紅の小鳥 〜マウンテンバイク〜

 山脈の天辺てっぺんはかすかにブルーがかかったホワイト。空は透き通ったブルーで、大地は鮮やかなリーフグリーン。

 

 山脈ではところどころに険しい岩肌がむき出しになっていて、大地には灰色のアスファルトでできた国道が延々と続いている。


 


 世界で最も天国に近いといわれる場所へと続く、この道を行く者が一人。それが、わたし。


 リーフグリーンとスカイブルーに挟まれた世界で、わたしは相棒である紅色のマウンテンバイクを走らせる。

 

 


 わたしは、ペダルをまわす。

 

 空では太陽が明るく輝いている。大地も、山脈も、光をまとっているようだ。ブルーグレーの影でさえ眩しい。


 まるで、夢の中のよう。でも、わたしは確かにここに存在している。

 


 

 水はない。食料も尽きている。それに、わたしの相棒はひどく傷ついている。


 でも、不思議と焦りは感じない。

 


 わたしは既に感情を失っていて、ただ目的地を目指して無言で走っていた。


 


 わたしとすれ違う車もないし、わたしを追い越す車もない。数日前に走っていた場所では国道と並走する鉄道があったが、今は、それもない。

 

 鳥もいないし、羊も見ない。嫌な予感がする。

 

 

 



 急に雲行きが怪しくなってきた。漏斗ろうとのような形をした雲が現れる。


 まずい、竜巻だ。


 気付くのが遅すぎた。逃げられないかもしれない。


 竜巻が砂を巻き上げる。


 竜巻はこの世の全てを飲み込もうとする勢いで、近づいてくる。  

 

 わたしは竜巻の前に立っている。


 


 クラクションの音が響く。

 

 わたしの後ろに青いトラックがいた。運転手が手招きをする。


 

 私は相棒を荷台に置き、トラックに乗り込む。


 



 トラックが走りだす。


 振り返って、遠ざかっていく目的地を見る。


 不思議と怖くない。ただ、竜巻の向こうにある目的地にに行きたかった。


 竜巻はすぐ後ろまで迫ってきて、後ろを走っていたバンが横転して姿を消す。


 


 なんで怖くないのだろう。 

 

 「あっ!」

 

 わたしはわたしの過去を思い出す。

 



 暗い国道。

 

 月明かりはなく、星も見えない。


 頼りないヘッドランプの光がアスファルトを照らす。


 漕いでも、漕いでも闇から抜け出せない。

 

 ラチェット音だけが寂しく響く。


 後ろから何かが迫ってくる。止まれない。わたしは永遠に走り続けなければならない。



 

 「嫌だ!思い出したくない。」

 


 わたしは、毎日暗い部屋のベッドで、そんな悪夢ばかり見ていた日々を思い出す。


 本当は、晴れた空の下で太陽の光を浴びながら自由に生きたかった。

 

 だから、わたしは頑張った。辛くても、乗り越えようとした。壁に立てかけてあるマウンテンバイクを眺め、それに乗れる日がくると信じて。


 けど、それは叶わなかった。


 ある日、わたしはついに力尽きてしまったんだ。

 


 

 

 「逃げてはいけない。いくべきところがあるんでしょ」


 声が聞こえたような気がした。

 

 わたし、シートベルトを外す。


 でも、決心できない。 


 「なぜ迷っている。怖がる理由はないはずだ」

 

 そうだ、わたしにはもう怖がる理由がないんだ。


 だって、わたしはもう人間ではないのだから。


 

 



 わたしは決心する。


 わたしには、行かなければならない場所がある。それはとても遠い場所。


 でも、大丈夫。  

 

 いつか、必ずたどり着ける。


 

 

 わたしはドアを開ける。砂の混じった風が吹き込む。


 驚く運転手を尻目に、わたしは外の世界に飛び出す。

 

 荷台に置いた相棒をつかみ取り、大地に置き、またがる。



 

 恐れはない。


 ペダルをまわす。


 紅色の相棒を駆るわたしは、小鳥。

 

 竜巻に挑む、紅の小鳥。



 誰も、今のわたしを見ることはできない。誰も今のわたしがここにいることを知らない。でも、わたしは今、自分がここに存在していることをはっきりと感じることができる。


 今、自分が生きているのか、わたしにはわからない。でも、なぜだか自分は生きていると思えてくるのだから不思議だ。


 前のわたしは、確かに生きていたはずだ。でも、なんとなく生きていた。生きることの素晴らしさも知らずに、生きることを辛いとさえ思っていた。果たして、それは生きていると言えるのだろうか。

 

 

 むしろ、「生きている」という言葉がふさわしいのは、今のわたしの方ではないか。今のわたしは「生きる」こと喜び、楽しんでいる。


 

 

 

 


 今のわたしには「生きる」目的がある。わたしには行くべき場所がある。そこに行く理由はわからない。でも、それでいい。


 わたしは止まらない。わたしはペダルをまわす。


 相棒のアルミニウム合金製のフレームは硬くてしならず、わたしの力をしっかりと受け止めて余すことなく大地に伝える。


 


 

 わたしは竜巻を見上げる。そして、真正面を向き、ギアを一段重くし、力いっぱいペダルをまわす。


 わたしは竜巻に飲み込まれていく。



 砂が目に入る。でも、不思議と何も感じない。竜巻の中は暗く、どこまでも静かだった。


 

 わたしは進む。暗くても、辛くても、わたしは進む。

 

 大丈夫、行ける。わたしは、進む。

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