黒い小鳥 〜フォールディングバイク〜
空は晴れているのに、心のなかがどんよりとした雲に覆われている。
そんな日。
わたしは相棒に乗って出かける。
私の相棒は真っ黒なフォールディングバイク(折り畳み自転車)。
塗装が要らないはずのチタン製の金属光沢が美しいフレームが下手な塗装で黒く塗りつぶされている理由はわからない。
前の持ち主が変わり者なのだろう。
でも、この変な塗装のおかげで、状態の良い高級モデルを安く手に入れることができたのだから文句は言えない。
わたしの相棒の特徴は、折り畳めばコインロッカーに預けられるほど小さくなることだ。しかも、片手で持てるくらい軽い。
勿論、簡単な操作をすれば、一分で自転車に戻すことができる。
だから、専用のバッグに入れれば電車やバスに持ち込むことだってできる。
わたしもはじめはそうやって使っていた。けれど、ある日わたしは夢の中に相棒を持ち込めることに気がついてしまった。
折り畳んだ相棒を枕元に置いて寝たら夢の中でもきちんと乗れたし、わたしが起きたときにはちゃんと元あった場所に戻っていたのだ。
その時は、喜びのあまり叫んでしまった。
調子に乗ったわたしは空想の世界に相棒を持ち込むことにも成功して、今では夢や空想の世界を相棒と旅することがわたしの日課になっている。
わたしは人のいない、寂れた公園のベンチに座る。公園には、大きな木が植えられていて、とても暗い。
わたしは、折り畳んだ相棒を抱きかかえて目を閉じ、呪文をとなえる。
わたしは黒い小鳥。わたしはこの世界を旅立つ。
目を開ければ、わたしはいつもの住宅地にいる。
わたしの相棒は小回りが効くし、音を出さないから住民に迷惑をかけにくい。住宅地の散策には向いていると思う。もっとも、ここはわたしの空想の世界だからどんなことをしても他人の迷惑にはならないはずだけど。
住宅地の狭い路地を抜けて、川沿いの桜並木の下を通る。
コンクリートで固められた川だけど、アヒルと白鳥が泳いでいた。
生き物は人が思っているよりずっと強いのかもしれない。
わたしは川沿いの狭い道を突き進む。暗い鉄道橋をくぐって、再び住宅地に入る。
そして誰もいないシャッター街を通り抜けると、小さな丘が見えてくる。
名前のわからない木がたくさん生えた丘で、頂上はひらけていて、街を一望できる。
コンクリートの階段を登って頂上に立つ。草地に寝そべって夕暮れ時の街を眺める。この広い世界は全てわたしのもの。
世界は黄昏の色に染まっている。どんな色よりも綺麗な黄昏の色。ありえないほど赤い太陽が山脈の向こうに沈んでいく。
多くの人が自分の空想の世界をもっているけれど、こんなふうに楽しめるのは、ほんの一部の限られた人だと思う。
わたしは幸せだ。どんなにいやなことがあっても、ここにいればわたしはそう思える。
街灯に明かりが点る。でも、建物の窓は真っ暗なまま。風が冷たい。そろそろ帰ろう。
太陽のない空はわたしを寂しい気持ちにさせる。
わかっていた。この世界は長くはもたないと。
かつてこの世界のモデルになった街はもうない。モデルを失った世界は日に日に色褪せていき、住人もどこかに行ってしまった。この世界にはわたし一人しか残っていない。わたしは孤独と闘いながら、この世界が壊れてゆくのを最後まで見届けなければならない。
ここは、もうあの温かい世界ではない。子供の笑い声も、短気なおじいさんの怒鳴り声も、もう聞こえない。
この世界はわたしのもの。わたしはこの冷たい世界と最後まで付き合うしかない。
わたしは目を閉じて、呪文を唱える。気づけば夜の公園にいた。たった一つしかない街灯が錆びた遊具を照らし出す。
この公園も、取り壊される予定らしい。跡地にはもっと立派な公園が整備されるという。
わたしは、相棒と夜の街を走る。
わたしの空想の世界は少しずつ壊れていき、やがて無くなる。それは止められない。でも、新しい世界を一から作り直せるとしたら?
うまくできるか、わたしにはわからない。でも、うまくいくと信じたい。
わたしは旅に出る。行ったことのない街に。
新しい世界、それはどんな世界なのだろう。大草原?海辺の街?それとも現代アートの中のような世界?
東の空がだんだんと白く染まっていく。ハケで塗ったような雲は朝日を浴びて嬉しそうだ。
新しい一日が始まる。
古い世界は跡形もなく崩れていき、朝日に照らされた新しい世界が生まれる。
寂しいけれど、楽しみだ。
未知の世界がわたしを待っている。
新しい世界は黒い小鳥が舞い降りるのを待っている。
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