭を抱えてうんうん唸り続けた。

 良いや。一旦置いておこう。

 腹が減った。菓子棚からポテチ、堅く揚げているのが売りのうすしお味が好きだ。

 半分皿に開けて、もう半分、袋に残って居る方にはごま油と花椒をかけて振る。


「あー! 史郎君、またなんか不健康そうなの食べてる!」

「美味しいぞ。食うか?」

「明日が怖いからいらない」

「どうにでもなるぞ」

「一体どうしたらこんな不健康で美味しいものが思いつくのやら」


「不健康でハイカロリーの物は大体美味い。発想の起点としては、ごま油、マヨ、チーズという、ギルティックテイスト三種の神器だ」


「あぁ。史郎君が家に大量ストックしている調味料だ」

「あとは、卵とか塩胡椒、それとニンニク」

「そこまで言われると普通に料理な気がしてきた」

「普通に料理だ」

「こればかりは、食事を娯楽と考えるか、栄養摂取と考えるか、って話になるのかな」

「長生きするつもりないから、好きなものだけ食べて逝きたい」

「こら、そういうこと言わない。悪い癖だよ」

「……前ほど言ってないだろ」

「そうだね。でも、悲しくなるから、少なくなったじゃなくて、完全になくして欲しいなって」

「努力はする」


 塩が付いた手、舐めるか迷って、少し眺めていると、奏が横からティッシュを差し出す。


「……あざっす」

「ねぇ、史郎君、約束、覚えてる?」

「……覚えてるよ」


 一瞬、どの約束だろうかと思って、でもこんな場面で持ち出してくるような約束なんて、一つしかなかった。


「良かった。二年も前の約束、覚えてるか不安だったかよ。ちゃんと、自分を大切にしてね」

「わかってる。あーそれならさ」

「ん? なぁに」

「好きなものだけ食べて逝きたいから、奏、明日も、飯、頼んで良いか?」

「はいはい。しょうがないなぁ。また明日ね」

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