課題は泥棒

三矢

プロローグ

「家から何かなくなっていませんでした?」

 小学生だろうか。

 唐突に話しかけてきた少年は垢抜けていて大人びていた。


 午前八時三十分。私は家を出た。

 会社までは自転車で十五分ほどだ。途中で行きつけのパン屋かコンビニに寄り、朝食兼昼食を買う。基本はパン屋で、パンに飽きている日はコンビニに行く。それを計算に含めて、いつもこの時間に家を出ている。


 少年はアパートの駐輪場を囲っている背の低い塀に腰かけていた。ひなたぼっこをしている野良猫のようで、足をぶらぶらとさせて暇を持て余しているように見えた。

 このアパートの子かな、と思ったが、ここは一人暮らし用の1Kの部屋しかなかったはずだ。大家は最上階の六階に住んでいて、会えば話す間柄なのだが、このアパートに子供がいるというのは聞いたことがなかった。もちろん大家としての守秘義務を守っていただけなのかもしれないが。

 私はワイヤレスのイヤホンをして音楽を聴いていたので、目を合わせて小さく会釈をしただけだった。


 クロスバイクのU字ロックをはずした。大げさなほどに頑丈なキーで、かなり重い。それをサドルバッグの中に入れる。ボディもタイヤも白色でよく手入れのされた少し目立つクロスバイク。通勤用に買ったのだが、今では休みの日もサイクリングに出かけるくらいのお気に入りだ。七万円ほどしたのだが、既に元はとっただろう。

 そこで少年が声をかけてきた。


「え」

 片方だけイヤホンをはずした。よく聞こえなかったのだ。

 塀から降りた少年は私の前に立って目を輝かせていた。


「家から何かなくなっていませんでした?」


 脈絡がないとはこのことだ。

 この子は話しかける相手を間違えているのだろうか。


「どうしたの?」

 私の返答も返答になっていないのだが、仕方がないだろう。

「お兄ちゃんの家、何かなくなってなかった?」

「家? なくなる?」

「うん」

「えっと…」 三秒ほど考える。「どういうこと?」 わからなかった。

「だから、家から何かなくなっているものなかった?」

「いや…、別にないと思うけど」

「ふーん。なんだ。そっか」

 少年は嬉しそうな楽しそうないたずらっ子そのものの表情で三回頷く。

「どうしてそんなこと聞くの?」

「聞いてみただけだよ」

 会話がかみ合わないのは年齢差によるものだけではないだろう。

「じゃあね」

 少年は手を振って駆けていってしまった。

 呆然と見送る。このアパートの子ではないらしい。


 私は腕時計を見た。午前八時三十六分。

 少年と会話をしていた分だけロスしている。急いでクロスバイクにまたがった。イヤホンも耳にはめ直して、アパートを飛び出す。少年の姿はもうない。


 なんだったのだろう。あの少年は。


 

 

 


 

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