第2話 女子高生 由香の場合




あたしはイジメられている。


クラスの上位カーストと思われる女子グループから、暴言を吐かれたり、パシリに使われたり、カバン持ちさせられたり、好きでもない男子に無理やり告白させられたり……


――もうこんな生活うんざり……


『あの世駅』の噂を聞いたのは、ネットの掲示板だった。

自分の未来を知ることができるらしい。自分の未来を知れば、この現状から脱却する望みを持つことができる。


――イジメなんて……クラスが変わればなくなるわ……あと半年の辛抱……


そう何度も自分に言い聞かせるが、耐えられる気がしなかった。

何故自分がこんなにも虐げられなければならないのか、考える度に辛かった。自分は何もしていないのに、どうして自分なのか。

どうして自分は「嫌だ」「やめて」と言えないのか……。


蝉がちらほらと鳴き始めた初夏の頃、あたしは怖いという気持ちもあったが『あの世駅』行きの噂を試してみることにした。


×××線の4番ホーム、そして13両目。


終電は人が沢山乗っていた。でもあたしが乗る駅で大分人が降りたから、奇跡的に座ることができた。


――座ってから目を閉じる……絶対に開けたら駄目……だったよね……


あたしを乗せた電車はいつもと変わらない様子で次の駅へと進んでいった。ガヤガヤと周りの人間が話す声が聞こえる。


「ていうかさ、この前行ったネカフェで、隣の部屋から喘ぎ声聞こえてきて超ウケたんだよね。猿かっての」

「えー、マジあり得ない。監視カメラもついてるのに、バレてないと思ってんのかなー?」

「それな。つーか高校生だったよ? いやぁ、最近の高校生ってみんなそうなの?」

「お金ないからじゃないのー? カラオケとかでもヤッてるみたいだし……――――」


終電のこの電車に乗った事のなかったあたしは、こんな話をこんな場所でする人間がいるということに驚くとともに不快感に眉間にシワを寄せる。

目を開けてその声の人物の顔を見たかったが、あたしは我慢した。

声の抑揚からして、どうやら二人は酔っぱらっているらしい。


――こんなところでそんな話して……どっちが猿なの……気持ち悪い……適当に好きでもない男に股開いてんでしょ……本当にキモイ


会話は否応なしに聞こえてくる。

別の会話もあたしの耳に入ってきた。

こっちはサラリーマンのおじさんたちの会話。


「実際どうなのよ、キューピッドのナナちゃん。指名までしちゃって、タイプなの?」

「いやぁ、恥ずかしいです部長。あぁいうのに弱くって」

「ナナちゃんは確かに人気だからな、俺も解る」


――はぁ……大人ってみんなこうなるの?


最近父親に対しての嫌悪感が強くなってきた。

一緒の洗濯機で同じ洗濯物を洗ってほしくないし、声もかけてほしくない。


――パパもママに内緒でそういう店行ってるのかな……だとしたら本当に気持ち悪い……目も合わせたくない


あたしはイライラしながら、この世にたった一人でいるような気持ちになった。

大人は汚い人ばっかり。

学校の先生もイジメを見て見ぬふり。

ママもパパもあたしがイジメられていることなんて、少しも気づいてくれない。

友達もいない。

恋人もいない。


――この先の未来に希望なんてあるの……?


あたしはギュッと目を瞑った。

そうして耐えている間に、話をしていた大人たちは次々と下車していく。ガタンガタンと電車の音だけが聞こえてくる。

ときおりあたしは自分のソバカスが気になって顔に触れる。


――やっと静かになった……確か、あたしが乗った駅から終点までは11駅だったはず。今は……9駅? もうすぐなのかな……


ガタンガタン……ガタンガタン……


「お待たせしました。次は△△△駅、△△△駅でございます。右側の扉が開きます」


――これが10駅目……ていうか、馬鹿馬鹿しくなってきた。そもそもこれ終電じゃん……なんもなくて帰れなくなったらタクシーで帰るの?


タクシーでいくらかかるのか解らなかったが、11駅分の料金というとそう安いものではない。


――なんも考えてなかった……今日は特に辛かったから……なんか勢いで乗っちゃったけど……


そう考えている間に、最終駅に着くアナウンスが流れる。


「本日はご利用ありがとうございました。次は終点、○○○駅、○○○駅です。左側の扉が開きます」


電車が終着駅に着くと、僅かに乗っていた人たちが降りる気配がした。

あたしはそのまま乗り続ける。

周りに誰もいる気配がない。


――このまま乗ってたら、車掌さんが「降りてください」って言うのかな……


プシュー……


扉がしまる音がした。


乗車している人がいるかどうか確認せずに、どこか電車の収納場所へと収納されて閉じ込められるのではないかとヒヤッとする。


――あれ……この電車ってどこに収納されるんだろ……っていうか、人が乗ってるかどうかの確認をし――――


「オマタセ……イタシマシタ……ツギハ……×△※〇エキ……×△※〇エキ……」


――え……


今までの車掌の声とは全く違う、不気味な声がした。

ビクリと身体が硬直する。電車は再びゴトンゴトン……と動き出した。

なんだか車両が動き始める前よりも寒いような気がした。

目を閉じているからはっきりは解らないけれど、車両の電気がチカチカしている気がする。

しかし、あたしは恐怖で凍り付き、それを確認する為に目を開けることは出来なかった。


――マジ……? どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……これ……あの掲示板の通りだ……


目を開けてどうなっているか確認したい。

確認したいが、その掲示板に書いてあったことを思い出すと身体が震えてとても実行できそうにない。


――確か……途中で目を開けたら…………あの世の者に足を掴まれて……この世から永遠に消えるって……


寒いのに、汗が噴き出してくる。

それもなんだか変だ。

冷気は上のエアコンから噴き出してくるのではなく、足元から脚の上に向かってまるで撫でられているかのようにひんやりと感じる。

あたしはその状況に耐えるしかなかった。


「オマタセ……イタシマシタ…………シュウテン……アノヨエキ……アノヨエキデス…………」


デニムをギュッとつかむ手に力が入る。

手は汗でベタベタになっていた。しきりに手汗をズボンで拭くが、一向に収まる気配がない。

誰かが、あたしの顔のすぐ近くで、あたしの顔を覗いているような感じがする。


――どうしよう……本当にあの世だ……どうすればいいんだっけ……おちついて……大丈夫……帰れたら問題ない……


思考がまとまらない。

それでも懸命に手順を思い出す。

まず、乗った駅の切符を無人駅の切符入れに入れる。お金はどこから乗っても666円。これはあらかじめ用意してきた。

それから、改札を出たところにすぐに電話ボックスがある。


――他は行ったら駄目……真っ暗で他には何もない、あの世に繋がっている場所だから……


そうこう考えている間に電車がゆっくりと減速し、止まった。


「オデグチハ……ヒダリガワデス……メヲアケテ……オオリクダサイ………」


『目を開けて』とアナウンスされたあたしは、開けたくなかったが、うっすらと目を開けた。


ジーッ……ジジッ……


電車内の蛍光灯がついたり消えたりしていた。

都心の駅から繋がっているとは思えないほど、古びた田舎の駅のような場所についていることが解る。

古びたベンチが中から見える。腐っていて座ったら崩れてしまいそうだ。

信じられない気持ちになりながらも、あたしは恐る恐る立ち上がって電車の外に出た。

左右を見渡すと、どこまでも暗く、街灯すら立っていない。

剥がれかけた、色あせている駄菓子屋か何かのポスターが掲示されている。ポップな兎の絵がかいてあるだけなのに、それが妙に怖い。

初夏なのに、初夏とは思えない程寒く感じる。特に背中の辺りが寒い。


――改札……


改札は一つしかなかった。

そこには誰もいない。

切符とお金を置く場所があり、あたしは手を震わせながらもそこに切符と666円を置いた。

通行を制限するバーのようなものも、何もついていない。

ただ鉄柵があって、入る側と出る側を区切っているだけだった。


「帰りの切符は……手帳を見ないと手に入らない……」


電話ボックスのある場所はすぐにわかった。

そこだけに街灯があり、鈍い光でその電話ボックスを照らしている。電話ボックスの中の蛍光灯はないようで、かなり暗く、不気味だった。

入りたくない気持ちを押さえながら、ゆっくりとその電話ボックスまで歩き、辺りを見渡してから中に入るために手をかける。


――電話ボックスなんて……使ったことないよ……スマホと一緒なの……?


扉を引っ張っても開かない。

押し込んでみると、扉が中折れして開いた。うっすらとそこにマッチと蝋燭、そして噂通りの薄い手帳が置かれていた。


――入って……扉を閉めたら……マッチで蝋燭に火をつける……マッチも使ったことないよ……確か、横のヤスリみたいなところで先端を擦るんだよね……


電話ボックスの中に入って、あたしはマッチを手に持って中を開けた。

一本の赤いマッチが入っていた。先端から持ち手まで何もかも赤いマッチ。手が震えるせいで、上手く持てない。


ジャッ……ジャッ……


弱い力で擦ってみるが、火花は出るけれどなかなかつかない。


焦る。

後ろに誰かいる気がする。

焦る。

マッチを擦る。

誰かに見られている気がする。

マッチを擦る。


ボォッ……


やっと火が付いた。

それを置いてある短い蝋燭につけようと持って行くと、あるものがあたしの目についた。


「ひっ……」


手の跡だ。

子供の手くらいの赤黒い手形が沢山ついていた。蝋燭の近くの電話ボックスの硝子は、外の街灯に照らされていない部分にびっしりと手形がついているようだった。

驚いたあたしはマッチを落としてしまう。


「やばっ……」


マッチは一本しかない。

これがつけられなければ、手帳を読むことができない。

慌ててマッチを拾うと、幸いにも火は消えていなかった。手元まで迫る火のマッチでやっとあたしは蝋燭に火をつけることができた。


「はぁ……はぁ……」


火のついたマッチを、中に置いてあった灰皿に入れるとすぐに火が消えた。


――危なかった……


あたしは焦って手帳を手に取る。


――早く読まなきゃ……


その手帳は、何かの皮でできているようで妙に滑らかな手触りだった。縫い目まである。何の皮かなんて考えている余裕はなかった。


表紙に『兵藤ひょうどう 由香ゆか』と書かれていた。自分の名前だ。


――本当にあった……自分の手帳……!


震える手で、蝋燭を頼りに表紙をめくる。

黒い紙に赤い文字で書いてあった。


『2003ネン パパ ト ママ ノ アイダ ニ ウマレル (01)』


ぺらり……


『2004ネン パパ ト ママ ト コトバ ヲ ハッス ル (02)』

『2008ネン ホイクエン デ アキチャン ト ケンカ スル (03)』


――アキちゃんて……幼馴染の子の名前だ……


ぺらり……


『2009ネン ショウガッコウ デ サンスウ ノ テスト デ 100テン ヲ トル (04)』

『2010ネン アキチャン テンコウ シテ ナク (05)』


本当にあった過去が記されている。

大したことのない内容から、人生の転機となったであろうことまでもが一行で一ぺージに書いてある。


――読み飛ばしたら駄目……手帳は一ページずつ読まないと駄目……


先が気になるが、しっかりとページの一枚一枚に目を通していく。

読み進めるページはどれもこれもが確かにあたしの人生に起こった出来事ばかりだった。


『2020ネン イジメッコ ニ イジメラレル (34)』


ついに過去から現在のページへとやってきた。


――ここから先が……あたしの未来……


あたしは落ち着かず、一度手帳から辺りを見渡した。真っ暗で、真っ黒で、何も見えない。

やはり見られているような気がする。

蝋燭は三分の一程度減っていた。


――まだ大丈夫。このペースなら読み切れる……


ぺらり……


そう思っていた矢先、私の目はそのページの言葉に釘付けになった。


『2021ネン パパ ノ ウワキ ガ ママ ニ ハッカク スル (35)』


――え……


ページを読む目が高速で揺れる。

口の中はカラカラなのに、あたしは自分の生唾を何度も飲み込んだ。


――は……? 浮気……?


隣のページ。


『2021ネン パパ シヌ (36)』


見間違いかと、何度も何度もそこを読んだ。


――え……何……同じ年だけど……死ぬってどういうこと……?


言葉の最後に書いてある数字を入力して電話をすれば、未来の自分に繋がる。電話をしようかどうかあたしはパニックになりながら迷った。


「はぁっ……はぁっ……」


あたしはページをめくった。


『2021ネン ジサツミスイ (37)』


息が止まる。

呼吸器官が突然亡くなってしまったかのような閉塞感があった。

息を吸おうとするが、上手く息が吸えない。


隣のページ。


『2022ネン ママ ニ オミマイ ニ ビョウイン イク (38)』


それ以上読み進めるのは、あたしには無理だった。

ページをめくろうとするたびにペリペリと粘着性の何かが剥がれる音がする。


怖い。


怖い。


恐ろしい。


ここはどこなの。


怖い。


未来はどうなってるの。


怖い。


帰りたい。


カエリタイ。


帰りたい。


コワイ。



それでも、読み進めなければ帰りの切符は手に入らない。


――動け、手、動け、動け、動け……手……動け……動け……うごけ、ウゴケ、ウゴケグゴエグゴゲ……


あたしがページをめくれないまま、蝋燭はどんどん短くなって行って


ついには消えてしまった。


突然フッ……と暗くなり、あたしは更にパニックになって電話ボックスの扉をガシャガシャと開きもしない方向へと開けようとする。


「きゃぁああああああっ!!! 助けて! 助けて助けて助けて!!!」


受話器を乱暴に掴み上げ、番号をパニックになりながら押す。


66番。


最後のページであるはずの番号。


プルルルルル…………


背後から、ぺたり……ぺたり……とナニカの足音が聞こえた。

ふり返って見ても、暗すぎて何が迫っているのか解らない。しかし、着実に、ナニカが近づいてきている。

あたしは電話に向き直って、信じてもいない神に対して祈った。


――早く、はやく、早く、ハヤク、早くはやくハヤクはやくはやく


ブッ…………


――繋がった!!!


「たすけ――――」

「オカケ ニ ナッタ デンワバンゴウ ハ ゲンザイ ツカワレテ オリマセン サイド ゴカクニン ノ ウエ………」


受話器を持っていた手の力が抜け、ガシャン! と下に受話器がぶつかり、ブランブランと揺れた。


ぺたり……ぺたり……


足音は、もうそこまで来ていた。

まばたきができない。

口の中がカラカラだ。

息がうまくできない。


ぺたり……


あたしの真後ろで、ナニカが止まった。

ゆっくり、右回りで振り返ると


バンッ!!!


と、電話ボックスにソレは勢いよく手をついて、あたしを四方八方から囲んでいた。


「ジカンギレ……」

「きゃぁあああああああああああっ!!!!!」


あたしの未来は永久に途絶えた。



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