いつか失った夢の名残り 第1章(高校サッカー篇)

ロッドユール

第1話 日明

(これはまだ日本にJリーグが出来る以前、日本に実質的に野球しかスポーツがなかった時代の物語)


 ピッピッピ―

 終了のホイッスルがスタジアム全体に高らかに鳴り響く。その瞬間、日明はピッチの真ん中で、芝生の上に大の字に倒れ込んだ。

「終わった・・」

 目の前の世界が煙るように、白く白銀に輝いていた。

「終わった・・」

 全てが終わった。試合だけではなく、自分の背負ってきたもの全てが終わったような気がした。

 なんだか今まで歩んできた人生全てが、どこか遠い夢だったような錯覚にも似た感覚が、日明を包み込んでいた。

 周囲で大歓声が響いている。だが日明の心は静かだった。視線の先にはナイターの強烈な白光に薄く煙る夜空が広がっていた。

「終わった」

 十二月の空気は冷たいはずであったが、日明は奥深い内側から溢れるように湧き出る熱い熱気しか感じられなかった。全てを出し切った・・。脱力する全身の身体感覚の中で、その感覚だけは強くあった。やれることは全てやった・・。深い悲しみの中にあって、そんな清々しさが日明の中に流れていた。

 背中に感じる芝生の感触が、子供時代を強烈に思い出させた。小さい頃、草むらで日明は隆史とよく遊び、寝転がった。その時の草の匂いも含めたリアルな感覚が、今目の前に鮮やかに蘇る。

「・・・」

 その時、スタンドに隆史の母が来ているのが、日明にはなぜか分かった。

 ここに至るまでの遠いようであっという間のような、なんだかよく分からない時間感覚の思い出が、走馬灯のように日明の頭に流れた――。



「キャー」

 強烈なボレーシュートがゴールに突き刺さる。それと同時に、ピッチを取り囲むように群がる女子生徒たちから、耳をつんざくような黄色い悲鳴ともつかない嬌声が、うるさいぐらいに上がった。

 しかし、ゴールを決めた当の日明はさして喜ぶ風もなく、そのサラサラとした美しい長髪をさっとかき上げると颯爽とまた自陣へと帰って行く。その姿にまた、熱狂する女子生徒たちが更なる悲鳴に似た嬌声を上げる。

 そんな日明にチームメイトも祝福に駆け寄っていく。しかし、日明はそれをめんどくさいといわんばかりに、払いのけるようにしてそのまま行ってしまった。

「・・・」

 残されたチームメイトたちは、呆然とそんな日明を見送った。

「あきら~、あきら~」

 そんなクールな姿に、女生徒たちからはスタンドから更なる熱狂的、狂信的、切るような黄色い声が狂ったように上がる。

「さすがだな」

 かなり下がった位置からスルーパスを出し、ゴールをアシストした隆史が日明に駆け寄る。

「はははっ、余裕余裕」

 日明はなんでもないみたいな顔で答える。

 隆史がふと視線を感じてその方を見ると、他のチームメイトたちが、そんな日明を遠くから鋭く睨んでいた。

「おいっ、いいのか」

 隆史はそんな視線を気にして、日明に言った。

「全然。問題ねぇよ」

「嫌われるぜ」

「もう嫌われてるよ」

「先輩だぜ」

 日明と隆史以外は全員三年生と二年生だった。

「俺より下手な奴が何言ったって怖くねぇよ」

「お前なあ」

 隆史はそんな日明に半ば呆れたように笑う。

「まあ、もう一本良いの頼むわ」

 しかし、日明はやはりまったく気にする風もなく、隆史の肩を叩くと、颯爽と自分のポジションに戻って行った。

「ああ」

 隆史も、射るような他の先輩たちの視線を気にしながら、日明同様自分のポジションに戻った。

 

 結局、その日の試合は、日明の二度のハットトリックで7対2と圧勝だった。しかも、ほとんど自分一人でドリブルで切り込み、点を取ってしまうという、まさに日明の一人舞台だった。

「やっぱ、お前すげぇわ」

「大したことねぇよ」

 日明と隆史は、高校のグランドから駅までのいつもの道を二人で歩いていた。

「ほとんど一人でやってたもんな」

「他が頼りねぇんだよ」

「でも、少しはパスとか周りを使わねぇと」

「パス出したって、トラップミスるし、欲しいとこボールよこさねぇし、余計なことしてボール取られるし、自分で行った方がはええんだよ。まったく。要するに下手。下手過ぎんだよ。俺のレベルじゃねえんだよ。あいつら」

「まあ、そうかもしれないけどなぁ・・」

 日明の性格は知り尽くしている隆史だったが、苦言を言わずにはいられなかった。

「実際、俺一人で勝ったようなもんだろ」

「まあ、確かにな・・、でも、先輩の手前・・」

「お前は先輩とか気にし過ぎなんだよ。誰が決めたんだよ。先輩が偉いなんて。うまい奴が偉い。だから俺が一番偉い」

「はははっ」

 そうきっぱりと断言する日明に、隆史は最早笑うしかなかった。

「うまい奴が、なんで下手な奴にペコペコしなきゃいけねぇんだよ」

「はははっ、お前らしい発想だな。やっぱ、お前はすげぇよ」

 隆史は、苦言を通り越して感嘆してしまった。

「実際そうだろ」

「まあ確かにお前は上手い。圧倒的にな。しかも今日はいつも以上にすごかった」

「これでも、ちょっと二日酔いだったんだけどな」

「また飲んだのかよ」

「ああ、朝五時までだよ。二時間しか寝てねぇよ。めっちゃ眠い」

 そこで日明は思いっきり伸びをして、あくびをした。

「それであの動きが出来るんだからなぁ」

 隆史は、日明の底知れぬ能力に呆れながらも改めて目を見張った。

「おいっ、ラーメン食ってこうぜ」

「ああ」

 日明が言うと隆史が頷いた。二人は、いつも行く駅前の来来軒に入った。

「おばちゃん、いつもの。大盛ね。大盛りの大盛り」

 テーブル席に着いたとたん日明が、カウンターの奥に向かって勢いよく叫ぶ。

「はいはい」 

 常連の日明に、人の良い店のおばちゃんはその丸い顔をほころばせてにこにこと答える。

「早くね、早く。俺、お腹ペコペコ」

「はいはい」

 日明の屈託ないその物言いに、おばちゃんはおかしそうに笑っている。

「お前すげえな」

 隆史が目の前のテーブルに並べられた料理を見て、感嘆する。狭いテーブルには、これでもかと日明仕様に盛られた大盛りのラーメンやら、チャーハンやら餃子やらニラレバ炒めやらが溢れそうに並ぶ。ラーメンなどは、麺に加え厚切りのチャーシューやらもやしやらネギやらが、そびえ立つように盛り上がっている。それを片っ端から日明は、ものすごい勢いで口の中に放り込んでいく。

「こっちが胃もたれしそうだぜ」

 隆史は頼んだ普通盛りのラーメンを一人すすりながら、そんな言葉を漏らす。

「おばちゃんビール」 

 日明が大声を出す。

「バカ言ってんじゃない」

 それはおばちゃんに一蹴された。

「お前制服で酒飲むなよ。しかも学校帰りに店で」

「はははっ、冗談、冗談」

「マジに聞こえたぞ」

「あっ、おばちゃんおかわりね」

 日明は食べ終わったチャーハンの皿を高々と掲げる。

「まだ食うのかよ」

 隆史は呆れた。

 その時、日明のポケットから電子音が鳴った。

「あっ、もしもし」

 日明はポケットから小型の電話を取り出すと、苛立たし気にぞんざいな口調で電話に出た。

「今、飯食ってんだ」

 受け答えは更に雑だった。

「いいから、ホテルの前で待ってろ」

 適当に受け答えした後、日明は最後にそれだけ言って一方的に電話を切った。

「女は話がなげぇんだよ」

 日明は苛立たし気に一人呟くと、飯の続きを猛烈な勢いで再び食べ始めた。

「まったく、飯食ってる時に限って電話してくんだよあいつ。ほんと間が悪い女だよ」

「前に言ってた子か」

「いや、そいつとはとっくの昔に終わった。また違う子だ」

 日明はしれっと言う。

「まったくお前って奴は」

 隆史は、改めてだが日明の女遍歴に呆れた。

「それにしてもすげぇな。それ」

 隆史は日明の置いた携帯電話を見た。

「ああ、これ?ちょっと、女に持たされちまってな」

「どんだけ金持ちなんだよ。そんなのめっちゃ高いんだろ」

 隆史が驚いて言う。しかもそれはまた別の女なのだろう。

「知らねぇけど、多分そうじゃねぇのか」

 しかし、日明は全くむとんちゃくだった。

「悪い、そういうことだから」

「は?」

 日明は最後の大盛りチャーハンを一気に平らげると、キョトンとする隆史を前に、一人立ち上がった。

「あっ、悪い。ちょっと金貸してくれねぇか。三千でいい」

 日明は片目をつぶり、隆史に向かって拝む真似をした。

「・・、もう、しょうがねぇなぁ」

 隆史は、そう言いながらも財布から三千円を取り出した。

「おばちゃんまたツケといてね」

 日明はそうカウンターに向かって勢いよく叫ぶと、隆史から借りた三千円を持って、隆史を一人残したまま来々軒を出ると、さっきの電話の女に会うため、一人駅裏の歓楽街に消えて行った。

「まったく・・」

 いつものこととはいえ、隆史はそんな日明に軽い苦笑いを浮かべた。

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