不細工ロリータ
佐久間 涼
第1話
小さな頃から鏡を見るのが嫌いだった。細くつり上がった目も、情けなく潰れた鼻も、半端に歪んだ口も、全部大嫌い。少し嬉しいことがあった日曜日でも、鏡を見るだけで全部台無し。醜い、見にくい、この身が憎い。
私の両親はごくごく平凡な人間だ。どこにでもいる、ひ弱そうなサラリーマンと小太りの主婦。もちろん容姿は二人とも醜い。私はそんな両親を尊敬しているが、私以外に彼らを尊敬している人間はいないかもしれない。
私にとってはかけがえのない両親ではあるが、唯一彼らに不満があるとすれば、私を醜い容姿に生んだこと。しかしそのことで彼らを責めても仕方ない。娘の生まれつきの容姿なんて、現代の最先端医療でもどうにもならないのだから。そうなると自然、怒りの矛先は自分に向かう。醜く、見苦しく生まれてしまった私が悪い。
20年以上かけてコンプレックスを醸造してきた私が、変身願望を持つことには何の不思議もなかった。可愛くなりたい、可愛くならないと、可愛くならなければ。だが私の顔を変えることなんてできない。整形手術をするお金も度胸も持ち合わせていない。それなら、どうする?
思考も行動も短絡的な私は、可愛い物で全身を覆ってしまえば多少はマシにはなると考えた。また、似合わないことがわかっていても、可愛いものを身に付けることは私にとって最高級の歓びでもあった。
こうして私はスウィート・ロリータで我が身を武装するようになった。機能性を無視した大量のフリル、手のひらよりも大きなリボン、むやみに目立つ派手なタイツ。私は可愛くないけれど、服の可愛さで中和できる(無論そんなわけがない)。ここにコンプレックスで全身を塗り固めた怪物が誕生した。
「おい、見ろよアレ」
「指差しちゃ可哀想だって……」
「いやだってさ、あれヤバくね?」
「聞こえちゃうよ」
「アレならフリフリの服より関取の『まわし』の方が似合うだろ」
「ぷっ……だから可哀想だって……」
人で混み合う休日の電車で、私は背後にいるカップルをちらと盗み見た。無駄にフレームの大きい眼鏡をかけた出っ歯の男と、マスカラを盛りすぎた汚い茶髪の女の姿が目に飛び込む。二人とも、人のことをバカにできるような容姿には思えない。ブスがブスを嘲笑う、何の目新しさもない光景だった。とは言え、腹が立たないわけではない。私は左手に持ったピンク色の日傘を強く握り締めた。
だいたい、誰がどんな服装をしていようとどうでもいいではないか。私は私の好きな服を着る。あなたはあなたの好きな服を着る。優劣だとか良し悪しだとか、他人に決められたくはない。舞子さんは和服を着る、ムスリムの女性は装束を着る、そしてブスはロリータを着る。それぞれ譲れない信念や思想を携えて服を選んでいるのだ。たとえ親であっても、自分以外の人間にとやかく言われる筋合いはない。
私だって一応TPOというか、そういう規範を持っていないわけではないので、大学にはロリータ服は着ていかないようにしている。だが、今は休日の電車だ。公衆衛生に反する服装以外は許されてもいいはず。もしも不格好なものが目に入るだけで迷惑だと言われるなら、ブスは毎日マスクとサングラスをして生きなければならないのではないか。私のような人間は顔で損している分、他の部分は大目に見てほしいものだ。
そこまで考えたところで、目的の駅についた。大阪市営地下鉄堺筋線・日本橋駅。背後のカップルから逃げるようにして、背中を丸めつつ電車のドアから外へ出る。流れ出した人波の中、極力人とぶつからないよう改札へと急ぐ。少しでも早く地下から這い出て外の空気を吸いたかった。通り慣れた⑤番出口へと進む進む。途中袖が触れたサラリーマンに舌打ちをされたが、その人の姿もすぐに見えなくなった。もしも私が美人だったら舌打ちもされなかったのだろうか。考えるだに虚しくなる。しかし人は配られたカードで勝負しなければならないのだ。勝てるかどうかはともかくとして。
そうして私は大阪日本橋の繁華街へとたどり着いた。オタロードと俗称される雑然とした地域だ。この街の空気感は独特で好感が持てる。ここにはいわゆる「人生の勝者」が少ない。高いコミュニケーション能力と、容姿の優れた恋人を持ち、休日にはサーフィンやエステに出かけるタイプの人間。そういった「勝者」がほとんど見当たらない。時折メイドカフェの客引きで可憐な女の子が精一杯声かけをしているが、彼女らを除けばオタクとブスと観光客の外国人しかいない。ここに来ると、自分が許されているような感覚を持てる。
また、ロリータファッションに身を包んでいても奇異の目で見られることが少ない点も最高だ。梅田でロリータファッションを披露すれば四方八方からじろじろと見られるが、この街で露骨にじろじろと見られることはあまりない。左手にクラシカル・ロリータのブスが笑えば、右手にはゴシック・ロリータのデブが店頭ポスターを眺めている。日本橋ではよくある、ありふれた風景だ。コスプレ同然の格好をしていたからといって、後ろ指を差される心配も無い。この街は海外のヌーディストビーチよりもよほど開放的なように感じられる。
このままぼんやりと日本橋を散策したかったが、今日はそういうわけにはいかない。友人と待ち合わせをしているのだ。「ソフトクリームを食べながら待つ」とメッセージを受け取っていたので、それらしきお店へと向かう。
半ば歩行者天国のようになっている通りをしばらく進んでいくと、ソフトクリームを舐めるパンクな装いの人物を見つけた。首もとで切り揃えられた金髪に、左から右へと流れるアシンメトリー。耳や口にはギラギラと輝く銀のピアス。人混みがもっと増えたとしても、彼女を見つけるのは容易いだろう。「日野桜子」という名前からは想像できない、毒々しい風貌の彼女。
「ごめんね、待った?」
「おー美花。うっす」
「それ、おいしそうだね。何味?」
「ん?岩塩味らしい。しょっぱい」
特に表情を変えず桜子はソフトクリームの感想を述べた。彼女は出会った頃からとにかく表情が薄かった。しかし、表情が変わらないというだけで感受性が人より鈍いわけではないようだ。以前彼女が大ファンだというロックバンドのライブにご一緒したことがあるのだが、その際彼女は表情をほとんど変えず静かに涙を流していた。ライブが終わった後桜子は「いやー最高だった。一生の思い出にする」と棒読みで述べた。桜子の性格を知らない人であれば「嘘くさいな」と感じたかもしれないが、私には彼女の内心が輝いている様子がありありと見えた。
「それで、今日はどこに行きたい?」
「パンケーキ。ウチはとにかくパンケーキが食べたい」
熱のこもらない声で桜子が要求を述べる。おそらくこれも、他者にはわかりにくいだけで彼女の熱烈な要求なのだろう。
「じゃあなんば寄りの、前パスタ食べたところに行こっか」
「いつも店決めてもらってすまんね」
「いいよ。こういうの探すのは好きだから」
そうして私たちはソフトクリーム屋を後に歩き出す。ロリータ服のブスとパンクファッションの女が並んで歩くのは異様な光景に見えるかもしれないが、ここ大阪日本橋では然して珍しいものでもなかった。年配の人はしばしばこの街を「若者の街」と称するが、私たちからするとその表現はやや不正確だった。「サブカルチャーの街」或いは「はぐれ者の街」そんなところだろうか。
アニメ柄の紙袋をだらしなくぶら下げた青年が私たちを一瞥し、すぐさま目を逸らした。すれ違い様の一瞬の出来事だったが、「面妖な二人組がいるな」とでも思ったのだろう。私たちからすれば彼も余程奇妙な人間だった。アニメ絵の美少女がプリントされた紙袋を抱えて歩き回って、恥ずかしくはないのだろうか。私たちの服装にはある種のコンセプトがあるけれど、彼の持つ紙袋は最早ファッションと呼べる代物ではない。なぜ紙袋ごとバッグに収納しないのか理解に苦しむ。
とは言え、アニメ柄の紙袋は私たちにとって理解できないというだけの話であって、その出で立ちにケチをつけるつもりはない。奇妙であるからといって、私たちは彼を責める権利を持たない。冠婚葬祭やビジネスシーンを除けば、他人がどんな服装をしていようと文句をつける筋合いはないのだ。おそらく、先ほどすれ違ったオタク君も私たちの特異な格好をバカにしたつもりはなかったのだろう。ただ、変な格好の奴がいたから見ただけ。そこには悪意も敵意も存在しない。お互い別世界の住人として、生きていくだけだ。
その後は特に好奇の目を向けられることもなく、私たちは目当ての店にたどり着いた。繁華街の人気店というだけあって、それなりの行列が既に形成されていた。席に着くまで40分といったところか。列に並ぶことに慣れた私たちにとってはさほど苦にもならない待ち時間だ。予め申し合わせていたように、私たち二人は自然と列に並ぶ。
「なんか眠くなってきたなー、春が近いからか」
目をシパシパとさせながら桜子が呟く。マイペースな彼女らしい発言だった。
「ふふ……桜子、大学の講義でもすぐ寝ちゃうもんね」
「あれは教授の催眠術だから……ウチは悪くない」
前後にフラフラと揺れる桜子を横目に、スマートフォンでカレンダーを確認する。大学の春休みはまだ2週間ほど残っていた。あと何年か経って、どこかの会社に就職すれば、こうしてロリータ服を着て桜子と出かける機会も減ってしまうのだろうか。それはすごく寂しいことに思えた。そして、だからこそ、今この瞬間を大事にしたいと再認識する。そんな私の思いをよそに、桜子はこっくりこっくりと首を上下させていた。
桜子と出会ったのは、大学に入ってすぐのことだった。声の大きな女の子たちから距離を置いていた私たちは、気づけばどちらからともなく話す仲になっていた。それぞれ理由は違えど、私たち二人は女の子の集団が苦手だ。そんな二人が互いにシンパシーを感じるのは、ある種必然だった。
私の場合、自分が「ブス」と呼ばれる人種であることに気づいてから、何となく女の子の集団から遠ざかっていた。ブスが集団の中で発言力を持つのは難しい。何より私自身、「ブスのくせに」と言われるのがとても恐ろしかった。人間は本質的に平等ではない。意識的に、或いは無意識のうちに、他人を見下しているものだ。そして私は見下される側の人間だった。集団の中で下位層として生きることに甘んじるか、いっそ集団から外れるか。私にとってはどちらを選ぶのも苦痛であったが、より苦悩の少なそうな「集団から外れる」という方を選び今に至る。
桜子は私と違って端正な顔立ちをしているが、容姿云々ではなく性格の面で女子集団になじめかったらしい。女子会に参加するには、甲高い声で「カワイイ!」と叫んだり、どうでもいいことに「わかる~」と相づちを打つスキルが必須である。桜子はそういった最低限のスキルを有していなかった。本人曰く、人並みの共感や相づちを覚えようと努力したこともあったらしい。しかし取り繕った笑顔はどこか不自然で、女子集団からのウケは頗る悪かったようだ。次第に桜子は女の子の集まりから除外され、高校生の頃はほとんど友達がいなかったらしい。
その経験を初めて桜子から聞いた時、私は憤りを覚えると同時に「仕方の無いことだ」とも思えた。容姿を含め、能力の劣る人間は心ない扱いを受けやすい。私は桜子の呑気な性格が好きだが、それをコミュニケーション能力の欠如と捉えられることもあるだろう。容姿に問題のある私と、性格に問題のある桜子。こうして二人の「欠陥品」は寄り添って生きることとなったのである。
数十分ほど経って、ようやく「2名様でしょうか?ご案内いたします」と店員から声がかかった。この時ばかりは桜子も目を開き、ゆっくりと歩き始めた。少し手狭ではあるが小綺麗な店内に足を踏み入れる。この店にある椅子はほとんどが一人がけのソファーで、つい長居をしたくなるような心地よさがあるのだ。一番奥の席に案内された私たちは、めいめいに身体を椅子へと委ねた。
「よし、早速頼もうじゃないか」
低い声でそう呟いて、桜子はメニューを私にも見やすいように広げてくれた。鮮やかなお品書きが私たちの中枢神経を眩惑する。小腹を空かせた私たちには、目に入るすべてのパンケーキが一級品に見えた。バナナを贅沢に載せたものや、黒蜜をふんだんに用いた一品。チェリーソースを網掛けに垂らしたパンケーキもなかなか扇情的だ。
こんなことばかり考えているからいつまで経っても痩せないのだろうか、という疑念が一瞬頭を掠めたが、すぐにどうでもよくなった。桜子はどうやら何を頼むか既に決めてあるらしい。優柔不断な私は、いつも彼女を待たせてしまう。申し訳なく思う気持ちはあるが、一方で苛立つ様子もなく待ってくれる桜子に甘えている自分もいた。
「じゃあ・・・私は季節の彩りフルーツMIXにしようかな」
「おっ、それも美味しそうだな」
「あとでお互いの頼んだもの、シェアしようね」
「おーけー」
気の抜けた声で桜子が返事をする。あれこれ悩んでばかりいる私にとって、彼女のゆるい態度は心地よいものだった。
「そう言えば桜子、今日はこの後バイトなんだっけ?」
「うん。まあ夜の8時からだし、時間は有り余ってるさ。それこそパンケーキ10枚は食べれるね」
「えっ!?そんなに食べるの!?」
「ふふ・・・喩えだよ、喩え。美花は素直で面白いなあ」
そう言って桜子はわずかに目を細めた。その表情は彼女が可笑しがっている時に特有のものだった。
私は、と言うと、「またやってしまった」と恥ずかしさや照れ臭さに悶えていた。昔から私は、人の冗談を真に受けやすい。もしも見た目が可愛ければ「天然」やら「箱入り娘」だと受け入れてもらえたのだろうが、生憎私の容姿は劣っているため、愚鈍なブスにしか見えないようだ。情けない話だが、私は自分の見た目のみならず内面にも数えきれないほどのコンプレックスを抱えている。愚鈍で醜い私は格好のターゲットだったのだろう、昔から何度も男の子にからかわれてきた。容姿も、中身もだ。ブスにも心はあるというのに、彼らにはそれがわからないらしい。
ぐだぐだと思い悩んでいる私に気づいたのか、桜子は「美花のそういうところ、ウチは結構好きだよ」と私を慰めてくれた。
それから桜子と他愛のない話で盛り上がった。大学のつまらない講義のこと、最近気になっている映画のこと、バイトであった嫌なこと、ミルクティーがぬるくなったこと、なんとなく眠くなってきたこと……
無意味で無為な時間が、私にとってはとても大切なものだった。桜子の表情からは読み取りにくいが、おそらく彼女も同じ気持ちでいてくれていることだろう。ブスだと恋人はできないが、気の合う友達なら何とか見つかる。その事実は、ほとんど救いの無い世界での小さな希望だった。
「そう言えば美花、今日この後ライブ行くんだっけ?」
ぼーっと窓の外を見ながら桜子がつぶやく。まるで独り言のような声量だった。
「そう!シラサキ聴きに行くの」
「好きだねえ、シラサキ」
「うん、あんなに優しい歌と演奏ができるバンドはなかなかいないから」
「そうか。私はバイトだけどな」
「拗ねてる?」
「拗ねてるよ」
一見無表情な彼女が何故かむくれているようにも見えて、「ふふっ」と思わず声が漏れてしまった。
『シラサキ』は私の一番好きなヴィジュアル系バンドだ。毒々しいメイクからは想像もできないほど優しい演奏をするバンド。勿論、優しいといってもアコギで弾き語りのライブをするわけではない。4人編成の、一般的なロックバンドと同じ演奏形態だ。爆音で歪むギターに追い立てるベース。ライブで浴びる音圧は耳が痛くなるほどだが、それでも何故だか曲を聴いた後は癒やされた気分になる。
そして何より、歌詞が優しい。彼らは常に敗者、弱者、落伍者の視点から言葉を紡ぐ。日向に生きる人間からすれば、彼らの歌はただ暗いだけで何の魅力もないのかもしれない。しかし現在進行形で日陰を歩く私にとっては、彼らの歌は導きの光にすら見えるのだ。考えれば考えるほど今日のライブが楽しみになってくる。私と同じくロリータ服に身を包んでいる人も多いだろうし、奇抜な服装が許される空気感もライブの魅力の一つだ。
不細工ロリータ 佐久間 涼 @sakuma_ryo
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