ヤムヤムの森

@Maverick55

ヤムヤムの森

 

「落ち葉は、おいしい」

「茂っている葉は、おいしくない」

 5歳になる息子がそう言って、落ち葉を頬張ったので、「やめなさい!」と母親は手を叩いて、怒った。

 男の子は、一瞬たじろのだが、「食べたーい」と言って泣き喚きながら、地団太を踏んだ。

 母親は、いつもと違う様子に気づいて、子供が手にしていた葉っぱを抜き取り、ハンカチで吹くと、葉先を一口、齧ってみた。

 (おいしい!…なにこの味)

 母親は、たまらず二口目を口に入れると、なんとも言えない旨味が口中に広がり、とても幸せな気持ちになった。(もう1枚だけ…)落ちている葉っぱに手を伸ばそうとして、はっと我に返った。

 得体のしれない恐怖感が全身を覆う。

 母親は、子供の手を強く握りしめ、食べてしまったが何だったのかという不安を抱きながら、逃げるように森を後にした。


 葉っぱがという話は、密かに子供たちの間で広がっていった。

 大人たちは、子供の戯言と一笑に付したが、放課後になると、子供たちが先を争って森に行くので、流石に、傍観することができない状態までになっていた。

 ある日、学校の先生らと町内会の大人たちが集まり、子供たちの後を追って森に入った。

 そして、あちらこちらで葉っぱを頬張り、恍惚の表情を浮かべる子供たちの姿を見た。間違いなく、起きていたのだが、その理由を知る由もなかった。

 大人たちは、子供たちから葉っぱを取り上げたものの、自分たちも食べてみたいという好奇心に抗えるはずもなく、気が付けば、子供たちと一緒になって葉っぱを貪っていた。

 「人の口に戸は立てられぬ」とは、うまくいったものである。噂を聞いて葉っぱを求める老若男女が森に殺到した。そして、葉っぱの奪い合いによる醜い争いが起き、暴力沙汰となって、ようやく警察により森は封鎖されることになった。

 

 最初に葉っぱを食べた少年から、禁断症状は始まった。

 彼は、うわごとにように「葉っぱが食べたい」と繰り返し、その他の食べ物を、一切、受けつけなくなった。残念なことに、看病していた母親も、二日遅れて同じ症状に見舞われた。

 同じ症状の子供たちは日に日に増し、病院はなすすべもなく、ただ彼らを見守ることしかできなかった。

 地方都市の森周辺には、医者、警察官、役人、自衛隊、研究者などなど胡散臭い人間も加わり、秘密裡に調査が進められた。

 そして、いくつもの仮説が唱えられた。

 1.新種の細菌説

 2.生物兵器の流出説

 3.新種の寄生生物説

 4.宇宙人の侵略説

 5.世紀末の到来説

 エトセトラ、エトセトラ...


 事態は一向に終息の糸口が見いだせずにいた。

 そんなととき、調査対象だった一人の少年が、「葉っぱなんてまずくて、おいしくなかったよ」と、医師に返答した。

 少年には禁断症状がなかった。

 担当していた医師は、興奮を隠しながら、丁寧な言葉で、少年にこう尋ねた。

 「みんなを助けたいんだ、協力してくれるかな」

 少年は、傍にいた両親の表情を伺ってから、

 「いいよ」

 と元気よく返事した。

 そして、この少年から食べかけの葉っぱを奪って食べた少年も、発症しなかったことがわかった。

 多くの医者や研究者が、あらゆる機器を使って少年の身体を検査したが、何一つ、原因を見つけらなかった。

 病人は日に日に増え続け、治療法が見つけらないことから、少年の唾液が患者に投与された。すると、患者たちは嘘のように回復して、短期間で事態は終息に向かった。

 とある街で起きたこの事件は、徹底した言論封殺が行われ、表ざたになることはなかった。様々な思惑が、事件をなかったことにしたのである。


 「結局、何が原因だったんだよ」

 と友人が言った。

 焼き鳥の煙が漂う、居酒屋のカウンターに並んで座っていた。 

 「さあ、原因はわからないよ、みんな治ってしまったから」

 「森はどうなったんだ」

 「全部焼却して、工場になったって聞いたけど」

 「ということは、お前も救世主の唾液を飲んだってことか」

 友人は、赤い顔を僕に向けて、焼き魚に敷いてある葉っぱをつまみ、

 「こんな感じの葉っぱが旨いって取り合ったんだろ」

 と言いいながら口に入れると、

 「うぇ、まずい」

 といって、吐き出した。

 僕は苦笑しながら、その葉っぱに目をやった。

 あれから何年のあいだ、葉物を口にしていないだろう。唾液のせいで実験体となり、長くて辛かった日々が、恨めしい。

 幾度となく口にしようとして諦めてきたが、友人の悪態をみていたら、なんだか、今日は、いけそうな気がしてきた。

 ぱくり。

 僕は、勢いよく、その葉っぱを口に入れ、齧った。

 吐き出すつもりで、もう一口、齧る。

 (あれっ)…僕は、たまらず二枚目の葉っぱに手を伸ばしていた。

  葉っぱはうまくて、幸福感に満たされていった。

 

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