失恋した俺の高校生活は、守りたい人が少し多い。
神無桂花
悪い子になるね。
第1話 失恋しても時間は容赦なく進むものだ。
「私、史郎君みたいにできないや」
隣を歩く彼女が唐突にそう言った。
まるで日常会話のように。昨日読んだ小説の話を切り出すように。
校門の前、その言葉の意味を、頭ではすぐにわかった。心が理解してくれなかっただけ。
卒業の別れを惜しむ生徒たちと、それを見守る保護者達。
その中に俺達二人だけの世界が、確かにあった。
彼女は、涙を流す事無く、ただ、悲し気に笑う。
彼女が辛そうにする理由が、わからない。
黒く長い髪が春風に揺れる。
何を間違えたのだろう。
言うべき言葉が浮かんでくるのに、それはただ、グルグルと回るだけで。口に出そうとしても、どれを言うべきかわからなくて。
しがみついて、駄々をこねる。それがかっこ悪い。そんなプライドを語る次元に俺はいない。
「別れよっか」
予感していた言葉を言われても、ただ、俯いて、下を向くことしかできなくて。
告げられた終わりに、役立たずになった体。口からは意味を為さない音しかでなくて。
「ありがとう。その、またね」
彼女はそう言って卒業した。
別れを惜しむ人の群れの中に、彼女の姿は消えていく。
ゆっくりと、振り返ることなく歩いていく。もう見ることの無い、中学の制服姿の彼女。瞬きしたら消えてしまいそうな儚さ。でもその子は確かに、俺の隣にいた。
春の匂いだけが、そこに残った。風が吹いた。雪が舞った。
「あ、起きた」
目を開くと、まだ見慣れない幼馴染の奏の顔。少しだけ痛む頭を抑えながら、身体を起こす。
ひと月前までは、布団を出れば寒かったのに。
少し散らかった部屋を見回して、再び横になる。
「こら。もう六時過ぎたよ」
お叱りの声に目も向けず。耳も傾けず、布団を被り直した。
「入学式、昼からだろ」
「でもいい加減、生活習慣調整入れないと。明日から辛いよ」
そう言いながら、カーテンが開かれる。朝日が埃っぽい部屋を照らした。
「引きこもりを殺す気か」
「目が覚めるでしょ。今日から君は高校生。引きこもり月間は終わりです」
そう言って、俺の被った布団を引き剥がしにかかる。
数秒の攻防。結局、全体重をかけた引っ張りには勝てず、俺の身は外界に晒された。
ちぇ。目が覚めてしまった。仕方がない。
「なぁ、奏。眼鏡は?」
「あー。高校デビュー?」
「いや、俺が聞いているんだが。髪切って染めただけじゃなかったのか」
長い黒い三つ編み、眼鏡が特徴的だった奏。
今は肩口で切りそろえられ、薄めの茶髪になっている。
この春休み、部屋に引きこもり、外界からの全てをシャットアウトしていた俺も、部屋に踏み込んできた奏の変わりようには、思わず何があったのか問い詰めた。
「眼鏡まで取ったらお前、特徴が」
「外に出る時は基本コンタクトにするから」
奏に続いて部屋を出た。一階のリビング。
顔を洗って戻ってくると、丁度キッチンでは奏が朝食を盛り付けている。
「もうすぐ終わるから。新聞でも読んでなよ」
「手伝うよ」
「……ありがと」
このやり取りは、一年前はできてなかったな。
「あっ……」
その声と共に奏の体勢が崩れる。盛り付けようと取り出した、積み重ねられた皿がその腕から零れる。
瞬間、床を蹴る。
片手で奏を支える。もう片方の手で、皿を空中でキャッチ。取り損ねた皿は足で衝撃を和らげ、割れる事態は避ける。
「気をつけろ」
「あ、ありがとう。意外と重くて驚いちゃった」
「ったく。手伝うって言ったんだから、身長考えろ」
「むっ、史郎君が私を小さいって言った」
「小柄なのは事実だろうが」
準備はすぐに終わった。
二人で手を合わせて、一年振りに迎える。奏との食卓。
「悪いな、こんなところまで」
「こんなところって。隣じゃん」
奏がからかうように笑う。奏の笑顔は、安心する。
「私は楽しいし嬉しいよ。史郎君とご飯食べられるの」
「そうかい」
イメチェンして踏み込んできたその日、動揺しているところに、「また朝起こしに来ます」宣言をされ、そのまま押し切られる形でお願いしてしまった。
良いのかな、これで。という迷いと。でもありがたいなと甘えてしまう気持ち。
いや。俺はもう、気にする相手がいないんだ。それでも気にしてしまうのは、みっともなく未練たらたらで。
ちらりと頭に浮かぶのはまた今朝の夢。その最後の光景が簡単に頭に浮かぶ。
慌てて頭を振って追い払った。
「朝倉さんのこと、まだ辛い?」
「むっ……」
頭が真っ白になった。急に景色が、少しだけ暗くなる。
「そっか。そうだよね。まだ、駄目だよね」
「あっ、いや」
「ごめんごめん」
どうにか絞り出した言葉に、奏は穏やかに笑って答えた。
俺の春休みを総括すると、一行で終わる。
失恋をした。付き合っていた彼女に振られて部屋に引きこもった。
冷静に考えればわかる。中学生の恋愛が、長続きするわけがないと。
中二の秋、付き合い始め、クリスマス、バレンタインといった、冬の恋愛イベントを網羅し、受験勉強の苦楽を、同じ高校に入るという目標を共にし。
そして、春休みに入る直前、卒業式の日、俺は別れを告げられた。
まとめてしまえば、こんなにも簡単なことだった。
それから、奏が毎日家に通ってきた。毎日ご飯を冷蔵庫の中に用意してくれた。
色々と、入学のための手続きがある日は、奏は妹まで連れて部屋の前で馬鹿騒ぎして、無理矢理連れ出した。
放っておけば良いのに、なんて思っていたが。奏は俺を見捨てようとしなかった。
思えば、奏は何があっても、俺を見捨てる選択を、しなかった。
俺が、あの仕事をしていた時も、志保を好きになって、情けなくも助けを求めた時も、付き合い始めてからも。振られた時も。
そのこと自体は、とても嬉しい。けれど。
いつまでも寄りかかるわけには、いかない。なんて思う。
奏はずっと支えてくれた。俺を肯定してくれた。
奏がいなかったら、今の俺はいない。俺の手は、鉄くさい赤に染まっていたと思う。
入学式はあっさりと終わり、このクラス初のホームルーム。
目の前に座る奏。出席番号の都合上、久遠奏、九重史郎と並ぶのは、あり得ない話では無い。
自分の列の一番前の奴に目が奪われる。
あいつならこういうだろうな。
『「あ」から始まる苗字の宿命だよ』って。
長い髪も、触れたら壊れしまいそうな細い体も。何も変わっていない。
どこか緊張感漂う教室。その空気感に耐え切れず、窓の外に目を向けた。
ボーっと雲の流れを眺める。話は聞こえる。制服や体育着の盗難事件があったので気を付けること、とか。校内でのスマホの使用ルールとか。
ピシっと額を指で弾かれた。
「史郎君。ホームルーム終わったよ」
「友達作りに行けよ。新入生代表」
こちらにちらちら向いてる視線は、入試点数第一位という栄光にあやかりたい、お近づきになりたいという人のものだ。
「同じクラスだね」
「わざわざ言うことじゃないだろ」
「違うよ。私じゃなくて」
奏が目を向けた方向には、もう席の持ち主はいなかった。
あまり積極的に誰かと交流するタイプじゃなかったな。
「帰る」
「じゃ、私も」
鞄を担いで立ち上がると、奏も慌てて荷物をまとめる。
「あ、あの。久遠さんで良いんだよね」
「ん? 何かな? えっと、奈良崎さん」
女の子から呼び止められ、奏が立ち止まり、俺も何となく振り返る。背の低い、大人しそうな子だ。
しかし、もう名前覚えたのか。
「今から親睦会開くんだけど、久遠さんと、そっちの、えっと」
「九重史郎君だよ」
「九重君……うん。二人は来る?」
「いや、俺は行くところあるから」
「えっ、あっ」
「行けよ。奏」
「でも……」
奏が迷っている間にさっさと歩き出す。勿論、寄る所なんてない。
今日一日の中で、ようやく一人の時間ができた。
保護者に連れられて帰る人達の間をすり抜ける。
入学式は奏の両親に一緒に乗せてきてもらったが、忙しい人たちだ、入学式を見届けてもう仕事に行っている。
春の匂いがした。嫌いな匂いだ。
受験を受けるために来た時は気配すらなかった、新入生を祝うアーチのように並ぶ桜が、やけに眩しく見えた。
駅に向かって歩く。着慣れない制服が煩わしい。何で高校の近くにコンビニが三つもあるのだろう。
誰とも目を合わせないように速足で歩く。
そんな俺の前に人影が見える。思わず立ち止まった。
でもそいつは、何かを感じたのか、振り返る。
目が合った。ぱちりと瞬きしたのが見えた。
少し強く吹いた風。雪の代わりに、桜が舞った。
「あっ」
澄んだ声が聞こえた。
「やぁ、史郎」
「……志保。帰りか?」
「勿論」
ちゃんと声が出せたことに安心しながら、その横を、通り過ぎる。志保は当たり前のようにその横に並ぶ。
「なんだよ」
「やはは。どうせ目的地は一緒でしょ」
「そうだけどさ……そっちのキャラなんだな」
「史郎には取り繕ったところでねー。……うん、まぁ、気まずいよねぇ」
「お前が言うか」
「やはは」
少し前までは当たり前の光景。痛みを感じる思い出も、客観的に見れば綺麗なもの。
「クラスメイトだね」
「そうだな」
駄目だ。邪険にできない。
志保の顔を見れば、あべこべの感情が心を割く。
朝倉志保。クラス名簿にその名前を見つけた時、俺は、どんな感情を抱けば良いか、わからなかった。
「また一番前だよ」
「あぁ」
「ねぇ、史郎。相変わらず髪ボサボサなんだね」
「悪いか?」
志保は、回り込むように俺の前に出て振り返る。
長い髪が揺れる。風が吹いてたなびく。
「勿体ない。って話」
「どうでも良い」
「そか」
覗き込むような眼が俺の眼を捕える。
スッと顔を寄せて、頬に手が伸びる。俺は知っている。志保の手は、冷たくて、すべすべで。肌荒れなんてものを知らなくて。
もう少しで触れる。慣れ親しんだ感触が、もうすぐ。
なのに、無意識のうちに、その手を払った。
「あ……ごめん」
志保は、優しく微笑んでいた。
「また、友達になれると良いね」
顔を伏せた。
今前を向いたら、何を言い出してしまうか、わからなかった。
志保が歩き出す。俺も歩き出す。会話は無い。ただ静かな時間が流れる。
気まずくなる。そう思ったのに、沈黙は、穏やかで、苦しくなくて。あの時と変わらない、心地の良い沈黙で。
別れ際も、手を振って別れた。
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