習作置き場2020夏

里場むすび

異世界勇者耐久試験

[あらすじ・コンセプト・元になったアイデア]

勇者の「諦めない心」「思いやりの心」を測るために異世界に転生させて、そこで十数年間生活させたあとで捕獲した魔王の配下をその世界に送り込んで試験を行うというもの。それで異世界が滅ぼうが自分達が救われるのなら知ったこっちゃないという世界に生まれた男は魔王を倒したあとで非道なる試験を考案した連中を鏖殺し、転生させられた異世界へと帰る。


[本編]


 世界はいまや悪逆非道なる魔王に支配されつつある。

 人心は荒み、木々は枯れ果て、海には死骸ばかりが堆積する。終末の世界。

 それでもなお、人々は光を求めた。

 魔王という重く分厚い暗雲を切り裂く強き光を。


◇◇◇


「――っ。はァっ、はァ……クソッ! まだ湧いてくるのかよ!!」

 赤い空の下、鎧を身に付けた少年はたった独りで戦い続けていた。

 迫りくる赤黒い粘液状の生命体――スライムと男は呼んでいる――を手にした剣で叩く、斬る、すり潰す。

 そんな、無機質な作業めいた戦いの開始から、もう3時間が経過しようとしていた。

 スライムは依然、際限なく湧き出てくる。どこからか。ヒトの死体から。

 異世界ファンタジーめいた鎧と剣の格好をした少年がいま立っているのは、東京は渋谷、歩行者天国の中心だ。男の周囲には、つい数時間前まで日常を謳歌していたのであろう人々が散り散りになって斃れている。

 息絶える寸前まで、スマートフォンの向こうの恋人に言葉を伝えるようとした少女がいた。

 丁寧に包装された、息子の誕生日プレゼントを大事にかかえたままスライムの【湧き肉】にされた母親がいた。

 手術に成功し、やっと退院できた幼い妹を守るため、スライムに立ち向かった兄がいた。

 市民を守るため、足の震えを堪えて必死に応戦した警官がいた。

 皆、死んだ。

「畜生――ッ! 畜生――ッ!!」

 それは、今もなお、たった独りで戦い続ける少年の連れも例外ではなかった。

 一心不乱に剣を振るう少年。その背には一人の少女の骸が背負われていた。彼の姉だったものだ。

 もう二度と、彼がその声を聞くことはできない。「好きだ」というありきたりながらも尊い思いを伝えることさえも。

 それでも少年が姉の骸を背負うのは、ひとえに彼女の尊厳を守るためである。

 スライムはヒトの死肉にとり付き、増殖を開始する。【湧き肉】になった死体は骨だけになるまでひたすらにスライムを発生させる。ひとたびとり付かれてしまえば、もうどうしようもない。骨になるのを待つしかない。

 【湧き肉】には特殊な魔術的、物理的、化学的防護措置がほどこされており、切断することも焼却することも爆発させることも不可能。そこから湧き出るスライムにも劣化版ではあるものの、同じような防護措置がほどこされており、特殊な武器でないと殺せない。

 ゆえに少年は、スライムに有効な武器である【聖剣】を振るい、一体一体確実に滅し続けている。

 しかし、少年の懸命な頑張りが報われるのはまだまだ先に見えて、【湧き肉】にされた歩行者天国周辺のおよそ2000人のうち、骨になったのはまだ10人にも満たない。

 にもかかわらず、

「あきらめるか……あきらめてやるものか…………!」

 少年は立ち向かい続けている。深い悲しみと身を焼き尽くさんとする怒りのなかにあっても、なお彼は決してその膝をつかない。

 理由は、彼自身にも分からなかった。

 突如として全てを奪った理不尽な存在への復讐のためか、姉の尊厳を守るためか、はたまた自分が生き残りたいだけか。

 その全てが彼の心の中にはあり、しかし一番大きな理由はそのどれでもない。


◇◇◇


 少年の奮闘を監視する者達がいた。聖源水晶の壁に囲まれたその空間の中央には円卓があり、11人が席についている。

「此度の勇者、中々悪くないのではなくて?」

 冷たい目をした枯れ木のような老女が言った。

「ええ。資格は十分あるように見える。……が、弱いですね」

 そう批判するのは若い男性だった。その整った顔のいたるところに傷があり、右目の周辺は焼け爛れていた。

「あちらの世界の武術には有用なものも少なくありません。今後はそういった武術を習得させるよう、暗示を強めるべきかもしれませんね」

 上半身裸の大男が言った。

「は、はい……ま、ま、まだ死んでいないのにこんな話を、するのも彼に悪いですが、そ、そうですね。有用そうなものを調べておきます」

 若いメガネの女が板状の端末を見ながら早口で答えた。

「てういうかぁ、もーそんなことしないで魔王殲滅に特化した武術や剣術をこっちで作っちゃってさあ、あっちの世界で流行らせるんじゃ駄目なんですかぁ?」

 気怠そうな女が頬杖つきながら言った。

「できないこともないだろうけど、難しいし手間がかかると思うよ。だってほら、魔王軍と戦った経験のある人達は死ぬか、大怪我を負うかしてきてるわけだし、それになにより……」

 火傷顔の若い男の方を見ながら、青年が諭すように言った。

「いかがしました? 私の方を見て」

「……いえ、あなたが天才ではなく秀才だったら良かったのにな、と」

「ほう? 凡人が言ってくれるではありませんか」

「お二人。ケンカはよしなさい」

 諫める声を放ったのは白いヒゲを長く伸ばした老人だった。

「……我々は、意見を競わせるためにここにいるのではありません。此度の勇者が、この暗黒の時代に光をもたらす救世主たりうる存在か否かを見極めるためにいるのです。その点を、ようく理解しなさい」

「…………失礼しました、長」

「…………注意します」

「分かればよろしい」

「ともあれ、」

 老女が言う。

「スライムをこの調子で殺し尽くしたならば、強さに関してはさておき精神面での素質は十分にあると言えるでしょう。此度の勇者耐久試験は、これにて終わりでよろしいのではなくて?」

 部屋の中を沈黙が満たす。

「……異議は、ないようね」


◇◇◇


 渋谷での異常現象から10年。原因不明の人体白骨化現象の起こった歩行者天国の片隅には慰霊碑が設置されていた。

 およそ1500名もの死者・行方不明者を出したこの大事件は10年経ってなお、真相が明らかにされていない。

 一瞬だった。

 よく晴れた日。歩行者天国を中心として半径約300mにいた人々が瞬時に白骨と化したのだ。

 尋常ならざるこの現象は、あらゆるところに設置されたカメラに捉えられており、また目撃情報も多く報告されている。

 発見された白骨のなかには損傷しているものもあり(多くは刃物によって傷つけられたことが判明している)、何らかの事件がその一瞬の間に起きていたのだと考えられてもいるが、それが何か、一体なにゆえにそのようなことが起きたのかを説明できた者はいない。

 かつてアメリカで発生した、類似の不可解な現象と結びつけて論じる者もいるが、当て推量の域を出るものではない。

 この謎めいた現象に巻き込まれたと推測される人々の名が刻まれた慰霊碑には、未だに献花が絶えない。

 慰霊碑に向かって、長髪の男が歩く。片腕のない、傷だらけの男だ。彼は白のカーネーションを献花台にそっと置くと、片手を胸の前で立てて祈るように呟いた。

「……ごめん、姉さん」


 男は10年ぶりに実家へ帰った。

 たとえ、血が繋がっていなかったとしても、男にとっての家族とはこの世界で自分を育ててくれた人々のことであり、家とはこれから向かおうとしている懐しい一戸建てにほかならない。

 魔王に支配された世界では望めない幸福に満ちた場所へ、男は歩いた。

 はじめは、遠くから見ているだけにするつもりだった。

 けれど母親に声をかけられ、随分と変わり果てているにも関わらず息子であると見抜かれて、家に泊まっていくことになった。

 自分の部屋と姉の部屋はそのままにしてあった。綺麗に、掃除だけがされていた。

 夜。頃合いを見計らって男は家を出た。

 勇者として行った魔王との戦いよりも、勇者耐久試験と称して渋谷の事件を引き起こした首謀者11人を殺した時よりもずっと、実家で過ごすことは堪え難かった。

 さながら生き地獄だ。

 両親はいまでも姉の帰還を信じている。自分が帰ってしまったから、以前よりもさらに期待してしまっている。

 家の中は10年前のまま、時間が止まっているかのようだった。しかし、姉はおらず、夫婦は年老いて、自分はもう、かつてのようにはいられない。

 男は、帰郷を後悔した。

 その街にはそこかしこに思い出が詰まっている。もう元には戻らない家族の思い出が。

 だから、男は叫ばずにはいられなかった。

 街の中心には大河が流れている。

 そこにかかる橋、その欄干に乗って、あらゆる気力を失った男は身を投げた。

 魔王を打ち倒した勇者たる男の身体はそう易々とは死にはしない。身体の中で爆弾が爆発しても、その肉体は瞬く間にもとの形に戻るだろう。

 この世界では、男の片腕を切り落とした魔剣のようなものも期待できない。

 ゆえに、記憶喪失になることを男は願った。

 運が良ければ、そのくらいは可能だろうと期待して、頭を下に、彼は落ちる。


 翌朝、男は普通に目を覚ました。都合よく記憶を失ってはいなかった。全てが鮮明に思い出せる。

 水に濡れたまま、男は流れついた川辺を歩きだす。あてどなく、目的もなく、ただ彷徨う。もはやそうすることしか、男にはできなかった。

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