テーマ:夕立 魔法はいつだって夕立の後に
「由紀は魔法を信じるかい?」
私がまだ幼いころ、そう語るおじいちゃんの顔は楽しげだった。
「じいちゃんはね、ある日庭に小さな箱を埋めたんだ。その日は夕立があって、虹がきれいだった。でもその後、いくら探してもその箱は見つからないんだよ。あれはきっと魔法だ、夕立の魔法で時空を超えたんだ」
あの頃の私は、目をまん丸にしてその話を聞いていたに違いない。魔法ってどんなものだろう? 大人になったら使えるのだろうか? その得体の知れない力のようなものに胸を躍らせていたのだけは覚えている。
「もしその箱を見つけたら由紀にあげる。夕立の魔法、忘れるんじゃないよ?」
私が覚えているおじいちゃんの思い出はそれくらいだった。
やがておじいちゃんの認知症は急激に進行した。私が覚えているおじいちゃんはいつも無表情で、ほとんど会話も成り立たなかった。徘徊は毎晩で、朝方土手で見つかって警察にお世話になることもしばしば。あれが無い、これが無いと言ってはよく周りにいた人を怒鳴っていた。いつしかあの魔法の話も、ただの認知症の一環なんだろうと私の記憶の中で処理されるようになっていた。介護に人生の大部分を持って行かれた両親達。正直おじいちゃんが亡くなった時は、みんなほっとしていたに違いない。
そんなおじいちゃんとの思い出も今、また一つ消えようとしている。目の前で取り壊される家を眺めながら、私はそんなことを考えていた。おじいちゃんと暮らした家、私が育った場所。あの魔法の話をしてくれた場所はもうどこにもない。
その日雨が降った、夕立だった。
大粒の雨がひとしきり夏空を洗い流した後、汗をかいた空の下、私は忘れ物を取りに解体中の家を訪れた。
そこで庭先に何かが顔を出しているのが見えた。たくさんのガラクタに紛れ、それはまるでこちらをじっと見つめるように。私は誘われるままにその小さな箱を掘り起こし、蓋を開けてみた。
腕時計だった、しかも女性もの。
外側こそ泥まみれだったが、中はきれいそのまま、針もしっかり動いている。これ、ひょっとしておじいちゃんが言ってたやつだろうか? 夕立の魔法で時空を超えたというあの箱?
もちろんただの偶然かもしれない、埋もれていたものが時間をかけてむき出しになっただけかもしれない。
でも自分の家の庭に埋めたものをおじいちゃんは一生懸命探したはずだ。そしてその後も何回も探す機会はあった。それでも見つからなかったものが、果たしてこんな良いタイミングで出てくるだろうか?
「由紀、どうしたの?」
一緒に来ていた母の声が後ろから聞こえた。
「これ、おじいちゃんのかな」
「なんでそう思うの」
「うーん、何と言っていいか……」
私は恥ずかしながらもおじいちゃんの「魔法」の話をしてみた。へえ、とつぶやきながら母はその腕時計をまじまじと見つめた。
「由紀はあまり知らないかもしれないけど、おじいちゃん、優しい人でね。結構モテたんだって。でもあまりに優し過ぎて愛人がたくさんいたの」
「え? あのおじいちゃんが?」
母は苦笑いしながら大きくうなずいた。
「魔法ね、まああの人ならやりかねないわ。愛人にあげるはずの時計をおばあちゃんに見つからないように埋める、そして魔法をかける」
「そして、時空を超えて今に現れた……?」
一瞬母が真剣な眼差しを見せたかと思ったら、突然堰を切ったように、はははと笑い出した。
「なんてね、せっかくだからもらったら? くれるって言ってたんでしょ?」
空を見た、気づけば虹がかかっていた。
夕立の魔法、本当のところは誰にも分からない。でもきっと魔法はあったのだ、あの日魔法をかけられたおじいちゃんの思いは今、夕立後の虹に乗り、今まさにここにやってきた。この空はきっと、あの日のおじいちゃんとつながっている。私はその虹色を見上げるおじいちゃんの顔が、なんとなくそこに見えた気がした。その顔は何とも恥ずかしそうに、まるで意地悪が見つかった少年のように笑っていたような気がしたのだった。
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